第七章 王女様
■第七章 王女様
帰ったとき、久しぶりに母さんも家にいた。何かを知っている風だったけど、お友達との旅行は楽しかった? とだけ、訊かれた。僕はただ、うん、と答えただけだった。僕が出かけたことを、親父はどうやら、『悪友』とつるんで出かけたんだということにしていたらしい。親父の機転には感謝するしかない。その親父は、僕に顛末を尋ねさえせず、いつもどおり料理道楽にふけっていた。
家に帰ってきたときに握り締めていた黒く小さな四角い機械は、あれ以来、机の引き出しにしまったままだ。
歴史の研究者になりたいという思いは、ちょっと保留にした。僕は学期開けに渡されていた自分の成績表をじっくりと眺め、その考査結果とあの王女様の言葉の奇妙な一致を見出し、それから、少ないお小遣いでマジック物理学とジーニー理論の入門書を買った。僕のクレジット余力は三十一クレジットしかなかった。
二週間も休んでしまってからの学校は、ちょっと新鮮だったけど、やっぱり数学の授業はつまらない。やり方が分かりきっている問題をどうしてこう何度もくどくどと解くのか。最初から最後まできっちりとルールが決まっていて、それ以外の解釈が無い世界。ルールを全部覚えて片っ端から当たるだけでたいていの問題は解けてしまう。しかも、その問題も、誰かが僕らを困らせるためだけに作った問題。解けたところで何も発見は無い。
僕と同じように秋休みから続けて二週間休んで、同じように放課後の圧縮補講を受けているクラスメイトが三人もいて、僕のサボりはそんなに目立たなかったのはありがたい話だ。
もちろん、秋休み明け初日に僕が登校していたことを知っている人を除けば、だけど。
クラスでもそんなに目立たない僕のことを気にしていたのは、いつもの三人、毛利、マービン、浦野なのだった。
ただ、僕も今度は抜かりない。この三人には、出かける直前に、ちょっと親類で手のかかるヘルプ要請があったから、とメッセージを送っておいた。だから、彼らも特段僕の不在を不思議がることも無かったようだ。
「……で? 親戚の王女様のごたごたは、片付いたのう?」
唯一、出かける前におかしな話を聞かせていた浦野だけが、こんなことを僕に聞いてきたくらいだ。
親類のごたごたと王女様の家出が見事に混ざっている。あれか、僕は王女様を親戚に持つ貴族なのか。
「まあ、ね」
小声で返すと、浦野はまたぼんやりと窓の外に目を向けた。
涼しい秋風が吹き込んできて、公園の木々の鮮やかな紅葉が午後の陽光をきらめかせている。
彼女の席は窓際、僕の席はその隣の一列内側だ。どういうわけか、彼女は、僕と一緒に圧縮補講を受けている。彼女いわく、もうちょっと成績上げなきゃまずいから、なのらしい。貴重な補講を復習の機会として積極利用する姿勢は大変すばらしいとは思うのだけれど、こんな風に小声で話しかけてきたり窓の外を眺めたりと、まともに聞いている風ではないのが実に残念。
「王女様、空から来たって言ったっけ?」
浦野の言葉に、僕はくすっとする。
まともに信じてなかったくせに。
「個人用宇宙船でひゅーん、ってね」
僕が返し、彼女を一瞥したとき、やっぱり彼女は窓の外をじっと見ていた。
「白い宇宙船?」
「……白い、かな」
何の話だろう? どこかで見られていた?
「ちょっとイルカっぽい外見で」
あ、確実に見られてたな、これ。
「どこで見たんだよ」
僕が尋ねると、
「……今」
言ってから、浦野は呆けたような顔で振り向いた。
僕は思わず腰を浮かせ、浦野の席に寄って、上を覗いた。
浦野の言っている意味を、諒解した。
もともと無地で真っ白だったはずの船体に、オレンジ色の美しい筆記体で『ドルフィン』の文字。
この宇宙でたった一機、僕が名づけた宇宙船。
魔人を乗せ魔法で飛ぶ、僕の知る最も高貴な王女様の船。
それが校舎の上空に浮かんでいたのだ。
ややあって、ほとんど音も無くまっすぐに校庭に着地した。
僕は思わず窓枠に飛びつき、顔を出す。
間もなく、機体の下から、懐かしい姿が現れた。
彼女はくるりと校舎を見渡し、僕の顔を見つけると、飛び跳ねながら手を振る。
「あ、いたいた! ジュンイチ! やっぱり困ったことになってるの! どうして何度も呼び出したのに返事しないのよ、馬鹿! 王族の優越権をもって命じます、とっとと来なさい!」
僕は自分がどんな顔をしているか分からなかった。
意識するより早く、僕は浦野や教師の制止を振り切って駆け出していた。
●●● 魔法と魔人と王女様 第一部 完 ●●●
★第一部あとがき★
第一部はこれで完結です。
第一部ですべての謎が解けたように見えますが、実は何一つ解決していません。
それは第二部~第三部で徐々に明らかになっていきます。
第二部では、第一部でちょい出演の主人公ジュンイチのクラスメイトたちと準ヒロインが活躍しますよ。
さらに、最終部までの物語の核心を握る二人の重要人物も。
もうしばらく退屈な話が続くかもしれませんが、どうぞお付き合いください。




