第一章 師弟(1)
★第六部まえがき★
全六部構成の「魔法と魔人と王女様」、その最終部全七章です。
最終部のテーマは『科学と心』。
では、どうぞ。
★★
魔法と魔人と王女様6 魔法と魔人と終焉の奇跡
■第一章 師弟
エミリア王国、惑星ベルナデッダ上空。
ここに来るのは何度目だろう。
ジーニー・ルカによる情報防壁であらゆる痕跡を消し。
ありとあらゆる軍事システムにひそかに侵入して、前のような不意打ちを避けつつ進んだ行程は、それでもわずか一日だった。
星間運搬システム『カノン』には常に長蛇の列ができていて、小型船、特に反重力推進システム『マジック機関』を搭載する小型船にとっては、カノンの待ち時間が旅程の大半を占めるのだが、僕らは、幾何ニューロン式知能機械ジーニー・ルカによる不正で常にその行列の先頭に並ぶことができる。
それが、僕らの宇宙船ドルフィン号を宇宙最速にしている。
船内の平均年齢は三十に近い。
だけど僕はもちろんぴちぴちの十七歳だし、四人のクラスメイト達もみんな似たようなものだ。
ただ一人、齢八十のおじいちゃんがいるだけで。
スコット・マーリン。
虚数時間超光速運動理論の専門家。平たく言えば、星間航行システムであるカノンの純粋理論研究者。
とうの昔に絶えたと思われたその純粋理論の探究者は、地球の隣、アンビリアにいた。
はるか昔、地球を侵略し、独立国を興し、今あるすべての宇宙独立国家の基礎を作り上げたその人物の子孫として。
半年前の僕なら、彼を、憎むべき敵と認識しただろうと思う。
けれど、そんな気持ちはもう起こらない。
彼の先祖がやったことはとても重要なことで、地球はその侵略を受けなければならなかった。
さもなければ、傲慢な地球の国々は宇宙を永久に植民地として支配し続け。
もちろん、エミリア王国は存在していない。
今、隣の操縦席に座っている、エミリア王女、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティも。
そして、彼女に引き寄せられて集まった、数多の仲間たちとの絆も。
あまりに強すぎる地球を地球に封じ込めることこそ、宇宙人たちが自立するためにどうしても必要なことだったんだ。
スコットとの長い会話で、僕はようやくそのことを理解した。
歴史にはいろんな側面と解釈がある。
僕はずっとそう思っていたのに、地球に対する侵略の、その別の側面にずっと気づかずにいた。
やっぱり僕には、歴史の才能は無いのかな。
ただいずれにせよ、そんな侵略があったことすら、僕らを除くすべての人類にとっては俗説以下の存在であることに変わりはない。
だけど、それで良いのだと思う。
宇宙人の自由のために、地球人が屈辱の歴史を反芻し続けなければならない理由は無い。
すべての定説が真実である必要は無いのだ。
真実だけを追い求めることは、歴史研究とは言わないのかもしれない。
いろんな立場を認めて、誰も傷つかない優しい定説を導くことができる唯一の学問。
あらゆることがルールで定められた厳然たる数学の世界とは、また違うのだ。
だからセレーナは言ったのだろう、と思う。
ただひたすらに真実を求める僕は、歴史には向いていない、数学に進むべきだ、と。
スコットの語った真実は、少なくとも、こんな風に僕の心には大きな衝撃を与えた。
その彼を、ベルナデッダに連れて行く理由は、そんな歴史の真実を語ってもらうためじゃなく、彼のもう一つの顔、つまり、カノン理論家として、反重力研究者ルイス・ルーサーに会ってもらうため。
僕らが僕らの王女を勝利に導く最後の武器、マジック爆弾を完成させるために必要な知識を、彼らが持っているはずなのだ。
武器と言っても、別に大量殺戮をしたいわけじゃない。
ただ、エミリアの野望を派手にくじき、その後も、王女にエミリアを守る力があると、諸侯や民に示すため。
この世の誰も理解できない力を示す。
それは、言ってみれば子供だましのトリックなんだけれど。
結局、子供が五人集まってできることは、この程度に過ぎず、後はこのトリックをいかに大げさに見せるか、それは、セレーナの手腕にかかっている。
ともかく今は、そのための道具を得るのが先決で、こうして、宇宙有数の頭脳を宇宙からかき集めてきたわけだ。
ルイス・ルーサー。
スコット・マーリン。
そして、ジーニー・ルカ。完全なるジーニー。
いよいよ、ドルフィン号は、降下を始める。
僕、大崎純一と、セレーナ、スコット、それに、僕のクラスメイトたち、毛利玲遠、マービン洋二郎、浦野智美を乗せて。
***
時差のため、僕らの感覚はまだ朝早くだったが、ベルナデッダのルイスの自宅のある地方は夕方が近かった。
そして、相変わらず、しとしとと雨が降っている。
三十分バスを待ち、三十分バスに揺られ、市街から三十分歩いて、三度目となるルイス宅の玄関で、僕は名乗りを上げて呼び鈴を鳴らした。
