第五章 歴史家(5)
ドルフィン号の外殻に何かが衝突する音が響いてきた。
暴力的に破られても後々困るので、素直にドッキングハッチのロックを外す。
ハッチが開くと、向こうから、いくつかの声が聞こえてくる。
そのうちの二つの声が、ハッチをくぐったのが分かった。
――二人か、いけそうだ。
開け放った操縦室の入り口のドアの向こうに、その姿が現れた。
いつかロックウェル艦隊に監禁されたときに見た、あの軍服そのままだ。
その右手には、銃を抱えている。
こんな狭い宇宙船で熱針銃は無いだろうから、あれはたぶん神経銃だろうな。
最悪でも、二、三日の不快な眠りとその後のひどい痛み。
眠っている間に苦痛も無く死なせてくれるならそれも悪くない。
そう思えば、まだ気が楽だ。
ヘッドセット越しに、目標がいました、と告げているのが聞こえる。
さあ、今だ。
思ったとおり、彼らは唯一の弱点をさらした。
「ジーニー・ルカ」
僕は小さく告げた。
事前に決めておいたことを実行する、最後の合図。
「動くな!」
通路の向こうから、神経銃を構えて、一人が叫んだ。
セレーナは、入り口側にぐるりと回した操縦席に座ったまま、穏やかな表情で彼らを見返す。
「ここまできて抵抗はしません。しかし、一国の王女に対する礼が神経銃の銃口とは、どのようなわけですか」
優雅なしぐさと冷徹な瞳で彼らを射抜く。
ゆっくりこちらに漂っていた二人は、びくりと体を硬直させる。
「しっ、失礼……しました」
一人が、セレーナの気品に圧されて、おそらく思わずだろう、口走る。
もう一人も、あわてて銃を下げる。
「エミリア王女、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ殿下ですね?」
それなりの教育は受けているのだろう、弱い磁力補助付きブーツで床に吸い付きカツンとかかとをそろえ(あの靴、欲しいなあ)、姿勢を正して、相手の身元を確認した。
「いかにも。ロックウェルの軍人、ロックウェル連合国の公式の要請とあれば、私はもちろん参りましょう、しかし、この私を囚人のごとき扱いとすることは許しません」
セレーナがぴしゃりと言い放つと、二人はさらに恐縮した。
「もちろん礼を尽くします、殿下。……三人ですか? 新連合市民が四人乗っていると聞いていましたが」
遠くで、小さな音がする。
あれは、ハッチが静かに閉じた音だ。
もちろん、この船に乗っている大悪党の仕業。
「ええ、三人です。私と、新連合市民オオサキ・ジュンイチ、マービン・ヨージロー。彼らに危害を加えることも許しません」
「しかしながら、しばらくは不自由を見ていただかなければなりません」
一人がそう言って、腰から手錠のようなものを取り外した。
五つぶら下がっていたうちの二つを。
セレーナに手錠をかけることだけは思いとどまったらしい。
賢明な判断だ。
「私が拘束される法的根拠を説明してください」
唐突にマービンが椅子から立ち、大声でそう言った。
それに対して、彼らは答えを用意していたようだ。
「では申し上げます。地球新連合およびロックウェル連合国の加盟している国際犯罪者引渡し条約の第三十条――」
そのとき、ひそかに耳につけているワイヤレスイヤホンから、かすかな声が響く。
「ジュンイチ様、完了しました」
「彼の声紋分析も」
僕は、マービンに対して法的根拠とやらを諳んじる声にまぎれて聞こえない程度の声で返す。
「かしこまりました」
「彼の読み上げが終わると同時に割り込み開始、毛利と浦野に合図を」
「かしこまりました」
僕らの密談の間、根拠を述べ立てる彼の言葉は続いた。
「――の場合、逮捕、あるいは拘留することを例外的に認める。以上の根拠により、新連合市民のお二方を、逮捕いたします」
彼が言い終わり、そして、二人がゆっくりとこちらに向かって漂い始めた直後。
一人が突然、のどから小さな悲鳴を漏らして硬直した。
そして、もう一人は、彼と同じくらいの体格の毛利に後ろから組み付かれる。
その体制では、神経銃も使えまい。
「やったか!?」
「やったよう!」
「じゃあ、もう一発!」
そう言って毛利は壁を蹴って羽交い絞めにしたもがいているもう一人を空中に投げ出した。
神経銃で反撃しようとするがたっぷりの角運動量を与えられて空中を回転している彼は狙いを定められない。
しかし、通路の向こうから神経銃で狙い済ましている浦野は違った。
抜群の運動神経ですばやく狙いを定め、トリガーを引く。
もう一人も、体をびくりと震わせ、そして、沈黙した。
「ジーニー・ルカ、階級が上のほうの名前は?」
「クラーク軍曹です」
「ありがとう。みんな静かに。ジーニー・ルカ、送話開始」
そして、ちょっとだけのどを整えてから、
「こちらクラーク軍曹。隠れていた二人を含め五人の身柄を確保。王女殿下以外は拘束済み。王女殿下のご希望により、このまま艦隊に曳航する」
僕の声は、ジーニー・ルカのによって、クラーク軍曹の声紋に置き換えられ、接舷してきた戦闘艇に伝わっている。
僕らが見つけた唯一の彼らの弱点。
彼らがこの船に乗り込んできたとき、無線通信で本船と連絡を取るだろう。
その無線リンクを乗っ取ったのだ。
『了解した、曳航ケーブルを接続する。その間、身元確認をする。五人からIDを接収し、スキャンを』
「了解」
と答えたが、しかし、すでにジーニー・ルカの触手は戦闘艇の中に伸び、蝕み、食い荒らしているのだ。僕らの身元確認結果を完全に偽ることなど、簡単なことだった。
彼らには、僕らが完全に拘束されているとしか思えないだろう。
彼らに曳航ケーブルを出させ、それはやがて、ドルフィン号の牽引用フックに自動的に接続された。
『さっき一瞬生体信号が乱れたが、問題は無いか?』
「馬鹿なガキの一人が飛び掛ってきたが、すぐに拘束した、問題ない」
『よろしい。曳航を開始する。ドッキングハッチを切断するが、もっと応援はいるか』
「必要ない、捕まえればおとなしいものだ。所詮はガキどもだ」
『口を慎め、仮にも相手は王女だ、減給ものだぞ』
たぶん戦闘艇の艇長は同格か仲の良い士官なのだろうな。
クラーク軍曹に成りすました僕を叱りつけた。
ここまでくると、毛利などは笑いをこらえるのに必死だ。
「以後、気をつけます」
そして、僕は身振りで送話の停止を指示した。
これで僕らはもっとも安全な囚人になったわけだ。




