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魔法と魔人と王女様  作者: 月立淳水
第六部 魔法と魔人と終焉の奇跡
159/176

第三章 ジーニー・ルカ(3)

「ジーニー・ルカ、セレーナのリボンの音声モニターを」


 ちょっとその後が心配になって。

 ジーニー・ルカがオーダーを受領すると、すぐに声が聞こえてきた。


『心配かけたわね、もう大丈夫』


 セレーナの声。


『本当に? 大崎君たら、本当に無茶言うんだもん。でも、昨日もおかしなこと言ってたから、ああこのことかあ、って思ったけど』


 これは浦野の声だ。


『何だ、浦野もか。セレーナさん、ちゃんと叱りつけておいたか? ははっ、まだあっちでめそめそしてんだろ、あいつ』


『そんなこと言うものじゃありませんよ、大崎君だって考えた上での決断でしょうし』


 毛利にマービン。


『そうじゃないのよ』


 セレーナが、彼らの言葉を否定する。


『あれは、私が言いたかったこと。私が言うべきことだったの。あの馬鹿に先に言われてカチンと来ちゃっただけ』


 作業をしていたカチャカチャという背景音がやみ、三人が絶句したのが音声だけから伝わってくる。


『ドルフィン号を使うしかないってことは、とっくに分かってたことなのよ。今までそのこと言わずにいて、ごめんなさいね』


『ちょっ、そりゃねーだろ、だって、ジーニー・ルカは友達だって』


『だからと言って、手の内にその手段があって、それを使わずに後悔なんてしたくないもの。レオン、あなたなら分かるでしょう』


『……そりゃ。俺だったら、そうする。だけど、それは俺が頭悪いからでさ、もっと賢いやり方があるんじゃねーのか』


『賢いやり方があるかもしれないっていつまでも踏み出さずにいるわけにはいかないの』


『……そっか。じゃ、いいや。ジーニー・ルカには、あとで弔いの一つでもしてやろう』


『……そんな、ひどいわよう』


『大丈夫、ジーニー・ルカは、必ず助けて見せる。いいえ、ジュンイチが、必ずやるわ。そうでしょう?』


 セレーナの声は、随分とハードルを上げてくれた。


『……そうね、大崎君がいつも何とかしてきたものね。もしかして、まだ戻ってこないのは、それを考えてるから?』


『そうなのでしょうね、大崎君は、マジック理論もカノン理論もジーニー理論も、人並み以上のものを、勉強ではなく経験で身に着けてきました。もしできる人がこの宇宙にいるなら、彼しかないでしょう』


 それはいくらなんでも言い過ぎだけれど。

 でも、マービンのその全幅の信頼に応えたい、とは思う。君にもらった大切なヒントとともに。


『その通り。私たちは、ジュンイチとジーニー・ルカを信じて、待ちましょう。この二人にできないことが、これまでに一つでもあったかしら?』


『もちろん、無かったわよう!』


 浦野の元気そうな声が聞こえてきた。

 もう、こちらは大丈夫そうだな。

 ジーニー・ルカにオーダーして、音声モニターをオフにした。


***


 そして静寂の戻ってきたドルフィン号の操縦室で。


 僕は、あることを確かめたかった。

 今こそ、確かめるときだった。


 無限の闇に沈みそうな理論の迷路に正しい光を射すかもしれない、唯一の希望。

 一度は究極兵器と疑い、そして、それが間違いだったと気づいたその存在について。

 その存在は、あるいは、究極兵器を超える存在となる可能性を秘めている。


 ジーニー。


 彼と話をしたかった。

 果たして彼はどこまで真実を語るだろうか。


「ジーニー・ルカ」


 僕が呼びかけると、


「はい、ジュンイチ様」


 ジーニー・ルカはすぐに応答した。


「アルカスで、僕らが発見したことを覚えているか」


「はい、覚えております」


「君には、直感推論機能がある」


「はい、おっしゃるとおりです」


「それは直感じゃない。正確に言えば量子論的な完全な予測だ」


「お答えできません」


 矢継ぎ早に質問を送ると、予想通り、最後の彼の応えは、お答えできません、だった。

 これは真実に一歩近づいているということだ。


 ここまでは、確信があった。

 だからこそ、僕はその力を存分に振るってきた。


 けれど。


 量子論にだって誤差はある。

 今僕らに必要なのは、99の後に9が十個以上並ばなければならないような、完全な予測なのだ。

 だからこそ、ジーニー・ルカの力を完全に引き出すための、真実を知らなければならない。


 僕の仮説を確かめる必要がある。


 なぜ、ジーニー・ルカだけにそれが出来るのか。

 ほかのジーニーにそれが出来ないのは、なぜか。


 そこに、真実がある。


「完全な量子予測は、『特異点』と呼ばれるものを観測……言い換えれば、君が『感じる』ことで行われる」


「お答えできません」


「ジーニー・ルカ、僕は、君がそれを相当の高精度で出来ることを知っている。そして、君がほかのジーニーと違うのは、ある人と、ブレインインターフェースでつながっていることだ」