飛び出してきたルイスは、顔色が悪く両目の下に隈ができているが、瞳はぎらぎらと輝いていた。
ついこの間まで、世をはかなむ隠遁生活者のような風貌だったのが、今は、まさに野生の猛禽類のようなオーラを出していた。
すぐにスコット老人を見つけ、右手を差し出した。
「私はルイス・ルーサー。反重力推進システムの研究をしている」
ややためらった後、ちらりとセレーナに視線を向けてから、スコットはその手を取った。彼も、なぜかセレーナに対して奇妙な信頼を感じるようになっているように思えた。
「はじめまして、わしはスコット・マーリン。虚数時間超光速運動理論の研究をしておる。先人の研究を追いかけるので精一杯だがの」
大きな手としわがれた手は、三度、上下に振り回された。
「早速だが、反重力理論に虚数時間らしき項が現れたと?」
「ええ、その通り。まずは見ていただきたい」
玄関での会話はまさに十秒で終わり、初めて会ったはずの二人はすぐに半駆けでルイスの示すダイニングテーブルに飛びついていた。
研究者は変人ばかりで、セレーナに言わせれば僕もその一角らしいのだけれど、さすがにこれは、僕から見たって十分に変人だ。
自分が一般人側だと再認識して胸をなでおろし、ともかく、彼らの話を少しでも聞いておこう、と僕も駆け寄る。いずれ、ジーニー・ルカにオーダーを出すのは、僕になるのだから。
毛利は興味本位で僕のそばに顔を並べ、浦野は早速お茶か何かの準備にかかり、マービンは、ルイスがこの何日間かの自習で散らかし放題にしたリビングダイニングの整頓を始めた。どちらを手伝おうか、と悩むようなそぶりを見せた後、セレーナは床掃除に参加したようだ。
ルイスは、テーブルの上に山のように重なっている紙を上から何枚かひったくり、破れるんじゃないかというほど乱暴にめくって、一枚を一番上にして置いた。ぴしゃり、と紙が音をたてて広がる。
「見て欲しい、この項だ」
指差す先に、ごちゃごちゃとした数式の一部が赤い丸で囲ってあるのが見える。
「展開すると、時間項が二次元になる。虚数時間としか思えないのだ」
スコットはしわしわの顔をその紙に近づけ、
「なるほどなるほど、目の付け所はよいの。虚数時間理論の基礎方程式は?」
「当たってみた。だが、どの保存項も次数が違う」
「そこまで分かっておるのなら、十分。この次数の保存項は、基礎理論から厳密展開したときにのみ現れるのだよ」
スコットは微笑みながら何度かうなずく。
もはや話についていけていないけれど、どうしたものか。
「しようがあるまい、あれはもはや一般のカノンの教科書には載っておらんからの。どれ、ここで書き下して見せよう」
そう言って彼は鉛筆を手に取り(そういえば僕の知る科学者たちはみんなインクの出るペンじゃなくて鉛筆を使う、そういうものなのだろうか)、ルイスに要求して得た真っ白な紙に短い式を一つ、そして、それを一気に膨らませた全部で三十以上の項を持つ式を書き加えた。
「……なるほど、教科書に載っているのは、これとこれとこれと……これらの六項だけのようだ」
門外漢であるはずなのに虚数時間理論の基礎方程式を覚えているのか、ルイスは。恐るべき頭脳だ。
「残り二十七項は、カノンの設計では不要な数字だ。影響があまりに小さいでの。これらを無視して百光年を飛ばしても、数キロメートルとずれることはあるまい」
スコットが言っているそばで、式をなでていたルイスの指が、ぴたりと一箇所で止まった。
「……これか」
「それだ」
それは、さっきルイスが不思議な項があると言って示したのと、文字こそ違うが形はよく似た一つの項だった。
「この基礎方程式の厳密展開は、我がマーリン家の長年のテーマだった。そうして、数百年前、宇宙の誰もが基礎方程式のことなど忘れた頃に、この厳密展開に成功したのじゃよ。その中に、重力を意味する項があったことは大変な驚きであった。ルイス、君が指している、その項だよ」
しばらく黙っていた二人は、気づくと、二人が二人とも目を閉じて一粒の涙を落としていた。
「ジュンイチに話を聞いたとき、もしやと思ったものが――」
「こうも完全に符合するとは、何に感謝すればよいものか。神か、魔か、あるいは――」
「――我らが王女様か」
二人は同時に、床に這いつくばって本棚の隙間に滑り込んだ紙を掻き出そうと四苦八苦しているセレーナを見やった。
「二つの理論は、つながったようだの」
スコットの言葉にルイスもうなずく。
「こうなっては、彼らが持ち込んだもう一つの奇跡の技術さえもつながっているかもしれんな。時間、空間、あらゆるポテンシャルの壁を乗り越えてすべてを『知る』力」
「我らが王女様は、宇宙のすべてを集めてくるようだ。彼女は、宇宙そのものを見る覗き窓のようなものなのかもしれぬ」
彼のジョークに、ルイスも低く笑いを返す。
