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魔法と魔人と王女様  作者: 月立淳水
第六部 魔法と魔人と終焉の奇跡
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第二章 知恵と勇気と優しさ(3)

 作業がひと段落着いて、休憩椅子に座る僕の隣に、浦野が腰掛けてきた。

 特に用があるわけでもなさそうだった。

 こんな場所で僕にプリンを要求するわけでもなさそうだし。


 ただ、彼女が買出しで得てきた食材の中に、きっちりと卵と牛乳と生クリーム、それから、ここのキッチンに無かった泡だて器と蒸し器が入っていたことに僕は気付いている。

 それがいつ出てくるかだけの問題だ。


 本当に僕に用があったわけでもなさそうで、椅子に座って、みんなで組み上げた高さ二メートルに近い実験装置を眺めている。


 最初は無骨なパイプを無理やりに骨組みにして組み始めたそれは、最後にはマイクロメーターによる微調整を必要とするような高精度な実験装置へと姿を変えていった。その様を知っているから、原価は数クレジット程度であろう亜鉛メッキの鉄パイプが、今は黄金よりもまばゆく輝いて見える。

 実験物理学のベテランとも言うべきビクトリアの手腕と言うべきところだろう。こんなことを易々とやってのける彼女だから、たびたびマジック機関の宇宙タイトルを得て、あるいは、宇宙タイトル級の大失敗をやるわけだ。


 そんな装置を眺めながら、僕は、少し前から気になっていることを思い出している。

 いずれ、解決しなければならない難問。

 最初から一つしか答えが無いと分かりきっている奇問。


「……なあ、浦野」


 僕は、浦野に語りかけた。誰かに、助けて欲しいと思って。


「なあに?」


 反応した彼女に顔を向ける。


「たとえばさ、その……君の、親友を、思い浮かべて欲しい」


「あたしの?」


 それから、浦野の視線は、宙を舞った。


「恵美ちゃんとかもそうかもだけど……今、あたしの中で本当に親友だと思ってるのは」


 くるりと回った視線は僕の両目の間で止まる。


「君、かなあ。大崎君」


「僕? ……僕、か、まあいいや」


「まあいいってどういうことよう!」


 ほっぺを膨らませる浦野を、僕はとりあえず無視する。


「たとえばさ、クラスメイト全員の安全と幸福のために、親友を犠牲にしなきゃならなくなったら。君はどうする?」


「犠牲って……え、どういう意味?」


「うん……そうだな、簡単に言えば、死んじゃう」


「死んじゃう……大崎君が? ……そんなの、やだよう」


 仮の話なのにすでに瞳が潤んでいる浦野。


「もしそうしなかったら?」


「そうだね……クラスメイトみんなが、とても不幸になる。半分くらいは家族と離れ離れになって、何人かは死んじゃうかもしれない。そんな時」


 僕がそう言ってから十数秒、うー、と小さく唸り声を出して、涙目の浦野が僕をさすように睨んだ。


「そんな問題出すなんて、ひどいよ」


 そうだよな。

 けれど、優しい浦野がどんな結論を出すか聞いてみたくて。


「……でも、大崎君を失いたくないなんて、あたしのエゴだもんね……もしそれが本当に必要なら……」


「……犠牲に捧げる?」


「……最後まで、それに頼らない方法を考える。考えて考えて最後の瞬間まで考えて頭がパンクしそうになるまで考えて」


 浦野はうつむいた。


「……このなぞなぞは、みんなが助かる方法は無いっていうなぞなぞなんでしょう? ……だったら、最後に、ありがとう、って大崎君を抱きしめて。もし許されるなら、そんな決断をしちゃったあたしも一緒に」


