第四章 開戦(4)
あれ以来の惑星ファレン。
それが、彼方に小さな円盤として見えてくる。
パネルに、衛星の位置を表示させた。
小さな岩石衛星。直径は数十キロメートル。
エミリア軍は、その周囲に陣地を作っている。
大艦隊同士の衝突となれば、手前に遮蔽物が一つでもあった方が有利だ。
敵艦隊が侵入してきたことを察知すればすぐに衛星の後ろに隠れ、張り巡らせたプローブのネットワークで敵艦位置を特定し、衛星をすり抜けて飛んでいく超光速の弾丸を撃ち込む。
敵プローブによる索敵は、衛星に阻まれてうまくいかないだろう。宇宙空間に対して戦艦はあまりに小さい。いくら遮蔽物をすり抜けるとは言え、やみくもにアタック・カノンを発射しても当たるはずもない。
エミリア軍にとっては鉄壁の戦術だ。
ただし、それは、せいぜい互角程度の戦力の場合だ。
ロックウェルがさらに兵力を増やし、挟撃するような戦術をとれば、むしろその巨大な岩石は居場所を知らせる良い目印になってしまう。
ロックウェルがその版図に散った全連合艦隊を集結させれば、いずれは、そのような形で開戦を迎え、エミリア軍は木端微塵にされてしまうだろう。
そうなる前に、止めなくちゃならない。
僕のオーダーで、ジーニー・ルカが、情報的に制圧済みのカノン基地に、偽の信号を送り始める。
カノンシステムの障害。サブシステムも停止。リスタート不可。
モニターしていると、カノン発射を待つ行列は乱れ、それから、多くの宇宙船が一旦カノン基地を離れて待機する。
次にエネルギーシステムの異常警報。
運用係員がいろいろな操作を試み、それが無駄と分かって発電設備に向かうのがモニターを通して見える。
無関係な係員の退避が始まる。
相変わらず核融合炉は危険のアラームを出しながら何の操作も受け付けない。
頃合いを見て危険レベルを一段階上げ、総員退避レベルに変更する。
そのありがちな事故の推移に、責任者は誤アラームの可能性をほぼ否定し、最後の係員たちも脱出用シャトルに乗り移り始めた。
基地内のすべての監視システムから人影が消えるまで、結局二時間十七分がかかった。
もし本当の破局事故なら、ちょっとこの対応はお粗末に過ぎるかもしれない。後日、再訓練が必要になるだろうな。
情報的に姿を消したドルフィン号を、カノン基地は歓迎した。
新たなる主を迎え入れた軌道上の白亜の城は、再びその城門を固く閉じる。
王女と四人の騎士を下ろした白いイルカは、カノンの砲身へと吸い込まれていく。
先頭を行く二人の武装騎士は、ついにその出番を得なかった。
赤じゅうたんで迎えてはくれなかったが、この基地は今や、気高き王女の支配下にあった。
***
カノン基地のコントロールルームで、各自、好き好きの席を選んで座り、ベルトを締める。
そのベルトを締めたとき、もう二度と戻れないかもしれないドルフィン号の船内を思い出す。
寝心地の悪いハンモックベッドも時々点かないことのある読書灯も、みんな懐かしく思い出す。
ドルフィン号のマスコット、ペンギンのぬいぐるみは浦野がだっこしている。寂しそうに頭をなでている。
僕は頭を左右に振って、感傷を追い出した。
今は、すべきことがあるのだから。
「マービン、リストは大丈夫だね」
「ええ、完全なリストをジーニー・ルカに与えてあります」
「ジーニー・ルカ、合図を何度か繰り返す。その度に、あらかじめ示しておいた接続先へつないでいって」
『かしこまりました』
今や、ジーニー・ルカの声を聴くことができるのは、僕の左腕の音声インターフェースだけだ。
「セレーナ、準備は」
「いつでも」
セレーナは真剣な顔をしてうなずき、それから、はっとして、笑顔でうなずきなおした。
「では、僕らの最初で最後の戦争の開始だ。ジーニー・ルカ、接続先、エミリア王宮、ウドルフォ・ロッソ公爵」
返答はなく、その代わり、セレーナの目の前の通信パネルに接続中を表す表示が灯った。
