第二章 惑星リュシー(2)
リュシーは、ロックウェル連合の領域内でも特に地球から遠いエリアにある。つまり、地球のお隣さんに近いオウミからは大変な道のりだった、ということだ。
実に、丸二日もの間、ひたすらにジャンプを繰り返すことになった。
ちなみにエミリア、オウミ、リュシーを三次元図の中に浮かべると、ほぼきれいな正三角形になる。簡単に言うと、地球を出てオウミ三叉路で右に曲がればエミリア行き、左に曲がればリュシー行き、というくらいに対称的な位置関係だ。
初めての旅行では、そのたびに変わる星の姿に興奮したものだったが、さすがに今ではそれにも退屈するようになっていた。
ただ一度だけ、巨星系の辺縁部にある中継基地を通ったときは、巨大化し不気味に変形した真っ赤な星を目の当たりにして興奮とも恐怖とも言えない感覚を味わった。宇宙クラスの巨星の中ではごくごく小さく目立たない星らしい。それでもその波うちのたくる様がゆがんだ姿から、星の断末魔を連想せざるを得なかった。
やがてリュシー星系にたどり着くと、見えてきた惑星リュシーは、茶色い大地に大きな一つの湖、よく見えれば点々と小さな湖が見える、という星で、雲は湖の周辺にいくらかたなびいているばかり、それ以外は乾燥しきっているようだった。それでも人が住めるだけの水循環とガス分圧を維持しているのだから、先人のテラフォーミング技術には感服するしかない。
僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、セレーナの様子は相変わらずおかしかった。僕がしゃべるとにこにこと相槌を打つのに、いつもはしゃべらなくてもいいことをぺちゃくちゃとしゃべるだろう場面では口を開かず、ぼんやりとどこかを見つめている。僕の視線に気がつくと作り笑い(としか思えない笑顔)を浮かべるばかりだった。
僕だって、嫌いと言われたことを気にしていたから、僕の見る目もおかしかったんだと思うけれど。
一言で言ってしまえば、なんだかよそよそしい感じ。
必要な会話はちゃんとできるんだけど。
どうしてなのか、よく分からない。
本格的に嫌われたのかもしれない。
彼女が嫌がることをしたから?
すぐに謝っちゃう癖が、そんなに悪いことだったかな。
今までだってそうだったのに、と思う。
リュシーの丸い地平面がぐいっとモニターの下に消えていく。ドルフィン号が機首を上げ、大気突入の準備を始めた。
僕はいつも、大人な彼女に対してひどく子供っぽくて、彼女を怒らせてばかりで、だから、彼女には謝ることしか出来なかった。
彼女はいつも大きな責任を一人で背負ってて、僕には何もしてあげられなくて、申し訳ない気持ちがいっぱいで、だから、彼女には謝ることしか出来なかった。
女心は分からないもんだね、なんて斜に構えて振り切っちゃうには、僕の人生経験は少なすぎる。
今度、ちゃんと、セレーナと話そう。
考えているうちに、魔法のような推進システムはあっという間にドルフィン号をリュシー大気に突入させつつあった。
セレーナが短く着陸に関する命令を、いくつか、した。
***
大きな湖のほとりに宇宙港があり、そこから地下鉄で十五分のところにリュシーの首都の町並みがある。
一度も外に出ずにここまでたどり着いた僕らは、そこで初めて外気に触れ、そのあまりの寒さに、一度はあわてて建物に駆け戻った。
ジーニー・ルカの『低温』という忠告を甘く見すぎていたことを反省し(それでもセレーナはもこもこのダウンジャケットを着込んでいた)、いまさら引き返せないので僕は薄手の長袖シャツを重ね着しただけの姿で寒風の中にもう一度突撃した。
僕らの目的地、リュシー総合反重力研究所へは、地上バスでのアクセスとなる。
宇宙に冠たる反重力研究所なのにどうして地下鉄さえも通っていないんだろう、と最初は思ったが、バスが町を抜け、舗装も怪しい砂漠を突き進み始めて、これは地下鉄を通すのは無理だな、と理解した。
研究所は、砂漠の真ん中に突然現れた。
ざっと見ただけで二十前後の建物が並んでいる。周りをいくつもの柵で区切られた謎の平地区画で囲まれている。
バスは研究所の総合受付に直接横付けしたため、僕らが再び寒い思いをするのは一瞬で済んだ。
僕は部外者用と札のある受付に並んだ。
「ようこそ、ご用件を」
歓迎と用聞きを宇宙でもっとも短いフレーズにまとめた受付嬢の数語を受け、
「見学に来ました、紹介状があります」
と僕も手短に答えてIDと情報端末を差し出した。
拝見します、と言ってそれらを彼女は手に取り、紹介状の封を開けて中を読む。それから、僕のID情報を表示させ、僕らがオオサキ・ジュンイチとセレーナ・グロッソであることを確認して、端末とIDを僕に返してよこした。
