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魔法と魔人と王女様  作者: 月立淳水
第六部 魔法と魔人と終焉の奇跡
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第二章 知恵と勇気と優しさ(2)

 相変わらずルイスとスコットの緻密かつ大胆な知的作業は進んでいるが、僕には手伝えることがなくなり(僕には基底状態解とかなんとかいうものを導くことができない)、作業班側に手伝えることはないかと格納庫に向かうことにした。

 ちょうど、ドルフィン号の貨物室から、スコットが積み込んだ巨大な箱を下ろしているところだった。


「それは、スコットさんの」


「ええ、彼の指示で。実験用のタキオナイザーが入っているんですって」


 振り返ってビクトリアが答える。


「タキオナイザー?」


 どこかで聞いたような気がするけれど、度忘れしてしまった。なんだっけ。


「カノンの先っちょについてる、反転装置のことよ。誰がこんな紛らわしい名前にしたのかしらね」


 とビクトリアは言うが、何がどう紛らわしいんだろう。


「言ってみりゃ、この中身は小っちゃいカノンってわけらしい」


 一隅を抱えている毛利が言う。

 箱を開けてみると、本当にそのみょうちくりんな機械しか入ってなくて、スコットの身の回り品など何一つ入っていなかった。


「これのどこがカノンなんだろうね」


 どう見ても見慣れた大砲の姿には見えない、パイプの骨組みにいくつかの複雑な機械と線が巻き付いただけのそれを見ながら、僕がつぶやくと、


「カノンの大半は加速装置で、虚数時間に反転させる役割を負うのは本当に一部だけということのようです」


 マービンは言って、中をしげしげと覗き込む。


「こんなものを個人で所有しているなんて、すごい人ですね、スコットさんは」


「政府から公式に千年間の年金をもらうんですもの、エミリアで言えば、公爵級の貴族みたいなものね」


 セレーナが言いながら箱の脇のネジを外すと、箱の側面がばらりとほどけて、その機械がむき出しになった。

 鉛色の骨組みが、格納庫の照明を鈍く反射する。


「随分小さいわね、これに収まるようにマジックデバイスを組むのは大変だわ」


「突入反重力効果を起こすには最低二デバイス、ですよね」


「鋭い、と言いたいところだけれど、最低四つ、ね。帆を三次元的に広げるために三つ、時間軸方向の制御のためにもう一つ。つまり、最低でも現象の次元数と同じ数だけデバイスが必要なのよ」


