第四章 開戦(1)
■第四章 開戦
可能なら明日出発したい、と宣言したセレーナの言葉の威力はたいしたものだった。
実験は急ピッチで進められ、あっという間に必要十分なデータは集まった。
ルイスとスコットは最後のもう一つの式を導くために徹夜する勢いで、ルイスが持ってきたエミリア産エスプレッソパックを予備椅子の上に山と並べて眠気対策とした。
僕も、寝ると起きられそうにない気がしたし、またどうせ宇宙旅行中に時差で悩むくらいなら、いっそこのまま出発の時まで起きていようと二人の部屋に詰めた。
二人の合作はすさまじい勢いで進んだ。
僕の手出しできるエリアを深夜に突破し、そこから先はほとんど呪文にしか見えないものに変化した。
僕は時々部屋を出て、格納庫を見に行った。
そこでは、ビクトリアがドルフィン号に対して作業をしていた。マービンが一人で手伝っている。
何をしているのかと聞くと、
「この船のマジックデバイスの制御チップは随分旧型よ、しかもやたらアラインメントがずれてるわ。高精度の制御用に最新チップに付け替えて、今夜中にイニシエーションとアラインメントまで終えちゃわないと」
とのことだった。
結局これも、セレーナの無茶な宣言がそうさせていたわけで。
彼女の作業が終わるのを待たず、僕は、ルイスとスコットの作った一つ目の理論式をデータ化する作業に入った。
これは簡単なものだ。ただ手間がかかるだけで。
博士たちがいろいろな定数を可能な限り正規化してくれたおかげで、最終的にオープンなパラメータは三つだけに絞られていた。それ以外は、物理定数とマジック機関の設計から決まるたくさんの固定値と、四則演算と微積分くらいのもの。
そういったものを全部データにして、ジーニー・ルカに教え込んでいく。
最終的に各マジックデバイスに対する入力となる数十個の変数を、間違えないようにマジックデバイスの各入力変数と関連付けていく。
カノンに対する入力値に関しては、ジーニー・ルカがどこかから見つけてきたカノンシミュレータの入力に対応させておく。最後にカノンに接続するときに、間違えないようにだけすればいい。
これで、最終兵器は完成だ。
何ともあっけないものだった。
結果だけはあっけないものの、入力した数式にどれだけの人類の知恵が含まれているのかを思うと、気が遠くなる。
その作業が終わるころ、格納庫の小さな窓からうっすらと明るくなりつつある空と山の影が見えた。
相変わらず冷たく乾いた風が窓に吹き付ける音も聞こえている。
大きく欠伸をしてからビクトリアに声をかけると、ちょうど最後のデバイスの調整が終わったところだった。
僕が、超低出力で試運転したい、と彼女に告げると、彼女は疲れた顔にまたぱっと笑顔を浮かべ、ちょっと待ってて、と言って、測定器を引っ張ってきた。
測定器を置く場所はどこでもいいのだそうだが、なるべく中心に近いほうが予測値の計算が楽で良いのだと言う。
ジーニー・ルカに頼んで重心を教えてもらい、二人がかりでドルフィン号の船内廊下の真ん中に測定器を据え付けた。
実験をマービンも見守る。
セレーナたちも起こしてこようか。そんなことを思ったが、すぐに否定する。その必要は無いだろう。成功することをみんな確信している。
いよいよ、僕は、ジーニー・ルカに、オーダーをいれる。
「ジーニー・ルカ、さっきの式の、入力パラメータだった三つの値の算出を頼む。その値で式を起動し、マジックシステムを駆動した時、測定器の目盛が、そうだな――」
「5σ値、と言えば分かるかしら」
さっとビクトリアが答えてくれた。
「――ジーニー・ルカ、5σだ、メモリが5σを指すような、そんな値を直感で導いてくれ」
「かしこまりました。……完了しました。三つの値の事実性評価結果は、91.1パーセントです」
「今のは値の精度? 低いわね、そんなんじゃ無理よ」
ビクトリアがため息をつく。
「大丈夫です。精度を上げる方法は用意してあります。……じゃ、ジーニー・ルカ、式に従い、回路を起動。十五秒後」
「かしこまりました」
