第六章 それぞれの明日(1)
■第六章 それぞれの明日
カノン基地の外殻に、ドルフィン号がドッキングした音が響いた。
それに合わせて、僕ら五人は、備え付けの飲料水ボトルで乾杯した。
すぐに星間通信をリュシーにつなぐ。
そこに出た、スコット、ルイス、ビクトリアたちも、すでに状況を知っているようで、手に手に琥珀色の液体の満たされたグラスを持って待っていた。
考えてみれば、『宇宙のすべてのエミリア市民に向けた緊急放送』、それは当然、エミリア市民ルイス・ルーサーにも伝わっていたはずなのだ。
僕らは改めて、彼らも含めて乾杯をした。
『うまく動いたようだの』
画面の中で顔をほころばせたスコットが言う。
「ええ、完ぺきでした」
『技術史に残る快挙だろうが……ま、誰にも真相は話せないということになろう。少なくとも、私は誰にも話さんよ』
と、ルイス。
「話したくなったらいつでも。これは博士の成果です」
セレーナが微笑む。
『ふっふ、ビクトリアに伝えて、満足することにするよ。そして、優しい王女殿下の治世のエミリアに戻ることにしよう』
「密出国の罪には問われないように図らいますわ。いずれチケットをお送りします。……ビクトリアさんは、どうしますか?」
唐突に、セレーナがビクトリアに話を振る。
あれほどにルイスを慕っていたビクトリア。
きっと、ルイスとともにエミリアへ。
だから、セレーナは、望むなら彼女の出国にも便宜を図ろうと、そう言うのだろう。
ビクトリアは、ちょっとうつむいて、それから少しはにかんだような表情で顔を上げた。
『先生と行きたいと考えていました。……でも、私は、この研究所を守ります』
横からそれを見ていたルイスが、深くうなずく。
師弟の深い信頼関係。
なんて言葉にしてしまうと安っぽくなってしまうな。
けれど、ビクトリアも、自ら切り拓く未来を見つけたんだ、と思って、僕は少しうれしくなった。
『わしはペンギンどもの世話をしに帰らねばならんからの、そっちの手配もよろしく』
「ええ、すべて手をまわしておきましょう」
彼らのこのやり取り、この感じ、なんだか、僕はもう、ルイスやスコットやビクトリアに会うことはないのかもしれない、と感じていた。
でも、誰かと別れたり再会したりなんてのは、最初から最後まで決まっているようなものじゃない。
別れたはずのセレーナとも再会して、こんな旅を一緒にできた。
ルイスにだって再会できたし、アンドリューだって。
生きていれば、きっとまたどこかで交わる。
「じゃ、凱旋行進と行きましょうか、目的地は、エミリア」
そう言って、彼女は通信のための彼女自身のIDをパネル横のスロットから取り出した。
彼女が、エミリア王国王位継承権第一位、国王第一息女セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティであることを証明する、奇跡のシステムが発行したパスポート。
「そう、堂々とね」
僕が言うと、彼女は首をかしげるようにうなずいた。その顔はまた格別にきれいで、僕の心臓に大ダメージを与えた。
***
エミリアが目の前に迫っている。
あらゆる通関が、セレーナのIDを見て、どうぞお急ぎください、とドルフィン号を通した。
何度目かになるエミリアの青い大気の縁を潜り抜けると、大地と海が見えてくる。
大地の一画に、エミリアの首都がある。
海から首都の真ん中にある王宮に向かって、ドルフィン号をゆっくりと滑らせる。
王女の凱旋を、よりたくさんの国民に見せたい、と言うセレーナの希望を叶えるために。
高度は数百メートルを保っていたものの、街が白とオレンジで埋め尽くされているのが見えた。
ドルフィン号を見つけるとさらにそれを振り回し投げ上げ、大変な騒ぎが起こっているように見えた。
その騒ぎのさざ波はドルフィン号とともにゆっくり移動し、王宮の門前広場に集まった人々のところで最高潮に達した。
そして、王宮内に消えていったドルフィン号に対して、彼らはいつまでもハンカチやらなにやらを振り回していた。
王族専用の駐機場にドルフィン号を下ろす。タラップを開けて、セレーナを先頭に、王女の騎士団が王宮の地を踏む。
高位の貴族たちがそれを迎える。
その一番奥に、国王陛下とロッソ摂政閣下の顔まで見える。
いかに王家を中心とした君主国家と言え、これだけの民衆の圧倒的な支持を無視はできないだろう。
彼らは、セレーナに対して深々と頭を下げた。
それは、セレーナこそ新たなる指導者と誰もが受け入れた証なのだ。
そして、再び、王と摂政と王女、三人だけの密談の場が設けられることとなった。
***
セレーナがいろいろと文句を言って、結局、彼女の騎士四人もその場に招かれた。
アルフォンソ国王陛下が先に深いソファに座り、セレーナが向かいに、ロッソがセレーナから見て左に、続けて腰を下ろす。
王女を守る騎士団たる僕らは、とりあえず立ったままだ。
立っていたからと言って何ができるってわけでもないけれど。
「セレーナ、よく無事で帰ったね」
陛下がまず口を開いた。
「パパ、心配をかけました。ですが、パパ自身の口から説明していただきたいことがたくさんあります」