「だったら、五つですね」


 僕はとっさに指摘した。


「突入反重力効果に虚数時間項が現れました。虚数時間軸のパラメータを反映するために五つ」


 ビクトリアは目を真ん丸にしている。

 何かおかしなことを言ったかな。


「君には呆れるわね。確かにそう」


 どうやら間違いではなかったようだ。彼女の苦笑いに近いような表情がちょっと気にはなるけれども。


「僕に手伝えることはありますか」


「大丈夫、手は足りてるわ、それより、先生たちの理論展開をしっかりと見てて」


 熱意のこもった目で彼女は僕に言う。


「だけど、もう僕にはさっぱり分からない領域で」


「それでもよ。私は君が何者なのかを知りたい。第二のルイス・ルーサーかもしれない」


「それは買いかぶりです」


「そのくらいの夢は見させてよ、ね?」


 ビクトリアにそんな顔で小首を傾げられると、ちょっと断りがたいものを感じるわけで。


「……じゃ、僕の分かる範囲で」


 言うと、彼女もにっこりとうなずいた。

 そんなわけで僕は踵を返して研究室に向かおうとした。


「大崎君、待って、食べてないでしょーう?」


 そう言って、後ろから駆けてきたのは浦野だ。


「あの二人にも。これなら、作業しながらでも食べられるから」


 押し付けられたのは、プラスチック容器に詰められたサンドイッチ。


「……ありがとう」


「えへへ、このあいだ、ルイス博士のプリン食べちゃったから」


 結局、あれ、食べちゃったのか。浦野ののほほんとした笑顔を見ていると、突っ込みを入れる気力も失せる。


「晩ごはんは?」


「お昼に買い出しに行ってきたから、キッチンで何か作るよ、大崎君は何がいい?」


「なんでもいいよ、任せる」


「なんでもいいが一番困るのよねえ」


「僕に合わせる必要は無いから。そうだ、そう言うなら、博士たちに聞いてみてよ。ほっとくと本当に食べないよ、あの人たち」


「じゃあちょっとお邪魔しましょうかねえ」


 と言って、浦野は歩き始めた僕についてきた。

 長い廊下を通過して研究室に戻ると、相変わらず二人は紙を覗き込んで頭を抱えている。


「博士、そんなに悩むのは栄養が足りないからなんですよう? 食べてください」


 僕の躊躇にもかかわらず、浦野は僕の手からサンドイッチの容器を奪い取って、二人が覗き込んでいる紙の上にどさっと放り出した。

 そんな乱暴な、と思ったが、


「……ああ、お嬢さんか、うーむ、忘れておったわい。どうだルイス、せっかくだから、いただこう」


「そうだな、ありがとうトモミさん」


 二人は同時に浦野に向けて微笑みかけた。

 議論を邪魔して強引に食事を促して怒られないかとびくびくしていた僕が馬鹿みたいだ。


 先にルイスが、トマトの赤がまぶしいサラダサンドイッチを口に運んだ。


「どうですかあ?」


 浦野が首を傾げながら訊くと、


「うむ、大体のところは見えてきたんだがな、思ったより効果が小さいのだよ。虚数時間内に漏れ出す重力も小さいし、突入反重力効果ががタキオナイザーを巻き込むほどに広がりきってからでは、タキオナイザーの虚数時間パラメータが狂わされてしまう。小さな突入反重力効果に小さな虚数時間重力効果。思ったほどたいした兵器にはならなさそうだ」


 ルイスは浦野の質問をまるで勘違いして答える。

 そして、僕はその程度の質問さえしていなかったことに驚き、次いで、彼らの研究がもうそんなところにまで到達していたことにさらに驚く。


「どんな風に爆発するんですかあ?」


「うーむ、そうだな、考えてなかったが……重力波が発生するだろうな。波頭の立った重力波、重力津波とでも呼ぼうか。超新星爆発で起こるものの何倍もの効果を持つような重力波だ」


「超新星爆発! 知ってますよう、太陽の爆発ですよね、すっごい!」


「そうなれば良いのだがね、効果が小さすぎる。だから重力ポテンシャルの傾斜が険しいような……とにかく、狭い範囲に重力が集中している場所を通過しなくちゃならんのだよ」


 ルイスは浦野相手に笑顔でら講義しつつ、二つ目のサンドイッチを手に取った。やっぱりお腹がすいてたんだろう。


「だったら、すごく重いもののすっごい近くに撃ち込めばいいんじゃないですかあ?」


 浦野は、指で銃の形を作ると、サンドイッチに向けて、ばーん、と言いながら引き金を引いた。

 とたんに、サンドイッチに伸ばしかけたスコットの手が止まる。


「――ルイス、わしはひらめいたぞ、わしらは爆弾単体で効果を出すことにこだわりすぎておった。ありがとうお嬢さん」


 スコットは言うと、すごい勢いでサンドイッチをほおばる。

 歳に見合わぬ早業で咀嚼し、飲み込むと(喉に詰まらせないかはらはらするけれど)、つまりこういうことだ、と言いながら、スコットは新しい紙を引っ張り出してなにやら書き始めた。