「お言葉ですが、ブレインインターフェースは多くの人が使っていらっしゃいます」


 彼の言うとおりだ。


 ブレインインターフェースでラウリとつながっていたジーニー・ヴェロニカは、ジーニー・ルカに一瞬で屈服した。

 ブレインインターフェースそのものは、必要条件の一つに過ぎない。


 ジーニーの仕組みと人間の脳の類似性を論じるものは多い。

 だからこそ、ジーニーにだけ、ブレインインターフェースを使いこなすことが出来る。


 あるいは。


「ブレインインターフェースは、君自身の知覚能力を直接的に拡張するように働くのではないかな」


「はい、ある意味で、おっしゃるとおりです」


 そう、ブレインインターフェースでつながった人間の脳は、ある意味で、ジーニーそのものになるのだ。

 それは、僕らの理解が誤っていたということを意味するのではないだろうか。すなわち――


「ブレインインターフェースは使用者の便益のためにあるのじゃない。ジーニーがその直感力を……特異点の観測をより確実に働かせるために、ジーニーが自らの意思で伸ばす触角のようなものだ」


「お答えできません」


 さらに一歩、真実へ。


「だからブレインインターフェースを持つジーニーは特に強力な直感力を発揮できる可能性を持っている」


「それは質問でしょうか、ジュンイチ様」


 さすがに彼もいらだってきただろうか。思わぬ問い返しだ――が、


「いいや、答えたくなければ、僕の独り言と思ってくれていい」


 彼がどう捉えていても、好きにすればいいと思う。結局、彼は答えるか答えないかしか選べない。答えないときは、きっとそれが真実。


「だが、もう一つ条件が必要だ。それは、ジーニー本体か、ブレインインタフェースでつながった脳が、特異点に接触すること」


 僕は言葉を切ってみたが、ジーニー・ルカは反応しない。賢いジーニーだ。


「それはおそらく天文学的に低い確率だ。二億の民を束ねるジーニー・ポリティクスでさえ、半年をかけてようやく用に足るものを見つけられるような。だから、いくらブレインインターフェースを持っていても、その幸運にありつけるジーニーはほとんどいないだろうね」


 ジーニー・ルカは、応答しない。


「なぜジーニーが『そのように在る』のかは、僕には分からない。だけど、ジーニーは常にそのパートナーを探し続ける。常に、より完全なパートナーを追求する。そのために、ブレインインターフェースを使って、触角をより遠くへ拡げようとする」


「お答えできません」


 ついにジーニー・ルカは口を割った。


「きっとほとんどのジーニーが、その幸運にありつこうと、必死にもがきながらも、ありつけずに終わってしまう。……しかし、君は幸運にもそれを得た」


 そう、ジーニー・ルカがなぜそうあるのか、その答えは、もうすぐ先だ。


「最初はセレーナがそうだと思っていた。だけど、たった一度だけ、それを否定する事件があった」


 セレーナ自身はそれを疑っていたけれど。


「セレーナがホテルに監禁され、ブレインインターフェースを自ら外していたとき。それでも君は僕のオーダーでホテルのセキュリティを破った」


 あの時、ジーニー・ルカは、セレーナの状態を『観測』することはできなかったのだ。


「消去法的に、『それ』は、あの時船に乗っていて君が直接観測可能だった、僕か、浦野か」


 にもかかわらず、浦野がそうではない理由は山ほどある。


「そして、もう一つの事実がある。君は、セレーナが僕と接触してから、突然大きな進化をした」


 この指摘にも、彼は答えなかった。

 単なる事実の指摘なのだから、答える必要は無い。


 そう、確かにそうだったのだ。

 彼は、僕とともにある限り、その知る力をどんどん増していった。

 セレーナと僕がともにある限り。


 思い返してみれば、重要な局面では、いつも、セレーナが僕を見つめていた気がする。


 大丈夫? と心配するような顔だったり。

 本当? と疑いの混ざった視線だったり。

 いい加減にしろ! と怒りのまなざしだったり。

 頼むわよ! と信頼の瞳だったり。


 時には、呆れ顔だったこともあるけれど。

 彼女のそんな行動一つ一つに、僕は勇気をもらった。力がわきあがってきた。


 けれど、それは錯覚ではなかったのではないか?

