第一章 偽りを求めて(2)
びっくりしたことに本当に屋根に降ろされた。
実のところ、時間をかけたくないのでこうしてくれと頼んだのは僕だったんだけど。
だから、屋根に降ろされたことに文句を言う筋合いは無いわけで。なんだけど、斜面に建つ家の屋上に吹き付ける風はあまりに冷たくて、何度か一人で悪態をついていたと思う。
メンテナンス用の梯子で降り荷造りをして、引き出しにしまったままだったジーニー・ルカの音声インターフェースを取り出し、また梯子を使って屋根に上った。
ドルフィン号の姿が見えなかったが、音声インターフェースの電源を入れて声をかけると、あっという間にはるか高空からすいーっと降りてきて、タラップに僕を引っ掛けると、またまたあっという間に飛び上がった。
荷造りをしながら考えたことは、ただ時間稼ぎで逃げ回るのではなく、やっぱりまだ今までに見ていない何かを少しでも見つけよう、ということだった。
今まで、ただ家にこもって、あるいは図書館にこもって、やっていたようなこととはまるで別のことを。
それは、セレーナとドルフィン号とジーニー・ルカがいるからこそ出来ることなのに違いなくて。
そうして思いついたことを、ようやく人心地ついたところで切り出した。
「セレーナ、僕は、北米大陸にあるクレーターを見に行ってみようと思う。正直に言うと、僕はこの小さな列島から一歩も出たことが無くて、そのクレーターも、知識として知っているだけなんだ。だから、まず、自分の目で見てみたい」
僕が言うと、
「……相変わらず、歴史のことになると別人みたいに行動的になるわね、あなた。才能無いからやめとけって忠告はしたはずだけど」
「才能があるか無いかはやってみて考えるよ。僕は君が言うみたいに馬鹿だからさ、じたばたするしか能が無いんだ」
「私はあなたのことちっとも馬鹿だなんて思ってないわよ、まるで私がデリカシーの無い人間みたいじゃない、失礼ね」
そうだったっけ。顔を合わせるたびに平均十回前後、僕を馬鹿と罵っていた気がするけれど。
「とりあえずほかにやることないし、せっかくだから地球観光くらいさせてもらうわ」
と、僕の案を、観光の誘いと受け取ってセレーナは同意した。
そうしてセレーナが命じるや、船は一旦高度を大きく上げ、翼を広げて滑空しながら遠くの目的地に向かって走り始めた。
「マジックでひょいと行けばいいのに」
「馬鹿ね、地球じゃ補給できないんだから、燃料は節約しなきゃ」
僕の疑問に、セレーナは実に現実的で俗な返事を返した。
マジック、俗に言えば反重力推進。実際は、船体を取り囲むように配置されたマジック鉱を使った反重力デバイスのそれぞれで正重力と反重力を超高速で位相をずらしながら振動させ、船の重力感受性に大局的な傾斜を持たせるもの。そうすると、宇宙のそこかしこにある重力ポテンシャルの傾斜に反応して好きな方向に推進できる。重力の帆を上げて重力傾斜間に吹く重力の風を受けて進む帆船、というのが安直なイメージだと思う。
実は、前の事件が終わってから、ちょっとだけ勉強した。マジック推進のエネルギーは、電力。この船はきっと超小型の核融合電池で動いているから、必要なのは核融合燃料ってことになると思う。
確かに、地球では、乗り物に核融合電池を載せるっていうアイデアがあまり無い。核融合で生み出した電力でわざわざハイドロカーボン燃料を合成して、それを積み込んで燃焼させている。ジーニーと同じで、核エネルギーに対してもちょっとしたアレルギー反応を起こす人々が多い。だからきっと、核融合燃料をその辺のスタンドでちょいと入れるってわけにはいかないだろうな、とは思う。
一度のマジック推進でかなりの高度まで上がった後は、自由落下に任せ、薄い大気を翼に受けながら徐々に速度を上げていく。だんだん大気が濃くなるに連れて、翼がごうごうと大気を切り裂く音は大きくなっていく。
窓から覗いた眼下には、真っ青な海がどこまでも続いている。太平洋をこんな形で見たのは、恥ずかしながら初めてだ。何百光年彼方の星々を駆け巡っていたこの前までの自分とのアンバランスを感じる。