 彼女は、ゆっくりと顔を上げた。


「一人で行っちゃう大崎君が、寂しくないように、ね」


 彼女らしい答えだな、と思う。


 けれど、みんなが助かる方法を最後まで考える。

 どうせ無いだろうとあきらめちゃいけない。

 彼女のその優しさは、僕の胸にしっかりと残った。


「ありがとう、浦野。助かったよ」


「おっ、大崎君、死んじゃわないよね!?」


 立ち上がろうとした僕の右袖を浦野が掴んだ。


「大丈夫だよ、僕は、君の親友を思い浮かべて、って言っただけだろ。まさかそれが僕だなんて思いもよらなかったよ」


「そ、そう? だったらいいんだけど」


 と言いつつも、彼女は握った袖を放さない。


「もし、自分を犠牲にしようなんて考えてるんだったら、絶対、一番最初に、あたしに相談してね!」


「だから違うって。でも、もしそんなことがあるなら、君に相談する。約束する」


「絶対だよ! 約束だよ!」


 僕が笑顔でうなずくと、ようやく浦野は右手を解放してくれた。


「大崎君が一人で死んじゃったら、あたしも死ぬからね!」


「こっ、怖いよ」


「怖がらせてんのよう! もし約束破ったら地獄でも天国でも追いかけてってひっぱたいてやる」


「分かった分かった。万一そんなことがあったらね」


 まだふくれっつらの浦野を残して、僕は一旦その場を去った。

 あまりそのままでいると、浦野に余計な心配をかけそうだったから。


 その後、きちんとした夕食をみんなで摂り、今日はちゃんと眠ってくださいね、と言いつける浦野に苦笑いで返す二人を研究室に残して、一日が終わった。


***


 例によって、ドルフィン号の中と同じく毛利と相部屋という部屋割りとなっていて、あとは寝るだけとなった僕と毛利はそれぞれ簡易ベッドにひっくり返って思い思いに時間を過ごしていた。

 安っぽいアナログ時計が、コチコチと小さな音をたてている。

 それに、時々体の向きを変えるときに起こる小さな布ずれ。


「なあ、毛利」


 僕は、彼に話しかけて、その静寂を破った。

 唐突、ということになるんだろうけれど、彼は、あー? と間延びした応答を返してよこした。


「お前の親友ってさ、いる?」


 僕が言うと、毛利は寝転がったまま首だけこちらに向けた。


「結構失礼なこと言うじゃねーか。俺はさ、お前が親友のつもりだったけどな」


「そうか、悪い。僕がそこまで評価されてるとは思わなくて」


「評価とかなんとかじゃなくて、一緒にいて気分がいいかどうかだろ? 親友かどうかなんてのは。お前は、まあちょっと理屈っぽくて女々しいところもあるけど、やるときゃやるやつだ。俺様の親友ってことくらいにはしておいてやるよ」


「お前もずいぶん尊大だな」


「まあな。俺にとって親友は子分でもあるわけだからな」


「分かったよ親分。じゃ、ちょっと聞きたいことがある」


「この俺に? 人生相談ってやつか? ま、言ってみろ」


 読書かビデオ鑑賞でもしていた自分の端末を横に放り出して、彼は体ごと僕のほうに向いた。


「仮の話。お前には、クラスメイト全員を助ける義務がある。お前が助けないと、クラスの半分は家を失って路頭に迷い、何人かは、たぶん、戦争で死ぬ」


「かー、ずいぶんきつい設定だな」


「ま、そのくらいきつい状況だと思って欲しい」


 僕は、天井の模様をぼーっと眺める。

 確かに、きつい状況だなあ、と思う。


「毛利には、助ける手段がある。お前が腕を一振りすれば、すべて解決。誰もが今までどおり、幸福に暮らせる」


「なんだそれ。どこに迷うところがあんだ?」


 僕は、彼のほうに顔を向けて、にやりと笑ってみせる。


「その代わり、その腕の一振りで、親友が一人、死ぬ」


「……俺が、殺すってことか」


「……そう」


「お前を」


「この妄想劇の中で僕がその役目をもらえるんなら、僕でいい」


 勇気ある毛利が、どのような決断をするのか聞いてみたかった。


「一思いにやってやるよ、そりゃな。この俺をその程度の条件で縛れると思ったか? 心理テストとしちゃ、落第点だな」


「どうしてそう思う?」


「一つ。それをすればみんな確実に助かる、しなければみんな不幸だ。そこに、大崎も俺も入ってるかもしれない。俺は自分や親友が不幸になるのなんてまっぴらだからな。一つ。俺は、こういうとき喜んで自分を捨ててくれるようなやつしか親友とは呼ばない。お前もそうだろう?」