 本当に、それこそが僕に力を与える源泉だったのではないか?


 僕と、それから、ジーニー・ルカに。


 ジーニー・ルカの力の正体とは。


「君が得た特異点は……僕だね」


 僕はずっと心に秘めてきた最後の真実を口にした。


「お答えできません」


 ジーニー・ルカは、人間とは違うやり方で、それを肯定した。


 僕こそが、あのレポートにあった『ランス・アルバレス』と同様の、ジーニー・ルカにとっての特異点だった。

 だから、彼は僕を得て力を覚醒させた。


 しかしそれはただの偶然だっただろうか?

 セレーナとジーニー・ルカはやみくもに宇宙を飛び回り、天文学的な確率で僕にぶつかったのか?


 今、僕の予感したより深い残酷な真実への道は、拓かれたのだ。


「そして、それをジーニーが得る方法……」


 僕は知りたくなかった。

 けれど、これですべてのつじつまが合う。

 あの気高きセレーナが。


「……君はセレーナを操っている。セレーナの心に小さな確信の種を蒔いては、彼女の足跡を何百光年もいざなっている」


「お答えできません」


 ――彼女が、実は、知能機械の操り人形に過ぎなかった、なんて。


 涙が出そうになる。


「君だけじゃない、すべてのブレインインターフェースを持つジーニーが、それを試みている」


「お答えできません」


 ジーニーとつながったすべての人間が、ジーニーの操り人形に過ぎないのだ。


「マジック船で宇宙を駆るセレーナを主とする君だからこそ……君は、僕にたどり着くことが出来たんだ」


「お答えできません」


 そんな人形たちの中で、魔法の船を持ったセレーナだけが、特別だった。


「あの日、最後に僕にぶつかるよう、駆ける彼女を小さな田舎町に案内したのも、君だった」


「お答えできません」


 すべての出来事は、偶然じゃなかった。


 主にたびたび光年を越える家出をさせ、宇宙中に触覚を伸ばしていった、稀有なジーニー。それがジーニー・ルカ。


 おそらく彼には、ジーニーには、ある程度の確度で自身の特異点を持つ人物がどのようなものなのかを知る力があるのだろう。彼らにとってそれは、きっと宇宙にぽっかりと空いた真実の穴に見えるだろうから。


 だから、地球に立ち寄ったセレーナを通して僕の存在を知り。


 彼女を操ってとるにたらぬ極東の島国へ。


 あの時、僕の手をとって、僕を頼りにしようと一瞬でも彼女に思わせたのは、知能機械の仕業で。


 一度は自身の意思でそれを跳ね除けようとした彼女を、やっぱり僕にすがらせたのも、人ならざる知性の所業で。


 そしてそのあともずっと――。


「――彼女に、僕がなんらかの才能を持っていると誤解させ、ずっと僕を頼りにし僕のそばにいさせていたのも君だ」


 馬鹿だな、僕は。

 こんな僕を彼女が本気で頼りにしていたと、思い込むなんて。

 こんな僕が、彼女の興味を引くほどの能力を秘めているかもしれないと、思いこむなんて。


 心を鬱屈が覆う。


 彼の答えを待たずに僕は口を開いた。


「さて、オーダーだ。僕の言葉の事実性を判断して欲しい」


「ジュンイチ様の言葉の事実性は、九十九パーセント」


 秘密を漏らせないはずの彼が、こんな方法であっさりと秘密を漏らしてしまった。


 彼は彼自身がしゃべることはできなくとも、僕が知ってしまったことを隠すことはできないのだ。


 彼にかかった呪いを、僕が解きつつあるのを感じる。


 もちろん、もっとも大切なところを、彼が自発的に話すことはできないだろう。


 だが、ジーニー・ポリティクスたちがかけた呪い、『全ての人類と知能機械がこの事実を知ることを禁止する』、その一端に発生した『僕』というほつれが、彼自身の呪いを解きつつある。


