第一章 師弟(5)
夕暮れですべての色が灰色に溶け込む時間帯を狙って、ドルフィン号を研究所内に着陸させた。
ビクトリアが確保した大きな格納庫にドルフィン号をそのまま引っ張り込み、大急ぎでシャッターを閉じる。
夜になったらなったで明るい照明で照らされてしまうから。
格納庫内で友人たちに再会すると、彼らはあまりの寒さに震えていた。この寒く乾いた砂漠の星は、彼らにとって初めての経験だ。
ベルナデッダからリュシーまでの旅の間に、スコットとルイスは早くも数十枚の鉛筆書きの紙を量産していた。これは、マービンがまとめて抱えて出てきた。毛利は、スコットの手を取って足元を気にしているが、スコットは、要らぬ世話だ、と言わんばかりの渋面を作っている。
いつも通り帰宅するつもりだったビクトリアは、急用ができたと自宅の両親に連絡し、それから、人数分の簡易宿泊所を予約してくれた。
宿泊所の布団やらなにやらの準備はセルフサービスとなっていて、早速研究室にこもったルイスとスコットを放って、六人でパントリーにいろいろな物品を取りに行くなどの準備を始める。
途中、必要なものがあるかと聞きに行った浦野が、二人が研究室で適当に仮眠を取りながら議論を続けたいと言っている、という報告を持ち帰ったため、今度は大慌てでそのための準備に追われることになる。
宿泊所の簡易ベッドをばらして運び込んだりという大仕事が始まり、たまたまと言うか、自然と僕とビクトリアが六人の宿泊所の準備を続け、残る四人がスコットとルイスの研究室を宿泊所兼用に改造する作業に、というような分担になっていた。
僕は見栄を張って二人分のマットレスを抱えようとして失敗し、一枚だけを抱えて持ち出す。
それを見て笑いながら、ビクトリアは枕とシーツと防寒のためにやけに分厚い毛布を両手で抱える。
「でもビクトリアさん、どうして?」
僕は疑問をぶつけずにいられなかった。
こんな宇宙規模の面倒ごと。しかも、赤の他人、他国の面倒だし、それどころか、彼女の所属を考えれば敵国の面倒ごとだ。
どうして彼女はここまでしてくれるのか。単純に、気持ちを聞きたいと思った。
「正直に言うとね、もう君は二度と来ないだろうと思ってたのよ」
彼女がそう言ったとき、廊下の角にマットレスをぶつけて僕は少しよろめいた。
「君はとてもすばらしい才能を持ってるわ。宇宙の隅で趣味のような研究をしている私のことなんてすぐに忘れてしまうだろうって」
「そんなことありません、僕なんかに比べれば」
そう言いながら開けた扉は、セレーナと浦野の相部屋。
「君がどう思おうとね」
部屋に入ると、彼女は、毛布をベッドの一つに放り出す。
「――先生へのお誘いのとき、私にも声がかかったのよ。もちろん、学生としてだけど。でも、断ったわ。踏み出す勇気が無かったの」
僕もマットレスをもう一つのベッドに置き、広げる。
ビクトリアは、その上にシーツを広げてかぶせる。
「結果は正解だったかもしれない、でも、踏み出せなかったっていう事実は事実よ」
僕は下肢側を、彼女は上体側を引っ張り、シーツのしわを伸ばす。
「そして、あのとき。君があのマジック船で飛び去ったとき、また一つ、とても大切なものが零れ落ちてしまったように思ったのよ」
ビクトリアがぴんと張ったシーツの隅を、丁寧に折り込んでいる。僕もそれを真似る。
「でも、君は、再び来てくれた。私を頼りにして。私のために、もう一度、踏み出すチャンスを抱えて」
僕と彼女は手分けしてシーツの表面を丁寧になでて整える。
「だから、ただ、踏み出せなかった過去と決別したかっただけ。そんな理由じゃ、だめかしら?」
僕は顔を上げて、シーツの上で向い合せになった彼女の瞳を見つめる。
セレーナほどではなくとも、その瞳には、決意の炎が燃えて見えた。
「いいと……思います」
それは、僕自身にも言えること。
すべてを投げ捨てようと決めたあの時。
それでも、踏み出す勇気をくれる人がいるから進もうと。
踏み出せない僕を見て泣いてくれる人がいるなら、立ち上がろうと。
理想だとか信念だとか、そんなものは二の次だった。
彼女の気持ちは、分かる気がする。
「でも、その……僕が言うのもおかしな話ですけど、これだけの陰謀に首を突っ込んだからには、うまくいってもだめだったとしても、ただじゃすみませんよ」
「それは君もそうでしょう、ジュンイチ君」
「もちろんそうですが……」
「じゃ、君は、君自身を守るのと同じ力で、私を守ってくれるはずよ、違うかしら、お若い紳士さん?」
彼女がそう言いながら首をかしげて微笑む。僕はそのしぐさと顔立ちにドキリとする。
こんなに綺麗な人だっけ。
思わず顔を伏せてしまう。
こんなところをセレーナに見つかったらひどい目に遭うだろうな。
「あら、こんなおばさん相手に顔真っ赤にしちゃって」
「ひどいな、からかわないでくださいよ。それに、ビクトリアさんはおばさんなんかには見えません」
「お世辞が上手いのね。十も上のおばさんにおべっかを使う余裕があるなら、もっと身近な人を大切になさい」
身近な人、ねえ。
下手なお世辞を言うとすねを蹴っ飛ばされそうな人と、プリンよりご機嫌が取れそうなお世辞が思いつきそうもない人なら、知ってるけど。
最後に毛布を乗せて広げ、半分に折って頭のところに枕を置いて、ようやく一人分のベッドが完成した。
「ありがとうビクトリアさん。どんな気持ちで付き合ってくれているのか聞かせてくれて」
「こちらこそ。まさか生きて先生に再会できるとは思わなかったわ。それに、当面、刺激的な研究生活に没頭できると思うと、心が躍るわ」
「そしたらこんなことしてる場合じゃないですよ、ルイス博士とスコットさんの議論はとっくに始まってますよ!」
「ありがと、でもそれはジュンイチ君も同じよ。さっさと終わらせてあっちに合流しましょうね」
僕はうなずき、さっきの倍の早さで次の備品を取りにパントリーに向かった。