最初の加速が尽きて、もう一度マジックで空が真っ暗に見えるほどの高度まで上昇し、再び高速の滑空。
やがて、遠くに北米大陸の西岸が見えてくる。
たっぷり四時間はかかったと思う。
その間、僕は、セレーナと、あの後のことをたくさん話した。
話せなかった時間を取り戻そうと、どんな些細なことでも話の種にして、話し続けた。
実のところ、セレーナはこの時間を作りたくてわざと通常飛行を選んだんじゃないかと思ったくらいだった。ま、それはきっと僕のうぬぼれに過ぎないんだろうけど。
僕は、ちゃんと高校に復帰したこと、相変わらず数学の授業はつまらないこと、歴史研究者の夢はちょっと保留にしたこと、マジック理論とジーニー理論の本を買ったこと、親父の創作料理の珍しい成功作品と数々の失敗作品のこと、何ヶ月かぶりの母さんの帰宅のこと、とにかく思いつく限りを話した。
彼女は、あれからもロックウェル連合国との間にはいろいろと面倒が起こって、彼女が出て行くとさらに面倒になるからと王宮に押し込められていたこと、ここぞとばかりに押しかけてきた家庭教師たちをどんな風に煙に巻いたか、ロックウェル艦隊を追い返した英雄王女にわずかでも覚えめでたくあろうと野心むき出しで謁見を求めてくる有象無象の貴族連中をどんな風にあしらってきたか、それから、自らの無事を報告し加護に感謝するために母の墓前に花を捧げに行ったこと。
ちっとも話が出てこなかったから変だなとは思っていたけれど、訊くのもはばかられた彼女の母の話。でもそのことはたった一言で語られ、それ以上、彼女はそのことに触れなかった。だから僕もそっとしておくことにした。
そして、ドルフィン号は、遠くにクレーターが見える位置にまで到達し、再びマジック機関の唸りを上げてホバリングを開始した。
***
険しい山間に、突然現れる巨大な円形の窪地。針葉樹がびっしりと覆っているが、それでもその巨大な造形は隠しようがなかった。
直径約三キロメートル、深さは一番高低差のあるところで五百メートル以上はある。僕の知る資料によれば、一番長いところでは差し渡し四キロメートルに近い。少しいびつな形なのは、元々の地形がでこぼこだからで、その底面の形は、ほとんどきれいな球面を形作っているように見えた。
「……実際に見ると、すごいものね」
セレーナが窓際に歩み寄り、感嘆したように言う。
「人類が作った最大のクレーターなんだ」
ほかに言葉が見つからず、僕は彼女の後ろから、観光キャッチフレーズとほぼ同じ一句を口にしていた。
「ねえ」
向こうを向いたまま言い、それから、ゆっくりとセレーナはこちらに振り向いた。
「本当かしら。核融合発電所の爆発で、こんな……」
彼女の言葉に、僕も背筋がぞくりとする。
そう、僕が、一番最初に、これが宇宙人による究極兵器の一撃かもしれないと思ったその感情が、そのまま彼女の口から出てきたからだ。
僕だってそう思った。
公式の歴史は、核施設の大事故だった。
でも、いくらなんでも、こんな破局的な爆発が、単なる事故で起こるなんて。
だからこそ、現代人が誰も想像だにしないような圧倒的破壊力の兵器を想像したんだ。
その答えは、ジーニーだった。
僕はそう確信した。
ジーニーの圧倒的な情報処理能力。赤子に等しい地球のジーニーは宇宙人のジーニーに圧倒され、核融合炉を史上最悪の爆弾に作り変えてしまった。
その結果がこのクレーター。
そう思っていた。でも、この威容を目の前にして、その確信も揺らぐ。
本当に、これほどの圧倒的破壊力が、何重もの安全装置で守られた核融合炉から生まれうるだろうか。
「僕だって核エネルギー技術に明るいわけじゃないから、何とも言えないけれど……たくさんの学者がそう言ってるんだから、そうなんだと思う」
「定説なんて嘘ばっかりだ、なんて言ってたあなたの口からそんな言葉が出るなんてね」
言いながらセレーナはくすりと笑い、もう一度窓の外に目をやった。
「それで? ここから何を見つけるの?」
彼女の言葉に、僕は何も言えない。
ただ圧倒されるためだけに来たのかもしれない。
これじゃ、ただの観光者だ。
いや、セレーナは最初からそのつもりだったかもしれないけれど。
