第六章 魔人(2)
僕とジーニー・ルカの会話から五分もしないうちに、艦が突然加速して僕とセレーナは壁に押し付けられた。いや、方向から言えば、ベルナデッダに向けて進軍していたその速度を急激に小さくしたと言うべきだろう。進軍が止まったのだ。
さらに五分。扉の外の通路にあわただしい足音が響いてくる。
がちゃりと錠を外す音。扉が勢いよく開き、飛び込んできたのは、サイラス提督だった。
「何をした」
彼が僕に尋ねた。
彼は、僕が何かをやったらしい、ということに気付いたようだ。
彼の勘がいいのか、あるいは、この艦のジーニーが彼にそう伝えたか。
どちらでもいい。
「ずっと隠していた事実を話した。あなた方の艦のジーニーたちに、ね」
僕はできるだけ平静に、そして不敵に、笑いを顔に浮かべる。
「僕の思った通りのことが起きているようですね」
「……我々のジーニーは、突然、第一級の危険を察知して進軍の緊急停止を決断した」
彼の言葉にぼくはうなずく。
「でしょうね。これだけは最後まで使わないでおければよかったんですが」
余裕を見せつけるために、言葉を切って鼻息でため息をつく。
「エミリア王国には、かつて地球を滅ぼしかけた究極兵器がある。あなた方がこれ以上進軍すれば、その究極兵器は、ロックウェル連合国に向けられるかもしれない」
サイラスは、腰の銃を抜いた。その形は、神経銃なんていう生易しいものではない、人間なら一瞬で蒸発する熱針銃だ。
「それは何なのか、言いたまえ」
銃の照準を僕に向ける。
「もう一つ、今あなたが着けている通信機を通して、あなた方のジーニーにお教えしましょう。その究極兵器は」
僕は、少しもったいぶってもう一度言葉を切り、口元をゆがめて笑いを浮かべて見せた。
「――それは、実を言うと、セレーナ王女殿下が持っているんです。殿下の命令でいつでも動作可能な状態で、あの小さな宇宙船に装備してあるんです。嘘だと思うなら、僕の言葉をあなた方のジーニーで分析してみればいい。でも、僕か殿下を傷つけようとすれば、すぐさま、残ったほうが報復のためにそれを使います」
「ジーニー! 彼の言葉を分析せよ」
サイラスはひるみ、ジーニーの判断を仰いだ。それこそが狙いだ。ジーニー・ルカが教え込んだ『真実』を鵜呑みにしているはずの艦隊ジーニーの出す答えなんて、分かりきっている。
即座に、と言うほどではなかったが、彼のヘッドホンに何らかの答えがあったようだ。
そして、サイラスは、銃を下げた。
「……何が望みだ」
苦々しげに、彼は言葉を噛み出した。
「戦争の停止。僕らを、解放すること」
「戦争は停止した。我々の艦は完全に沈黙した」
僕は笑みを浮かべた顔を崩さないように、ゆっくりとうなずいた。
「君たちの開放については……本国の判断を仰ぐ」
「そんな時間は無いと思いますよ、エミリア王国の王女殿下は少々短気であらせられる」
僕が言うと、彼の表情がこわばった。もちろんこれも嘘じゃない。敵のジーニーに分析されても平気だ。
「少し、待ちたまえ」
彼は言うや、矢のように飛んで部屋を出て行った。
セレーナのほうを振り向くと、何かを言いたそうな目をしているが、僕は首を横に振った。そして、堂々と、と小声で伝える。彼女はうなずいて、顔を上げた。
そして五分弱、サイラスが戻ってきて、ついてきなさい、と僕らを連れ出した。
廊下を何度も曲がりくねっていく道は、最初に僕が連れられて来た道だ。最初に通ったハッチは閉じられていたが、それが開けられると、与圧された格納庫があった。
中には、なつかしのイルカ型宇宙船。
セレーナの無言の命令ですぐに宇宙船のタラップが下りた。
「これで、去れということですわね?」
セレーナが確認のためにサイラスに問うた。
「その通りだ。我々のジーニーは、これ以上、我が艦隊に危険物を載せておくわけにはいかんと判断した。すぐに立ち去りたまえ」