そのパネルの横には、セレーナ自信のIDが挿入してある。
堂々と。
ここにいるぞ、と宇宙中に示すように。
そして十数秒、パネルに変化があった。
少しあわてたようなロッソの顔が映る。
「ジーニー・ルカ、次。接続先は、地球新連合国務省、オオサキ・アヤコ外交官」
僕が命じている間も、ロッソは何かをわめいている。
「……閣下、お黙りなさい。まだその時ではありません」
セレーナは、まるで昔と逆転した立場で鋭く命じ、そのあまりの迫力に、ロッソは黙った。
オオサキ・アヤコ、つまり母さんへの回線もすぐにつながった。
彼女は、何も言わず、微笑んでいるとも見えるような柔らかい表情で、たぶん彼女の前のパネルに映っているセレーナの姿を見ている。
今日、このタイミングでこんな通信が入るかもしれないと予期していたかのように。
以前『本件を全面的に担当』と宣言していた母さんは、あるいは、ずっとこのときを待ち続けていたのかもしれない。
「……次。ロックウェル連合国、国務統括本部、コンラッド・マルムステン本部長」
すぐに別のパネルが接続中表示になり、やや待ったのち、画面に人影が映った。それは、コンラッドの秘書官のようだった。
何の用だ、と問う彼に身分を示し、すぐに本部長閣下を出しなさい、と高圧的に命じるセレーナ。秘書官は画面から消えてどこかへ行く。
三者のにらみ合いがしばらく続いた。
ロッソや母さんも、セレーナがコンラッドを呼び出そうとしていることに気が付いたようで、緊張の面持ちでそれを待っている。
やがて、三番目のパネルに、人のよさそうなコンラッドの顔が現れた。そして彼も、宇宙の緊張の糸を引き合う首脳が勢ぞろいしていることに気が付き、目を見張るようなしぐさを見せる。
「……ジーニー・ルカ、最後だ。エミリア全国民への強制放送」
それは、すべての放送システムへの干渉。
ただ垂れ流している放送ビデオの全チャンネルに割り込むばかりでなく、災害用の街路放送、緊急放送信号による個人端末への強制配信まで、ともかく、ネットワーク側から一方的に配信可能なありとあらゆるチャンネルへの、セレーナの姿の放送だ。
緊急放送信号の一つは、個人の情報端末の画面に強制的に放送ビデオを流すことができるシステムだ。これを見つけたことで、この放送の届く範囲は何倍にも広がっただろう。
事実、この緊急放送信号は、エミリア国外にいるエミリア国民にさえも、星間通信を通して届くようになっているのだから。
最後に、ジーニー・ルカの目の一つとして準備した監視カメラのうち、エミリア王宮前市街の繁華街の映像の一つを、四つ目の表示パネルに灯した。
僕は小声で、エミリア国民のセレーナへの好意の比率を得るようジーニー・ルカにオーダーした。回答は、31.1パーセントの国民が好意を感じている、というものだった。
行方不明の美貌の王女の帰還、その割にはこの数字は低い。
セレーナも貴族たちが進める陰謀の首謀者の一人だ、と見ているものもいるのかもしれない。あるいは、貴族たちの陰謀にこそ好意的で、それに反発する王女を疎ましく思うものも、含まれているかもしれない。
これからセレーナが語ることで、その事実は徐々に見えてくるだろう。定期的に報告するようオーダーし、推移を見守ることにした。
「……そろったようですね。ロッソ摂政様、コンラッド本部長閣下、オオサキ外交官殿、突然のお呼び出し、大変恐縮にございますが、ここで、私の立場をはっきりとさせたく、このような乱暴な手段を用いました。まずはそのことをお詫び申し上げます。それから、これをお聞きのエミリア全国民のみなさん、どうぞ、王女の声をお聞きください。そして、何を選びたいか、それぞれがよく考えていただきたいのです」
セレーナの口上が始まる。
さりげなく、エミリア全国民がこの会見の中継を見ている、ということを交えることで、不用意な恫喝や、あるいは一方的な退席を封じるあたり、やっぱりセレーナはこういうことに敏いところがある。