「わからない。だけど、きっと素朴な疑問がアイデアになるんじゃないかな」
定説を覆すときは、その原点は必ず素朴な疑問だ。きっと。
セレーナは相変わらず、窓の外をじっと眺めている。
僕はその肩越しに、改めてクレーターを眺める。
そもそも、僕らの目的は『でっちあげ』だ。真実を探るんじゃない。真実に近い嘘を作ることだ。
その嘘に、何か必要な条件があるはずだ。
「……考えたんだけど」
セレーナが口を開く。
「もし私たちが偽の究極兵器を作るなら、それはきっと『エミリア王国だけが持つ』ってことじゃないとならないわよね」
彼女はまるで僕の思考を読んでいたかのように。
僕が悩んでいた、嘘の条件を一つ、挙げた。
「そうか。エミリア王国といえば」
「マジック鉱よ」
聞くまでもなかった。
マジック推進に必要な特殊な鉱石『マジック鉱』は、惑星エミリアでしか産出されない不思議な鉱物だ。
この鉱石を巡って、過去数百年間、数多の大国がエミリアに野心を持った。
一方、この鉱石を独占しているからこそ、たった三惑星を支配するだけのエミリアが、歴史上の大国や宇宙一の領土を持つロックウェル連合国の度重なる圧力に抗して独立を守ってきた。
最初から明確だったんだ。
究極兵器は、マジック鉱、マジック技術に関するものじゃなきゃならなかったんだ。
「すると、この穴を見ていると、おかしな幻覚が見えてくるね」
僕はちょっとその妄想があまりに突飛すぎて、吹き出しそうになるのをこらえながら言った。
「おかしな? どんな?」
セレーナが振り向く。
「いやね、この巨大な空間を丸ごと反重力化して宇宙に吹っ飛ばした、なんて妄想が成り立たない?」
僕が言うと、セレーナはもう一度窓の外に顔を向け、そして、大きな声で笑った。
「あははっ、ふふっ、さすがジュンイチね。そんな馬鹿な妄想、私は考えもしなかったわ」
「し、失礼な」
「でも、良いんじゃない? マジック技術、ちゃんと勉強してるでしょう?」
セレーナが僕の方にまた向いて、それから、睨み付けるようにそう言った。
「僕が? マジック技術を?」
「言ったでしょ! あなたに歴史家なんて向いてないから数学かなにかの道に進みなさいって! 本も買ったなんて言ってたくせに」
「そうだとしてもまだ言われてついこの間だよ、無茶な」
「何が無茶なもんですか。この私がそうしなさいと言うんだからそうしなさい」
「僕に拒否権は」
「ありません」
王族の責務は平民の権利を守ることだとかなんだとか偉そうなことを言っていた割には、ひどい人権侵害だと思う。
「マジックについての入門書は確かに買ったけどさ、これは基礎理論というよりはやっぱり歴史に関係することだと思う。つまり、マジックの歴史、技術史。その辺に詳しい人を見つけなきゃ」
実際のところ、今現在使われているマジック推進理論をいくら勉強しても無駄だと思う。マジック理論の根本を完全に理解するか、さもなくば、歴史上繰り返されたいろいろな試行錯誤を知るか。前者はちょっと勘弁願いたいところであるわけで、僕は後者を提案することにしたのだった。
「当てはあるの?」
「もちろん、無い」
僕がきっぱりと答えると、セレーナは大きなため息をついた。
「じゃ、あれは? 惑星オウミの歴史学のお友達」
惑星オウミの?
そう言われて思い出した。
そうだ、究極兵器を探す旅でたくさんのヒントをくれた、歴史研究家のアンドリュー・アップルヤード。
そう、確かに僕にはとっかかりがある。
どんなコネクションも無駄にはならないわよ、と、いつか僕を叱りつけたセレーナの言葉を思い出した。やっぱり彼女の言うことは正しくて、僕の考えは浅すぎて。
しかし、そんな自己嫌悪はとりあえず置いていこう。
「……となると、また宇宙の旅だね」
「そうね、じゃ、またしばらくよろしく、ジュンイチ」
と、彼女はまだ僕が行くとも行かないとも言わぬうちに出発を決定し、僕に握手を求める右手を差し出した。
僕がその手を握り返したことは言うまでもない。
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