無重力にもかかわらずセレーナは優雅に一礼した。これも無重力社交術の一つなのだろう。
僕はセレーナと一緒にタラップに飛びついた。
タラップが閉じ、僕らはなつかしの操縦席。
やがて、格納庫が排気される轟音が響き渡り、それはすぐに静寂に変わった。外部モニターには、後方に大きな出口が開いたことが表示された。
ぶつからないよう慎重に滑り出し、艦を離れた瞬間にマジック機関の全力運転を開始すると、僕らの閉じ込められていた宇宙戦艦の姿は一瞬で点となって闇の中に消えていった。
***
宇宙船は、ベルナデッダに向かう航路上をゆっくりと進む。
急ぐ必要は無い。
もうロックウェル艦隊の脅威は消えたのだ。
僕は、あの戦艦を出てからもう一つ、ジーニー・ルカに命令を付け加えていた。
即座に武装解除しなければ、僕らはすぐにこの船でエディンバラに乗り込んで究極兵器を使う、という宣言を、ロックウェル艦隊に届けさせたのだ。
反応したのは艦隊のジーニーたちで、ジーニーたちは各艦のアタック・カノンとミサイルの残弾を虚空に吐き出し、一斉に自壊させた。突然、漆黒の宇宙に目を見張るような数多の花火が開いたのが、僕らからも見えた。
ジーニー・ルカが知っている半径数キロメートルのクレーターという情報の威力がそうさせたのだ。必ずそうなるという自信はなかったけれど、『理解不能の威力を持った究極兵器』は、古代の地球を降伏させたのと同じように、ロックウェルの小さな艦隊を降伏させた。
船内にしばらく会話はなかったが、ようやく、セレーナが口を開いた。
「……どんな魔法を使ったの?」
彼女はぼうっと前方の床を見つめたまま。
「魔法じゃない。僕は、究極兵器を使ったんだ」
「そんなものは存在しないのよ。……え? 使った?」
彼女が驚いて僕の顔を見る。
「ジーニー・ルカ。しばらく目と耳を閉じていることはできるかな。これは君に聞かせたくない。十分間」
「かしこまりました」
ルカの返答を聞き、彼がおそらくその通りにしているだろうと期待して、僕は真相を話すことにした。
「僕はずっと考えていたんだ。もし究極兵器があるとすれば、それは単に公式記録から失われているか、逆に、もしかすると僕らの生活にすっかり溶け込んでいるか。前者の可能性は、オウミの調査でほとんど否定されたと思う。そうすると、後者なんだ。だけど、もし本当に溶け込んでいるのなら、見つけるのはすごく困難になる」
セレーナもうなずく。
「だけど、僕には少し違うものが見えていた。この旅では、どこに行ってもそれがあった。けれど、それは、地球ではほとんど存在しない。君がそれを持っていることに僕がひどく驚いたのも、そのせいなんだ」
「私が?」
「そうさ。言っただろう。『僕はそれを見つけた、それはエミリア王国が持っている、セレーナの一言でいつでも動く』と」
「あれは、あなたの演技なんじゃないの? 私、感心していたのよ。ジーニーさえだましたあなたの演技が、この危機を救った、って。あなたのどこにそんな能力があったのか、って」
彼女は少し興奮している。流していた涙はとっくに乾いていて、その瞳の色は、僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、僕への尊敬の光をたたえているように見えて、少しこそばゆい。
「僕にそんな能力は無いよ。演技じゃなかった。心底、そう思っていた。それに、あらゆる傍証がそれを示していた。だから、真偽判断にうるさいジーニーもそれを事実と認めるに至った」
僕が言うと、セレーナは首を何度も横に振って、
「だったらなおさらおかしいわ。私はそんなもの持ってない」
このまま、彼女にも隠しておいても害は無いかもしれない。
けれど、僕は、この秘密だけは彼女と共有しておこうと思っていた。