「……さて、まず、ウドルフォ・ロッソ公爵摂政閣下、それからおそらく後ろでこれを聞いている、アルフォンソ・グッリェルミネッティ国王陛下」
セレーナが言うと、ロッソは目を細めてセレーナを睨むようなしぐさを見せた。
「お二方、それに、諸侯の皆様方のお考えは、この王女は十分に理解しているつもりです。エミリア王国は、マジック鉱に依って立つ国です。マジック鉱の独占こそが、国の礎と言っても過言ではありますまい。ですから、地球新連合に対するマジック鉱を使った間接支配の試み、惑星カロルの開拓に対する警戒、そういったものは、我が王国を守るための最善の策とお考えになられた、そうでしょう」
セレーナが言うと、何かを考えるようなそぶりを見せ、それから、ロッソは口を開いた。
『そこまでお分かりでしたら、殿下、もはや話すことはありますまい。どうぞ、王宮にお帰りください』
しかし、セレーナは、首を横に振る。
「心情は理解するとは申しましたが、今、あなた方が行っていることを認めるとは申しておりません」
セレーナが言ったとき、ジーニー・ルカが、30パーセント、とレポートした。やや下がっているか、あるいは誤差の範囲か。完全に知るための条件を、今は満たしていない。セレーナの瞳は、ロッソを刺し貫いているのだ。
「国を、国民を、守る、その動機は善なるところでしょうが、それでも、宇宙から孤立してはなりません。人は他人から孤立して生きていくことはできないのです。人の集まりである国であるなら、なおさらのことです」
『それはきれいごとにございましょう。エミリア王国の産業はマジック鉱に依存している、しかも、それが独占産品であることで価値が維持されているがために成り立っているのです。もし、これが独占でなくなった時は、王国の終焉であり、あまねく民も国と運命を共にしましょう』
「それでも、地球とロックウェルを敵としてしまえば、同様の運命が待っておりましょう。売る相手がいなくなってしまえば、それは失くしてしまったと同然です」
『我が国を苦しめるために、彼らが根気強く制裁を続けるだろうとおっしゃるのですな。それは、私の考えとは多少異なってございます』
一瞬だが、彼の口の端に笑みのようなものが見えた気がする。
『我らと彼らの決定的な違いは、無謬の王を頭上に頂き絶対の忠誠を誓う民に支えられているか、愚か者さえ含む民が為政者を選ぶ権利を持っているか。その点にございます』
彼は、モニターの中にちらりと視線を走らせたように見えた。おそらく、そこに映っている、二名の共和国代表の表情を確認したのだろう。
彼は傲慢にも、彼らを蒙昧な民に選ばれたものだと誹謗したのだから。
『為政者たちがけなげに耐え続けられたとしても、民たちは耐えられますまい。いずれ不満は為政者に向けられるでしょう。一方我がエミリアは、王家諸侯の蓄えた富を、マジック鉱産業に対する補償金として開放する準備がございます。我々は、相手が音を上げるまでの間、民を養い続けることができるのです』
そう言われてみると、彼の戦略は、上手くいきそうな気さえしてくる。
共和国では、民の不満が直接為政者の交代となる。政治は混乱し、あるいはエミリアに同情的な勢力が台頭することもいずれ起こるだろう。
王国は、そのような災禍に見舞われることはない。その上、貴族たちの貯めこんだ財で、制裁で苦しむ民を救済すると言うのだ。
彼らがなぜ、無謀とも言える数々の陰謀を突き進めたのか、その答えがここでようやく見えてきた。
陰謀は、上手くいけばよし、さもなければ、相手の制裁というカードを切らせ、逆に宇宙からマジック鉱を干上がらせることにより相手を窮地に追い込む役割を果たす。
陰謀の成否は、どちらでもよかった。
それは、民のことをも考えた完璧な計画だった。
「何年……かかるとお思いですか」
『何十年でも耐えて見せましょう』
ジーニー・ルカの定期レポート。セレーナ支持率16.6パーセント。




