第六章 ファントム・オブ・カノン(1)
■第六章 ファントム・オブ・カノン
僕らに危機が迫っているのを教えてくれたアンドリュー・アップルヤード。
僕らの最大の弱点を教えてくれた、ルイス・ルーサー。
この二人の力が無ければ、こうしてアンビリアにたどり着くことも無かっただろう。
考えてみれば、これまでに出会ったすべての人の助けがあったから、僕らはこうして、ここにいる。
一時は敵と憎んだラウリ・ラウティオでさえ。
すべての人々の力があってこそ。
眼下に広がるのは、人類が始めて地球外に移り住んだ、惑星アンビリア。
かつては、空から地球を支配するにっくき隣国としか思っていなかった星。
その星が、果たして僕らの旅の終着点となるだろうか。
目的の人を見つけられるだろうか。
必要なものがそろいつつあるのを感じる。
さあ、大気圏突入だ。
テラフォーミングに失敗したこの星の大気は二酸化炭素が主成分だと言う。
比重の異なる大気でも、まったく制御を狂わすことなく翼で船を導く滑空システムの偉大さ。
そんなことにさえ、人類の知恵の深さを感じるようになった。
一つの巨大な連続物である都市へのいくつかの入り口へと続く行列に並ぶように着陸する。考えてみれば、こっそりどこかに降りて姿を隠せるほかの惑星に比べて、アンビリアだけは、着陸のリスクが高い。ここもロックウェルの影響圏内だから、油断はならないだろう。
いくつかの指示を出して、情報防壁を強化する。使ったシステムの痕跡消去の間隔を縮め、対象システムを、管制センターや駐機場だけでなく、ドッキングハッチや移送用レールウェイにも拡げる。
行列が進み、やがて、ドルフィン号の番になる。
五人の下船と、大きな箱の貨物二つを持ち込むことを申請する。
二つの貨物は検査場へと回されるが、その前にシステムを操作して手荷物の一時保管庫に送り込まれるようにした。その後、こっそりゲートを逆走して保管庫に忍び込み、箱を開けて中身を放り出す。これは、毛利が見事にやってのけた。
それから、匿名で、保管庫に人が倒れている、と通報した。
面倒だったけれど、神経銃で撃たれて倒れた軍人をいつまでもドルフィン号に乗せておくわけにもいかないし。IDやその他の身分を証明するものはすべてはぎ取っておいたから、身分を確認できるまで時間がかかるだろう。
この最大の面倒ごとを済ませて、僕らはようやく、アンビリアに来た本来の目的に向けて一歩を踏み出すことになった。
***
最初にすべきことは、インタビューだ。
アンドリューが別れる前に、彼が以前に取材したアンビリアのカノン技術者のリストをくれた。このうちのいくつかに手分けして当たってみるのがスタート地点だ。
本当は五人ばらばらにまわれば一番効率がいいのだろうけれど、ロックウェルの影響圏内を一人で歩き回るのは危険だろうということで、二人と三人の二組に分かれることにした。
僕とセレーナのどちらも、一組は僕とセレーナで行こう、と当初は主張したが、僕らの唯一の武器、ジーニー・ルカを操れる二人は一人ずつ別の組に入るほうが良い、という浦野らしからぬ鋭い指摘もあり、セレーナは毛利とマービン、僕は浦野、そんな組み合わせになっていた。理屈としては、ジーニーに関しては僕は一人でもやれるだろうが、セレーナについてはマービンの助言付きで一人前だろう、一方、物理的な危険に対しては、神経銃の名手・浦野を僕側に、腕力担当の毛利をあちら側に、そんなロジックだ。僕がセレーナとマービンを足したほどのものかという点に異論が無いわけでもなかったけれど、浦野にしては実に理屈がしっかりしているし、自分から神経銃を携行すると言う彼女の決意を踏みにじるのもかわいそうだと思って、黙っていた。
そういうわけで、町に入って二つ目の分かれ道で三人と別れた僕のそばには、ロックウェル兵から掠め取った神経銃を小さな布かばんに隠し持った浦野がいるのだった。
「ここにも来たことがあるんでしょーう? いいなあ」
言われて思い出すと、資料館に行って、あわてて逃げ出した記憶しか無い。
「人類最初の地球外入植地だ。その壁だって、千年前の壁かもしれない」
けれど、こんな風に先輩風を吹かしてみてもいいんじゃないかな。なんて思いながら言葉を返す。
「これかあ、これが千年前の壁かあ。もしかするとあたしの三十代くらい前のご先祖様も触ってたかもねえ」
すっかり僕の大言を信じきって、壁をぺたぺたと触りながら歩く浦野は、瞬く間に軍人二人を撃ち倒した射撃の名手と同一人物とは思えないほどふわふわとしている。
「それにしても、よくそれをもう一度持とうなんて」
僕の問いに、浦野は、一瞬、布袋に包まれたそれに目をやった。