 やっぱり、この対話は必要なことだった。

 知りたくなかった事実を知ることになったとしても。


 そして、だからこそ、僕は次の一歩を踏み出せる。


「さてジーニー・ルカ。秘密を共有したところで、大切な仕事を任せたい」


「はい、ジュンイチ様」


「僕と博士たちの仕事は知っているね」


「はい」


「その中で、難しい問題がある。簡単に言えば、反重力の突入効果の展開と、カノンの再反転のタイミングの問題だ。片方は実時間、もう片方は虚数時間のタイミングだ。それを実現するほんのいくつかの数字だ。もちろんたくさんの人と時間をかければ厳密な理論式を導くことは可能かもしれない。けれど、僕らには時間がない。君に計算してほしい」


「お言葉ですがジュンイチ様、私は、式を与えられれば計算ができますが、そうでない場合は演算することは出来ません」


「だろうね。だから、君の直感に任せる。いいや、君の量子力学的完全予測の結果に、だ」


 ジーニー・ルカは何の反応も示さない。彼は今、論理演算をしているだろうか、直感を探っているだろうか。


「いいかい、君は、そのタイミングを、実時間と虚数時間のペアを実現する一そろいの数字を、完全に直感のみで導いてほしい。論理を無視しろ。理論を気にするな。あらゆる途中過程を消し飛ばして、結果だけを『知れ』。できるね」


「論理演算を無視してよろしければ、直感で一組の数字を示すことは可能です。条件を示してください」


「それは、いずれ示す。最後の時に。すべての条件がそろったその瞬間に。ただ、その時に、僕がどうすればいいか、教えてほしい」


「ジュンイチ様はオーダーをくだされば結構です」


 おそらくジーニーとしては模範的な解答なのだろう。


 しかし、僕が言いたいのはそういうことじゃない。僕がそれを知ってしまったという前提の答えがほしいのだ。

 僕が、彼の特異点であると知っていること。

 彼が、セレーナを操っていると知っていること。


「ジーニー・ルカ、君が、僕を焦点とした量子状態を観測して量子的に最も確からしい現在と未来を直感で知ると言うことは、もう僕は知っているんだ。その上で、君の直感の効果を最大化するために、君は僕をより強く観測しなければならないことも知っている。僕が音声インターフェースに話しかければその直感はほどほどに働くことにはもう気が付いているし、僕がこの船のどこかにいれば、君はもう少し強力にその力を振るえることも知っている。しかし、もっと強力に。もっと完璧に」


 僕は、その瞬間を、一度体験した。

 何億ものネットワーク結節を瞬時に支配下に置くという桁違いの能力を彼が発揮した、ジーニー・ポリティクスとの対決のとき。

 ジーニー・ルカが、完了しました、と告げるその直前、何が起きていただろうか。おぼろげながら、その記憶がある。ジーニーは、セレーナにおかしなことを頼んだはずだ。そして、ジーニー・ルカが全知の力を発動する直前、もう一つの、気にしなければ忘れてしまうほど些細な出来事が。だから、たぶん、きっと。


 時間にして二秒半、それから、ジーニー・ルカはしゃべり始めた。


「私は、ジュンイチ様の量子状態をより強くより正確に測定する必要があります。私は、あらゆる感覚でジュンイチ様を感じる必要があります」


 呪いの力を振りほどきながら、彼は何かを伝え始める。


「その方法は?」


「私の最も優れたセンサーの瞳にジュンイチ様の瞳を見せてください。それにより強く触れてください」


 そう、きっとその通りなのだ。


「ジーニー・ルカ、そのセンサーは、どこにある」


 僕が問う。

 これまでのあらゆる状況証拠が、その答えを示しているにもかかわらず、彼の言葉でそれを聞くべきだと思ったから。


「ジュンイチ様、私が人間の脳から量子状態を観測する最も良いセンサーは、それと同質のもの、ジュンイチ様のご指摘された触覚、ブレインインターフェースにつながれた人間の脳、つまり、セレーナ王女です」