彼の受理の声を聞いて、僕はビクトリアとマービンを促して格納庫から格納庫内が見える研究所の廊下に避難した。
低出力とは言え、何が起こるか分からないし。
そして、オーダーから十五秒がたった。
何も起こる気配は無かった。
「……終わったかい?」
僕は腕のインターフェース越しに尋ねた。
『はい、操作は完了しています。測定器の値をご確認ください』
彼の声を聞いて、僕らは再び格納庫内へ。
タラップを上がり、廊下の真ん中に据え付けられた測定器の数字を見る。
「4.9999981σ……さっき聞いた精度から考えれば随分良い値が出てるわね」
「あの値は、ジーニーがどのくらい自信があるか、って数字なんです。外すときは思い切り外すし、事実性が低くても完璧な数字を言い当てる場合もあります」
「……なんだかわからないけれど、そういうわけね。そして、あなたには、その『事実性』をとてつもなく高めるジーニー技術がある」
「ええ」
僕はビクトリアを見ずに答えていたが、振り返ってみると、彼女は満足げにうなずいていた。
「ジュンイチ君がそんな自信家とは思っていなかったけれど、そんな顔をするってことは、よほど信頼しているのね、ジーニーを」
「……そうですね」
どんな表情を見せればいいのか急に分からなくなり、うつむいて答えた。
僕自身の上に生じた特異点だから、もう、信頼するしかないわけで。
「ともかく、システムは正しく動くことは確認したわ。カノン側の方はいちかばちかってことになるんでしょうけどね」
「はい、あとは、博士たちが作っているもう一つの式を――ちょっと見てきていいですか」
「ええ、急いで行ってらっしゃい、出発に間に合わないわよ」
僕は後ろで見送りの言葉をかけるビクトリアに一瞥さえくれず、博士たちの研究室に飛び込んでいった。
そこで見たのは、僕のアイデア通りの式を完成させ、半分居眠りしている二人だった。
「おう、ジュンイチ、できたぞ、それにしても、厄介なアイデアを持ち込みよるの。ま、これでもうまくいくかどうかは五分五分だ」
「五分五分ですって?」
「そうだなジュンイチ君。最後に生じる泡は、再反転が起こる前に時間的に先行して発生し始めなければ間に合わないだろう。つまり、虚数時間内での泡の展開開始だ。突入反重力効果による虚数時間内の帆の展開とちょうど入れ子になってしまうのだよ。上手くタイミングが合わなければ、泡の展開が間に合わず、ドルフィン号はターゲット物体の中にみっちりとはまり込んで、そして、反重力津波で消し飛ぶ。そうならないために必要な数字の精度は、9が二十二個だ」
「……精度、難度には意味はありません。数字は必ずそこにあります」
僕は、ジーニー・ルカの言葉をそっくり真似た。
すると、ルイスは暗い顔から一変、目を輝かせて笑った。
「……すばらしい。君はいつからそんな顔をするようになったんだね。であれば、そう、我々は、このシンプルな式と四つのオープンパラメータを君に渡すことができる。三つが四つでも関係無いのだろう?」
「そうですね」
僕がうなずくと、博士二人はにっこりと笑った。
「よろしい。君は救世主となるだろう」
「僕は何もしていません。すべて、王女殿下のお力です」
僕が言うと、スコットが身じろぎしたのを感じた。
顔を向けると、彼は少し渋い顔をしている。
「ジュンイチ、分をわきまえることも大切だが、時に傲慢になることは、それよりも大切だ。年寄りからの忠告だ、よく覚えておけ」
スコットの言いたいことは、僕がもっと大人になってから理解することになるだろうな。今は、みんなに助けられている、その感覚に身を任せたい、と思っている。
「ありがとうございます、スコットさん。早速この式を入力してきます」
僕はすぐにその紙束を受け取って、踵を返した。
「あいつは少なくとも計算は速いし応用もほどほど利く、お前のところで使ってみたらどうだの」
「彼の興味は歴史学にあるのだよ、スコット博士」
「残念なことだ」
そんなことを話している二人を背に、僕は扉をくぐって、ジーニー・ルカの待つ格納庫に急いだ。