「あたしもねえ、分かったの。自分の強さに押しつぶされそうになる感覚。もちろんあたしの場合は敵の背後から神経銃の引き金を引くだけの強さだけどさ、ああ、あのときの大崎君もそうだったんだあ、って。大崎君が立ち直って、その力であたしたちを守ってくれてるのに、あたしができないなんて言えないよう」
彼女の言葉に、僕ははっとなってしまった。
あれは、僕だけが乗り越えるべき壁だった、なんていうおごりの気持ちがあったかもしれない。
優しい彼女には、そんな壁を乗り越える必要なんて無いって。
つらい役割を引き受けてやり遂げた彼女に対して、とても失礼なこと。
「そうだった、浦野はすごいな。僕が何日もかかって乗り越えたものを、こんなにすぐに」
「うえへへ、そんな風にほめられると照れちゃうなあ」
とはにかむ浦野。
幅十メートル以上はある通路、当初は殺風景な事務所への入り口ばかりが並ぶ通りだったが、食料品店や個人商店などが並び始める。天井近くの採光窓から少し薄暗い陽光が差し込んでいる。
「大崎君は相変わらずだねえ。なんだか、コンプレックス感じちゃうな」
「……なにが?」
「だってさあ。勝てない相手くらいいるにしても、それでも、きっと、今の君は宇宙で一番強いよ? なのにさ、ちっとも傲慢にならないで、あたしみたいな人でも素直にほめてくれて。あたしがそんな風になったら、きっと周りを見下しちゃうと思うなあ」
「そんなことないさ。僕の立場になれば、きっと。僕がこんな風なことになったことは、単なる偶然で、ほかの誰でもよかったはずで……それは浦野だったかもしれない。駆けるセレーナが最初にぶつかったのが浦野で、ロックウェルの陰謀に巻き込まれてそれを打ち砕いたのが浦野で、ジーニー・ルカの全知の力を見つけて引き出したのが浦野で、そんなことだってあったかもしれないんだ」
「あたしが最初にセレーナさんにぶつかったって、大崎君にはなれなかったよ」
僕は首を振った。
セレーナと、それから、ジーニー・ルカ。
重要なのは、これだけだった、はずなんだ。
僕は、ただそうあっただけで。
歴史マニアでセレーナによれば数学の素養がある、そんなことは、実は些末なことだった。
必要であれば、セレーナとジーニー・ルカが、僕をそうなるように変えたはずだ。
あの時セレーナにぶつかったのが誰であっただろうとも、それが、セレーナとジーニー・ルカにとって必要なのであれば。
「……セレーナといれば、誰だってこうなるさ。何しろ彼女は――」
「――アレ、だから、ねえ」
僕の言葉を継いで、彼女はくすくすと笑った。
小さなパン屋が見えて、浦野は思わず覗き込んでいる。
普通のパン屋には、きっとプリンは無いと思うけど。
あの小さな町に帰って、焼き立てパンと洋菓子の店で、ぜいたくプリンをおごらされる日が、いつか戻ってくるのかな。
「大崎君が、なーんか隠し事してるってこと、知ってる。一つ、いや、二つ、かなあ」
パン屋にプリンが無いことにちょっと落胆し、それから、浦野はまた正面を向いて、唐突にそう言った。
二つ?
一つは思い当たるけれど。
もう一つは、何か彼女の思い込みだろうか。
「あ、別に、隠し事されていやな気分とかじゃないのよう。たださあ、そんな秘密を抱えてても、あたしに普通に接してくれて、えらいなあ、って」
「なんていうかその……それは、僕の……というか僕とセレーナの問題でさ」
まだ確かめたわけでもない、疑惑、仮説、推測の域に過ぎない、あの秘密については。
「そうでしょうとも。でも、あんまりあたしを甘やかさないでねえ?」
話の脈略がさっぱり分からなくなってきた。
「プリンは卒業するっていう話? 今も目線がパン屋に向いてたけど」
「えー、それは、その、いや、もうしばらくは」
何がもうしばらくなのか。
どうにもさっきから言っていることがよく分からない。
「秘密を、聞きたい、ってこと?」
「ちがうよう、そうじゃなくてさあ。あーもう、君は本当にデリカシーがないなあ。なんかさ、ありがと、ってこと」
「な、な、何が?」
僕が思わずどもり気味に訊き返すと、浦野はぴょんぴょんと二歩先に跳ねて行って、
「さーて、なんでしょーう?」
そう言いながら振り返って、キラッ、と擬音が付きそうな笑いを浮かべた。
もうさっぱり分からない。
何かを言いたい?
何かを知りたい?
そう言えば、セレーナにも同じように宿題を出されたことがあったような気がする。
女心とかってやつか。
そうだとすると、回答篇はまだまだ先かもしれない。
立ち止まった僕を置いて浦野は歩き出す。
僕はあわてて追いかける。
追いかけるように三十歩も歩いた頃に、また、彼女は振り向く。
「ぷ、プリンなら、いつでも今でもオーケーよう?」
ほのかに頬を赤くした彼女のその先を見ると、見事に洋菓子の店の看板がかかっていた。