「……いや、親友と言って真っ先に僕の名前が挙がると思ってなかったから、その覚悟は無かったけど」


「じゃあ」


 毛利は起き上がり、ベッドに腰掛けた。


「大崎、死んでくれ。あの三十何人かが不幸にならないために」


 その瞳に躊躇が無いのを見て。

 迷わないって、すごいことだな、と素直に感心した。

 だから、僕は答えた。


「喜んで。僕の命一つでお前らが救えるなら」


 すると、にんまりと笑った毛利がうなずく。


「……な? お前はそういうやつだ。俺様の誇らしい親友だ」


「あんまり褒めるなよ、僕は図に乗りやすいんだ」


 僕が眉をひそめて抗議すると、毛利は大笑いした。


「確かにな、お前が図に乗ると、国一つ滅ぼしちまう」


「あっ、あのことはもういいだろ、本当にどうかしてたんだ」


 自由圏の陰謀に我を失ってしまったことをまた思い出して、軽い自己嫌悪がよみがえってくる。


「……不謹慎かもしれないけどな、あのときのお前、ちょっとかっこよかったぜ。『セレーナを傷つけようとするやつは何十億人でも相手にしてやる』とか言ったっけな?」


「そんなこと言ってないよ」


 ……だったと思うけど。

 いろいろ、痛いことを言っちゃった気は、しなくも無い。


「……悩みがあるんだろ? まだ俺たちにも言えないような」


「うん、……そうかな」


 いつも思う。なぜか、彼はとてもよく僕のことを理解している、と。

 それを、親友というのだろうか。


「だったら、お前が決めるんだな。俺にできるのは、こんなたとえ話の中ででも背中を押してやることくらいだ」


「うん、……ありがとう」


「よせよ、気持ち悪いな」


 そう言って、彼は再びベッドに寝転がって自分の情報端末を持ち上げた。


「俺こそ、ありがとうな。この鼻の怪我はまだ痛むけどさ、こんなエキサイティングな旅に巻き込んでくれてさ」


 アルカス共和国で彼が演じた大立ち回りの痕は、まだ赤黒く腫れ上がった彼の鼻に残っている。

 何度か、病院に行った方が、と勧めはしたが、これは俺様の勲章みたいなものだ、と頑として聞かなかった。

 ドルフィン号の簡易メディカルチェッカーで見た限りは打撲に過ぎないらしいから、その点は一応安心はしているんだけれど。


「いや、その話、実は、悪かったなって思ってる」


「あれだろ、大した説明もせずに強引に連れ出して、って」


 言いながらも彼は端末から目を離さない。


「気にすんな。説明されたってどうせわかりゃしねーよ、俺、頭わりーから」


「そんなことない、毛利は、僕にないものをたくさん持ってる」


「だからやめろって、気持ちわりーな」


 と言いつつ、彼が照れ隠しの笑みを浮かべているのを見逃さなかった。しかし、それに気づいたことを知らせる僕のにやにや笑いに、彼はついに気づかなかった(あるいは気づかないふりをしたのかもしれない)。


「これで心理テストは終わりか? ……じゃ、もう一つアドバイスしておいてやる。お前が悩んでるなら、セレーナさんの事だろ? だったら、マービンと浦野にも相談しとけ。あいつら頭いーからさ」


「……分かった」


 彼の横顔に僕は応え、それから、ちょっと出かけてくる、と言い残して部屋を出た。

 行く先を告げずとも、彼は僕が向かう先を知っているだろう。



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