僕が見つけた真実。
「君は持っているんだ。そして今、僕らの話を聞かないよう目と耳を閉じている」
「ジーニー……!」
セレーナは半ば席から浮き上がって驚きの表情で僕を見つめた。
「僕は、ジーニーこそ、究極兵器だと知ったんだ。今、地球ではごく限られたところでしかジーニーを使っていない。それは、地球がジーニー科学の上で遅れていたからということと、もう一つ、潜在的にジーニーに対するアレルギーがあるからなんじゃないかと思う。それは、ジーニーが究極兵器として地球に一撃を食らわせたからじゃないかと思うんだ」
僕は一度言葉を切った。喉が渇く。
「ジーニーの歴史は、僕はよく知らないけれど、今の不均衡から考えても、地球じゃない場所で生まれたんだと思う。だから、ジーニー科学の進歩は、宇宙と地球の間に雲泥の差があった」
言いながらベルトを外してふわりと立ち上がり、キャビンの飲料ボックスから勝手にミネラルウォーターを取った。セレーナにもジェスチャーだけで尋ね、首を縦に振ったので、一つを投げて渡した。
「僕は驚いたんだよ。ジーニーの能力に。最初、君は実にこともなげに、君の信用情報を僕のIDに付け替えた。あんなこと、普通にやったんじゃできっこないんだ。ジーニーがいかにすさまじい情報処理能力を持っているか、ってこと。そしてもうひとつ、不正なことだと分かっていても、所有者の意思を汲んでどんな悪行でもやってしまうこと。おとぎ話のランプの魔人そのものじゃないか」
セレーナは受け取ったミネラルウォーターのボトルのキャップを外し、しかし、僕の話に聞き入って口に含むのを忘れている。
「ジーニーに関してよちよち歩きを始めたばかりの地球に対して、最先端のジーニーをぶつけたら、どんなことだってできる。そう、たとえば、核融合発電所に嘘の物理法則を教え込むことだってね」
言いながら、席に戻って、ボトルの口を開け、喉を潤した。
「えっ、ってことは、つまり……」
「僕の想像に過ぎないんだけど、大昔の宇宙側のジーニーは、それをやったんだ。突然この宇宙の物理法則が変わる、核融合の燃焼パラメータはいきなり狂い、過大な燃料を炉の中に一気にくべる、すると」
「大爆発」
「公式記録では、あの場所では核融合発電所の大事故があった、とある。どこにも矛盾は無い」
「その圧倒的なジーニー科学力の前に地球は降伏せざるを得なかった」
「そう」
「そして、さっきあなたが使ったのは、ジーニー・ルカを使った情報攻撃」
「その通り、僕は究極兵器であの艦隊を撃退したんだ」
セレーナにも完全に理解できたようだった。
ジーニーこそが、究極兵器だったのだ。
おそらく今も、宇宙人には、地球のジーニーを圧倒して地球を完全に機能不全にするだけの力があるだろう。そのことを、みんな忘れているだけなのだ。
「ジーニー・ルカが、君の教育のおかげで不正操作を嬉々として請け負う悪党になってくれていたおかげで、簡単だったよ」
「ちっともほめられている気がしないんだけど」
セレーナは苦笑いしながら言い返してきた。
「一番ついていたのは、ジーニー・ルカが艦隊ジーニーたちを直接だませる位置にいたことだけど」
僕が言うと、セレーナはうなずく。それからはっと顔を上げて、
「じゃあやっぱりあなたは嘘をついていたのね。『それをエミリア王国だけが持っている』って」
僕は思わず、くっくっ、と小さく笑ってしまった。
「いいや、僕は嘘なんてついてないよ。僕は『エミリア王国がそれを持っている』とは言ったけど、ほかの国が持ってない、なんて言ってないんだ」
セレーナはあっけにとられて僕を眺めている。それからボトルの水を一口吸うと、
「ペテン師!」
と叫んでボトルを僕に投げつけた。
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