 それは式ではなく、簡単な図だった。


 真ん中に丸。右側に、細長い棒。そこから、丸を貫通するように一本の矢印。

 次に赤鉛筆を持ち出し、丸の内側部分の直線を二回なぞった。


「大きな質量の塊の中を通過するこのときに、デバイスは原子の距離でその構成原子の隙間をすり抜けてゆく。十分なエネルギーをこそぎ取れれば」


 それから、矢印の先に同じく赤でバツ印をつける。


「ここで反重力の爆発を起こせる」


「だったらもっといい方法がある」


 ルイスはすかさず赤鉛筆を取り上げると、丸印の真ん中にバツ印をつけた。


「ここで実時間に戻る。同時に、正確にはその直前の虚数時間内で、突入反重力効果を起動する。この塊を覆うくらいに。すると、それまでそこにあったこの塊を構成する原子の周りに、それまで存在しなかった反重力の泡が突然生まれることになる、原子間の重力バランスは崩れ、平衡状態に落ち着く直前に波動的な重力のひずみが発生する。それが収まる前に突入反重力効果を消失させ、こそぎ取ってしまえばよい」


 彼の言葉の意味は少し分かる。


 つまり、急に反重力の泡を発生させると言うのは、高気圧と低気圧がいきなり反転するようなものだ。間でつむじ風が起こる。重力のつむじ風。すべての原子間に起こる小さな竜巻。それをマジックの帆で受ければ、仮に小さな相互作用だとしてもちりも積もれば、というやつだ。


「突入反重力効果に虚数時間項がある、ということは虚数時間内でもきわめてゆっくりとだが帆を広げることができるということだ。なおかつ、虚数時間内でも重力傾斜のエネルギーを発生させこそぎ取ることができるわけだから、撃ち出す瞬間に帆が広がっていなくても、再反転のタイミングで十分なエネルギーを得ることもできるだろう」


 その言葉に、スコットもうなずく。


「では、問題はタイミングだの」


「タイミングを合わせるために必要な数字はいくつか、きっちり理論式を作れれば二つから六つくらいになるだろう。その数字を導くためにはデバイス数の三乗に比例する数の方程式が必要だ」


 空中に式を書くようにルイスは何もない虚空を視線でなぞっていく。


「原子間を重力波を伝わる時間は……原子間距離が十のマイナス十乗、光速が十の八乗とすれば、十のマイナス十八乗か」


「では厳密解が必要だの。デバイスが十の時に千連立方程式か」


 二人はため息をつき、それから、僕に目を向けた。


「ジュンイチ君、ジーニーにはその力があると言うが、可能かね」


「え、えっと、つまり、どういうことですか」


 突然のルイスの質問に、僕は返答を濁らせた。


「ジーニーが直接真実の数字を知ることができると言うのなら。いいかね、数字の確かさとして、99の後に9が十六個以上続くほどの確かさの数字が必要なのだ」


 僕は思わず唸ってしまう。


 それほどの精度の数字を求めることが、本当にジーニーに可能なのか。


 しかし、僕の理解したジーニーの力は、『完全知』のはずだ。

 特異点を通して完全に観測できれば、完全に知ることができる。

 その数字の桁数に意味は無い。

 問題は、特異点の完全な観測、という点で――。


「だったら大丈夫ですよう、大崎君とジーニー・ルカに分からないことなんてないんですよう?」


 ええ?

 思わず、割り込んできた声の主、浦野に顔を向けた。


「ね、大崎君」


 逆に浦野が僕の顔を笑顔で覗き込む。


「いや、いくらなんでも……」


「なによう、あたしにプリンおごる時くらいに気前よく引き受けなさいよう。その数字が分かる確率とプリンであたしが機嫌よくなる確率なんて似たようなものでしょーう」


 ってことは、百パーセントか。

 なんだか、そう言われると、できるような気がしてくる。

 僕は、浦野から目を離してルイスとスコットに順に視線を送った。


「……やります」


 僕が言うと、僕の視線を受けたスコットが、にやっと笑った。


「こいつは参った、王女の恐るべき騎士には、やり手の女房までついておる」


 ルイスも、くっくっ、と低く笑っている。


「いやあはは、女房だなんて、ねえ、照れるねえ、大崎君」


「いやその僕らはそんな関係じゃなくて……」


 僕があわてて否定すると、


「このくらいの冗談真に受けるなよう、そんな堅物だから本当の彼女の一人もできないのよう?」


 と、彼女は僕の背中を思い切り叩き、スコットとルイスは咳き込む僕を見てまた大笑いした。



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