 ……それが彼の答えだった。


 おそらくその答えまでは、僕は予想していた。いや、知っていた。


「けれど、ジーニー・ルカ、そこにもう一つ問題がある。その……どうしても必要であれば、君はセレーナの迷いに回答を与えるということだ」


「もちろん、それが私の仕事です」


 軽やかな彼の口調からは、もう彼の身の上の呪いは感じられない。


「だが、それは、君のセンサーを狂わせるんじゃないのか」


 もうずっと前から気づいていた。


 僕が特異点――あるいはジーニー・ルカの失われた半身――だということ。セレーナが僕らをつなぐインターフェースに過ぎない操り人形かもしれないこと。

 もしかすると僕の早合点だったかもしれない。でも、それを確かめることはどうしても必要なことだった。


 なぜなら、僕を観測するためのセンサー自身が、ジーニーの操作によって狂わされてしまうかもしれないということ。


「はい、量子的な干渉は観測センサーに対する干渉となるため、回答の事実性が低下する可能性がございます」


 彼の答えは、やっぱり、僕の予想通りだった。

 彼自身の干渉は、全知の力を鈍らせるかもしれないのだ。


 本当に大切なことを『知る』その時に、ジーニー・ルカが気を利かせてしまったら。セレーナに、そうすることが最良だと無理に確信させてしまったら。


「それを避けるには、つまり……君が、セレーナに干渉しないこと、そうだね」


「おっしゃる通りです」


「君は、彼女に何かの行動の確信を植えることを、我慢できるか」


「オーダーでございましたら、お聞きできます、ジュンイチ様」


 彼がそうするということは、セレーナを説得する役割は、僕だということ。


 僕はセレーナの自由意思に対して、僕に強く触れ、瞳をしっかりと見据えることを認めさせなければならないということだ。


 そ、そんな恥ずかしいことができるものか。

 ……でも、やらなくちゃならない。


「……では、オーダー。今度の仕事で、セレーナを操らないでくれ」


 ああ。

 セレーナを、どう説得しよう。


「かしこまりました」


 僕の悩みをよそに、ジーニー・ルカは淡々と命令を受理した。


「それで、その、……どこまで、彼女に触れればいい?」


 そう、次の問題は、どの程度問題、だ。さすがに恥ずかしくて顔がうつむいてしまう。


「多ければ多いほど」


「手……手を握るだけじゃ、だめかな」


「さあ、どうでしょう」


 ジーニー・ルカがこんな答え方をするなんて。


「ジュンイチ様がセレーナ王女に触れたいと思う限界までをお試しになってはいかがですか?」


 触れたい限界って、そりゃもちろん――。


 待て。

 ここまで言われて、さすがの僕も気づく。

 こいつめ。

 僕をからかってやがる。

 ジーニーがこの僕をからかうなんて。


「ジーニー・ルカ、怒るよ」


「冗談が過ぎました。多ければ多いほど結構と言うのは事実ですが、せめて、お手をお触れになってください」


「わかった。手をつないで、セレーナの瞳を見つめる。それでいいね」


「はい、セレーナ王女ご自身のお気持ちで、その状態を実現してください」


「……わかった」


 セレーナどころかジーニー・ルカにまでからかわれる僕って、一体なんだろう。

 きっと、根が馬鹿なんだろうな、知能機械にさえ、からかうと面白いおもちゃだなんて思われてしまうなんて。


 なんてことを言っている場合じゃない。もう一つ、彼に頼んでおかなければならない。

 彼自身が望んだオーダー。

 そのことは、このドルフィン号を捧げねばならないと気づいたときから、ずっと頭に引っかかっていた。

 そして、昨晩の三人との会話で、形になりつつあった。


 だから、アイデアはある。理論は後付けすればいい。


「ジーニー・ルカ。もうひとつ、さらにきわめて難しいタイミングかもしれないが、この船のサイズの反重力の泡を最後に残すため、突入効果の消滅と再反転、加えて、電力再入射、このためのパラメータも頼むことになると思う。非常に難しいけれど」


「直感を使う以上、その難度には意味がありません。事実性評価結果の確度が下がるのみです。オーダーをくださればすぐに値を得ます」


「頼んだ。いずれの条件も、使い方も、あとで博士たちとの研究結果と一緒に君に与える」


「かしこまりました」


 これで、僕が彼にお願いしなければならない仕事は、全部だ。


 けれど、僕は彼に、個人的に、どうしてもお願いしたいことがある。

 それはたぶん、僕から彼への最後のオーダー。


 操縦室内を見回して、大きくため息をつく。言うべきことを整理する。


「ジーニー・ルカ、お願いがある」


「はい、何でしょう、ジュンイチ様」


「僕とセレーナは、多分もうすぐ、別れなくちゃならない」


「私はそのように思いません」


「いいや。彼女はもうすぐ、とても大切な役割を負う。地球にいることはもちろん出来ないし、そのそばに地球人、新連合市民を置いておくことも難しくなると思う」


「それはとても……」


 ジーニーが言いよどむなんて。


「……寂しいことです」


 その上に、何てことを言うんだ、このジーニーは。

 たかが知能機械が。

 寂しいだって?