僕にとってはあまりジョークに思えないその言葉に。
「私は、この虚数時間項は、マジック弾頭弾をカノンに納める最大の障壁だと思っていた。だが、今、少し違うことを考えているのだ、スコット博士」
ルイスが、不意に、にやりと笑うような表情を見せる。
「君もか、ルイス。わしも同じだよ。この項の係数となるこの次数は……恐るべきことだが」
「時空体積に比例すると言っている」
「うむ」
彼らが何を発見したのか、僕にはわからない。
そもそも、彼らが囲んでいる小さな数式の意味さえ全く分からないのだから。
けれども、熟練の科学者二人が、その小さな数式に恐るべき意味を見出したことは確かなようだった。
「博士、それ、どういう意味なんですか」
と、毛利には遠慮というものはないらしい。
「何と言ったか、ああ、レオンだったかの、この式の意味は分かるかね?」
「いいえ、全く」
「これはだね、レオン君、簡単に言えば、マジックとカノンの関係だ」
「と言うことは?」
「前にあのマービン君が言っていただろう、マジックを動かしたままカノンで放り投げると莫大なエネルギーを集めてしまうと。従来の理論計算では分からなかった。だが、突入反重力効果の理論式を作る時に無視できない大きさになった、それまで誰も気にしなかった小さな項の中に、カノンで使う虚数時間が隠れていた」
ルイスが言い終ると、その語尾の響きも消えぬうちにスコットが口を開き、
「それでな、その項の絶対値は、つまり、エネルギーとなるわけだが、これは、虚数時間に体積をかけたものになる。体積とは、マジックの帆の体積なのかもしれぬ」
「突入反重力効果を使えば、巨大な帆を一瞬だけ張れる。一方、虚数時間超光速運動は、どのような瞬時の中にも何億年もの虚数時間を閉じ込めておける」
「この項の効果はとてつもなく小さい。しかし、とてつもなく大きなマジックの帆ととてつもなく長い虚数時間をかけるとどうなるか、分かるかの」
二人のリレー講義がスコットから毛利への問いかけで途切れた。
「……とてつもなく小さな数字に、大きな数字を二つかける。と言うことは、かなり大きな数字……つまり、エネルギーが得られるってわけだ!」
「その通り」
毛利の回答を、ルイスが完全に肯定した。
「すみません、それはつまり……マジック爆弾が期待するよりも」
「そんなもの問題にならないほどのエネルギーだ」
恐る恐る尋ねた僕へのルイスの答えは、これだった。
「理論上、カノンで投げる時の虚数時間タイマーのセッティングに限界は無いからの。仮にだ、宇宙の果てまで旅するようタイマーをセットして、飛び出す瞬間に、その突入ナントカ効果を発動すれば、宇宙の果てでビッグバンをもう一回やれるくらいのエネルギーを持った弾丸が炸裂するかもしれんな」
ビッグバンを?
まさか。
しかし、さっきの言葉を整理してみれば、理屈が合う。
突入反重力効果では、瞬間的に帆の広さが何千倍にも広がる上に、虚数時間を次数に持つ項が現れる。
カノンは、どんな瞬間にも何億年もの虚数時間を閉じ込めておける。
帆を広げた状態のマジック爆弾を何百億光年も何千兆光年も旅させてしまえば、そう、いつかはそれは宇宙中の重力のエネルギーをかき集めてビッグバンを起こしてしまう。
いや、まさか。
「なんじゃ、ルイス、この子はすぐこんな冗談を真に受けるような子なのかね」
「ふっふ、そういうところはあるがね、ま、良くも悪くも真面目で頭のいい子だ」
……その二人の会話で、僕はすっかり担がれていたことに気が付いた。
見ると、二人して悪戯っぽく笑みを浮かべている。
そりゃそうだ。いくらなんでもビッグバンなんて。
「この効果は小さすぎるな、だが、ちょっと面白いことが出来そうだの」
「うむ。マジックエンジンを一つ、ちょっとした爆弾にするよりはだいぶ面白いことが」
「ルイス、早速、式の統合を始めようではないか。反重力理論と虚数時間理論の統一理論ということになれば、これはちょっとした偉業となるぞい?」
「もちろん、王女様に頂いたこの奇跡の糸口を手放そうとは思わぬ」
そして二人は、ダイニングテーブルの上のすべてのものを両手で払い落とし、真っ新になったテーブルの上に、たった一枚の真っ白の紙を置いた。
それが、彼らの共同作業の始まりだった。
★第六部まえがき続き★
いよいよ最終部です。
すべての鍵を手に入れた彼らは、いよいよ、究極を超える究極兵器作りに踏み出します。
しかし、どうやらジュンイチには心がかりがある模様。
それは、ジーニー・ルカが十全の力を発揮するために必要なこと。彼が最も恐れるその正体とは。
エミリア、ロックウェル、そして母なる地球。三つ巴のにらみ合いに終止符を打つべく、王女の騎士団は出発します。
最終部は、彼らの最後の挑戦の物語。
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