「その前に殿下」
と、ロッソが割り込んでくる。
「此度の問題の決着をつけましょう」
「問題とは?」
「このウドルフォ・ロッソ、陛下のため、殿下のため、あまねく国民のためと信じ、謀略を巡らせました。この際陛下にも申し上げましょう。そのためには、お考えの異なる殿下の継承権降格もやむを得ぬと考え、アントニオ様やジュンイチ様との婚礼さえおすすめ申し上げました」
いつかセレーナが指摘したロッソの陰謀までをも、彼はこの場であっさりと認めた。
ロッソは下げた頭を上げずに続ける。
「しかし、国民は、殿下のお考えをこそ支持しました。となれば、陛下殿下を欺き此度の危機を無用に招いたこの摂政は、罪に問われねばなりますまい」
下げたままのロッソの頭頂を、セレーナはじっと見つめている。
彼の言葉の意味は。
――貴族弾劾裁判。
民衆から選ばれた陪審員たちが、貴族の横暴を裁く。
裁かれた貴族の行く末を、僕は聞いたことが無い。
けれど、その結果は、究極の刑をも示すかもしれない。
セレーナを圧倒的に支持する民衆に、セレーナを欺き続けた彼が、裁かれるのだ。
王族を除けば最高位の貴族たる彼とて、無事では済まないかもしれない。
セレーナは、何を考えているのだろう。
彼女の掌の上に、ロッソの命が転がりたゆたっている。
「……では、ここまでのことは、すべてあなた一人が計画したことだとおっしゃるのですね」
「御意」
一度顔を上げ、それからロッソは再び頭を下げた。
「――この私はそこまでの世間知らずではありません。摂政様一人のお力であれだけの軍を動かせるはずがございませんから。諸侯の多くが、摂政様のお考えを支持していらっしゃったのでしょう」
しかし、ロッソは首を横に振った。
それを見て、セレーナは、鼻で小さくため息をついて、表情を緩めた。
「結構です。今の私の言葉は無かったことにしましょう。しかし、国民の支持が無かったとはいえ、諸侯が団結して国家と国民を守るために断罪を恐れず私財をも投げ打つと決断したこと、そのことだけは誇りあるエミリア貴族の姿として、私の胸に深く、刻んでおいても、よろしいでしょうか」
「……御意に」
ロッソの肩は震えていた。
彼がどんな表情をしているのか、僕がここで推し量るのは、僭越と言うものだろう。
「……摂政様は、今はどうお考えですか。……たとえば、ルイス・ルーサーをロックウェルから引き抜き、その翼を奪って無為な人生を送らせていたことを」
セレーナは、もう一度、ルイスのことを口にした。
ここで、裁判を始めようと言うのか。
「……間違っていたとは思っておりません。科学者一人の幸福を奪うことで国家を守れるのなら」
「あなたなら、そのように答えると思いました」
「ですから、此度の件も、間違っていたとは考えておりません。今いる人々の子や孫が、より強く宇宙を生き抜くために必要なことだったと考えております。たとえ、今代の人々の幸福を制限することになっても、殿下を不幸にしようとも」
そしてようやくロッソは顔を上げる。
「殿下。民衆は、誇りを持って生き、戦うことを選びました。より大きな苦難の道を。殿下がそれを示したのです。彼らはそれを知らなくてよかったのに、殿下がそれを知らせてしまったのです」
その瞳は、セレーナと同じように、信念の炎で燃えているようだった。
「……摂政様、私は、その責を負わねばならない、そのようにおっしゃりたいのですね」
セレーナの言葉に、ロッソは、しっかりとうなずき、そのまま床に視線を落とす。
「殿下。私めは、摂政の位を退くことに決めました。今やこの国は、より強い指導者を得ました。生まれ持った幸運に頼って栄華を無気力にむさぼる国から、自ら力強く成長していく国へ、それを導く、新たな指導者でございます」
そして、彼は顔を上げる。
「次の摂政の位には、セレーナ王女殿下、殿下こそふさわしい」
隣の国王陛下も、微笑を浮かべてうなずいている。
「そして、この私めは、甘んじて弾劾裁判を受けましょう」
ロッソは最後に付け加えて、深く頭を下げる。
「摂政様のおっしゃりたいことはよく分かりました」
セレーナは一度言葉を切って、それから、かすかに首を横に振った。
「ですが、摂政様、摂政様はまだいなくなってはなりません。この私が失敗した時、私を罰するものが必要です。三公家の一角である、ロッソ公爵家当主こそ、その任にふさわしいと存じております」
その言葉に、暗く床を見つめていたロッソの瞳に、再び光が戻ってきた。
視線はゆっくりと翼を広げ飛び立ち、やがて、セレーナの瞳を射抜くまでに高く舞う。
「もちろんでございます。このウドルフォ・ロッソ、いつまでも殿下の背後から目を光らせ、隙あらば、その地位を奪い奉るおつもりでおりますれば」
セレーナは、くすりと笑った。
その牙と爪に力を失っていないロッソを見て安心したのだろう。
僕のような単純な人間から見れば、ここで政敵の息の根を止めてしまえ、なんて思うのだけれど。
そうではなく、セレーナは、自らの失敗を監視するものとして、それを残すことを選んだ。
王族は誰にも罰せられないから、といつか彼女が言った。
だから、自らを罰するものを、そばに置かねばならないのだ。