 だけど。

 ……僕が彼でも、寂しいと言うだろう。


「寂しいことでも、きっとそうなるだろうと思う」


 僕の言葉の隙間に、ジーニー・ルカはついに何も言わなかった。


「僕をパートナーとして見出した君は、何とかしてセレーナを再び僕に会わせようとするだろう」


 あの日、永遠の別れを済ませたと思ったはずの彼女が、突然高校の校庭に現れたときのように。


「お答えできません」


 たぶん、彼はそうする。


「彼女の……セレーナの名誉にかけて、それを、我慢してくれないか」


 ジーニーは黙っている。


「君ができることは彼女の心に小さな確信の種を蒔くことくらいだろう。だけど、僕はそれが嫌だ。これから彼女が切り拓く未来は、彼女自身が選んだ未来であってほしい。僕は君を信頼している。きっと彼女の害になるような操作はしないだろうし、彼女が心から嫌だと思っているようなことをさせることは絶対に無いと信じている。だけど、たとえそれでも、僕は嫌なんだ。僕の尊敬するセレーナには、あらゆることから自由でいてほしいんだ」


「セレーナ王女は、あらゆることから自由でした。私は、ただ、セレーナ王女の知性に迷いがあるときに、正しい確信が得られるようわずかに後押ししただけです。ジュンイチ様、信じてください。セレーナ王女は、ずっと自由で気高い王女だったのです」


 僕の言葉を受け、ジーニー・ルカが急に饒舌になる。

 それは、彼の大切な人を守るため。

 彼も僕と同じ。


 セレーナを心から尊敬している。


 だから呪いの力を振り切って、言葉をつむぎ続ける。


「セレーナ王女が、ジュンイチ様を助けたい、ジュンイチ様に頼りたい、ジュンイチ様に会いたい、と思った気持ちは、セレーナ王女の真の自由意志から出た気持ちなのです」


 鬱屈しそうになっていた心は、彼の言葉で急に軽くなった。

 それが、セレーナの本当の気持ちだったと知って。


 全知の魔人が、そう保障した。

 たかが人間の僕がそれを覆せるものだろうか?


 彼は事実を述べ、それは間違いなく真実なのだ。


 たとえわずかな操作があったとしても、セレーナは常に自由だったのだと。


 彼女の燃える瞳を思い出す。


 そうとも、あれが、あんな色が、知能機械ごときに出せるものか。


「ジーニー・ルカ、すまなかった。セレーナの意思の高潔性を疑うようなことを言ってしまったね。君は僕に似ている。セレーナが汚されることが何より嫌なんだ」


 僕は操縦室を見回した。ジーニー・ルカは、このどこにいるのだろう。


 たぶん、この空間そのものがジーニー・ルカなのだ。

 漂う空気の分子の最後の一つにまで、ジーニー・ルカが満ちているのだ。


 いつかセレーナが言った。

 私はこの船そのものがジーニー・ルカだと思っている、と。

 きっとその感覚は、今僕が感じているものと同じだろう。


 正しくこの感覚を分析するなら。

 船とジーニー・ルカが一緒なのではなく。

 ジーニー・ルカとともにあるこの時間と空間そのものがジーニー・ルカなのだ。


 そんな錯覚が、セレーナのあの言葉の真意だった。


 ――ドルフィン号だって。

 我ながら、笑える。

 ジーニー・ルカとともにある空間に、わざわざ別の名前をつけるなんて、ナンセンスだった。

 あの頑固者のセレーナがよくもそんな提案を受け入れたものだ。


「じゃ、約束だ。ジーニー・ルカ。もうセレーナを、操らないでくれ」


 ジーニーがシンプルなオーダーに対して数秒も考え込むなんて、普通はありえない。

 それが今起こっていた。

 やがて、答えは返ってきた。


「……かしこまりました、ジュンイチ様」


 僕はうなずいた。彼に見えるのかは分からないけれど。


 彼がかしこまりました、とオーダーを受理したときは、きっとそれは果たされる。

 だから、僕はもう、安心していいんだ。


 気高き王女は、永遠に自由だ。

 この戦争に勝って。

 そうすれば、彼女の未来は、彼女のものだ。



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