「交換学生ですね。担当の職員が参りますので、あちらに座ってしばらくお待ちください」
彼女は笑顔でロビーの長椅子を指し示し、僕は、ありがとう、と言って、セレーナを連れて長椅子に座った。
「……って言うのね」
セレーナが突然ぼそりと言った。肝心の部分は聞き逃した。
「えっ、なにが?」
僕が訊き返すと、
「なんでもない」
そう言い捨てて、顔を向こうに向けてしまった。
いよいよ、僕は嫌われたのか。愛想笑いさえ消えるなんて。
十五分ほど待たされた後、僕らを案内するという担当者が現れた。ビクトリア・ミッチェルという名の背の高い黒髪褐色肌の若い女性だった。
***
「技術史研究の学生さんだそうで?」
どこだか分からない目的地に向かう途上で、ビクトリアが言った。
「え、あ、はい、マジック技術の歴史を知りたくて」
僕が答えると、ビクトリアは笑顔でうなずいた。
「そういうタイプの学生は珍しいんですよ。マジックといえば当世花形技術でしょう。みんな、最新の推進エンジンの研究をしたがるんですよ。実を言うと、私もそうなんですけどね」
彼女がそう言って廊下の角を曲がり、僕らもそれにならったところに、『資料室』という札が見える。
「そんなわけで、私も技術史を直接案内は出来ないの。ごめんなさいね。こっちの権限カードをしばらく貸し出すから、資料室で好きな資料を使って」
彼女が差し出した真っ白のカード。IDのような分厚い機能性カードじゃなく、本当に純粋なメモリだけの機能しかなさそうなカード。その大きさは、単に落として失くさないためだけに選ばれた大きさなんだろう。
「ありがとうございます」
礼を言ってカードを受け取る。
「それで資料室の出入りも出来るけれど、他の部屋に入ろうとしないでくださいね。アラームが鳴ってしまいますから。ほかに見たいものがあったら、私の端末を呼んでくださいね」
と、彼女は自分の端末を示した。僕は彼女の呼び出し番号を自分の端末に控え、もう一度お礼を言ってから、資料室に踏み込むことにした。ビクトリアは僕らを見送ってから去っていった。
資料室は、古い紙の本だかバインダーだかが細かく仕切られた本棚にびっしりと並んでいることがまず一番に目を引く特徴となっていた。
もちろんインデックスくらいはつけられているだろうけれど、この紙を処理することを考えるとうんざりする。
一つの端末の前に座って、白いカードを差し込むと、ウェルカム画面が表示される。
「さて、ここで何をするかというと……」
もう一度すべきことを思い出す。
「マジック技術が歴史上兵器転用される可能性がなかったかどうかを調査すること」
口に出して言う。
「違うわ」
横合いからセレーナが低い声で言った。
「それは、アンドリューさんにここを紹介してもらうための方便。本当の目的は、『私たちが私たちのアイデアでマジックを架空の兵器に転用する』こと」
セレーナは自分の目の前の真っ黒なパネルをじっと睨みつけたままそう言った。
僕が何か考えようとする前に、彼女は僕の方に顔を向けた。パネルを睨みつけた鋭い目つきのままで。
「あなたはどこまで馬鹿なの? 本当の目的も忘れて。歴史研究ができるって馬鹿みたいに浮かれちゃって」
なんだか、いつも僕を馬鹿と罵っていたのとは違う迫力に、僕は何も言い返せない。
「あなたにとっちゃレクリエーションかもしれないけれど、私にとってはとても、とても大切なことなの。私の王国が、いつかこのことで危機になるかもしれないって。何の責任もないあなたには分からないでしょうね、こんな気持ち。私にしかできない、私がなんとかしなきゃならないって焦るこの気持ち! あなたが秘密だって言うから、私はその約束を守りたいと思って、ずっと秘密にしてきたの! なのにあなたはなによ! ふわふわ落ち着きがなくって! すぐに私のせいにして! ちっとも責任を感じてない!」
顔を真っ赤にして涙をためて怒る彼女に、僕は何も言い返すことがない。
「……ごめん」
やっと搾り出した言葉に。
「謝るなっ!」
セレーナの怒号。
彼女がこんな怒り方をするなんて。
僕は思わず息を呑んだ。
セレーナは、視線を黒いパネルに向けて、黙り込んだ。
三分ほどもそうしていただろうか。
セレーナは椅子を蹴って立ち上がった。
「言いすぎた。ちょっと頭冷やしてくるわ。このことに関してはあなたを信用してるから、好きなように調べてて」
そう言って背を向けて資料室から出て行った。
もちろんその後、僕の資料あさりの仕事にはまったく身が入らなかったことは言うまでもない。
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