第五章 歴史家(3)
オウミの表面が眼下で徐々に縮んでいった。
まだ、気持ちはすっきりとしないが、それでも、僕を鼓舞して送り出してくれたアンドリューには、心の中でもう一度お礼を言った。
そうして、ようやく背もたれに全身を横たえて大きく息をついたときだった。
船全体が殴られたような衝撃。
本来、マジック推進中であれば、多少の重力、加速減速は、マジックの泡の中では感じることがなくなる。
――のだから、この衝撃は、この船に何かが直接ぶつかったとしか思えなかった。
ベルトをきちんと締めていなかった毛利はほとんど空中に放り出されている。衝撃のあった方向を背もたれにしていた浦野は後頭部をぶつけて涙目でうめいている。
セレーナがすぐに、何があったのか調べるようジーニー・ルカに命じている。
まもなく、ジーニー・ルカの回答があった。
「判明しました。マジック推進装置に過負荷がかかり、異常加速が発生しました。再調整のために十七分間、マジック機関を停止します」
その言葉を聞いて、すぐに窓の外を見る。
慣性運動は少なくとも惑星に落下する方向ではないから、しばらくは大丈夫だろう。
こんなときに故障なんて。
ずいぶん酷使してきた自覚はあるのだけれど。
「まいったわね、こんなこと初めてよ」
「ジーニーだけじゃなく、私たちもチェックしましょう。マニュアルはありますか?」
簡易席の中では唯一無事だったマービンがすぐに席を立って、操縦席のパネルを操作し始める。まもなくジーニー・ルカが、彼の個人端末にマニュアルを転送したと告げ、彼はそれを見ながら何かを確認している。
被害者の二人はともかく僕だけ座っているのも居心地が悪く、キャビンを確認してくる、と言い残して、操縦室を出る。
通路はどこにも異常無し。
四つのキャビンを順々に確認したが、壁にかけていた造花が外れて空中を漂っていた以外の異常は見当たらなかった。
キャビンの手前の洗面室にも異常無し。その向かいのパントリー室でも、いくつかの食料パックが位置をずらしている以外の被害は無さそうだった。キャビンより奥の資材倉庫までは確認しようとも思わなかった。
チェックを終えて操縦室に戻ると、混乱から回復した毛利、浦野も一緒に、操縦席前方のパネルにしがみついていた。
「どうだった?」
僕が聞くと、
「船は問題ありません、しかし、後方から、四機の小型宇宙船が近づいています」
とマービンが答えた。
「……問題なのかい?」
「ただ通り過ぎるだけなら問題じゃないのよ、ただ、どう考えてもまっすぐこの船に向かってるの」
セレーナが困惑の表情で振り返る。
「広い宇宙でこれだけ近距離に四機もの宇宙船。十分に異常です」
マービンが付け加える。
その異常性を理解した僕も、パネルに駆け寄る。
水平レーダーモニターには、確かに、この船の後方に、四つの小さな点が移っている。
「通信は試みた?」
「だめだった。ジーニー・ルカにも」
「セレーナ王女のおっしゃるとおりです。後方の船には、接続可能な無線リンクがございません」
完全に無線をオフにしてこっそり忍び寄る宇宙船だなんて。
まるで、僕らを捕らえるために。
――まるでどころじゃない。
間違いないだろう。
アンドリューの不安は、こんなにも早く現実になったのだ。
「船を後ろに向けて。せめて肉眼で確認しよう」
セレーナの視界に入れれば、もしかすると無敵の全知機能が何かを知ることができるかもしれない。冷蔵庫のブロックベーコンのように。僕はひっそりとそう考えてオーダーをしたのだが、
「申し訳ありません、マジック機関の調整が終わるまで回頭は不可能です」
ジーニー・ルカは、無慈悲に答えた。
言われてみればその通りだ。マジック船は、加減速だけでなく回頭もマジック推進に依っている。マジック機関が故障すればそれさえできない。
それにしても、どうしてこんな最悪のタイミングで故障なんて。
「おい、あと何分で回復するんだ」
毛利があせりを隠そうともせずに言うと、
「あと七分お待ちください」
とジーニー・ルカは答える。
レーダー上の後ろの船の速度から言って、たぶん化学推進だろう。あまり相対速度を大きくすると僕らを捕らえるための減速が間に合わないから。この分なら、捕まるまであと十分はある。マジック機関が回復しさえすれば一瞬で逃げ切れるだろう。
「回復し次第、最大加速で振り切ろう。多少衝撃があるかもしれないから、みんな席について待機」
僕の言葉に全員がすぐに席に戻った。
セレーナは相変わらず顔色が悪い。
「大丈夫、この船なら」
「……ええ。分かってるわ。でも……」
彼女の考えていることは分かっている。
やっぱり僕らの立場はとても危険なものだということが再確認されて。
今回の故障がもうちょっと重大な場面で起こったら、僕らは捕まり、ただではすまないだろうということ。
彼女は、彼女自身の身の心配よりも、やっぱり、僕らの心配をしているのだ。
マジック機関の唸りが消えた船内はあまりに静かで、誰かが身じろぎする音にどきりとさせられるくらいだった。
時間はなかなか過ぎてくれない。
遠目に見るパネルには、じりじりと距離を縮めてくる四つの影。
でも大丈夫。あと三分。
二分。
一分。
十分な距離がある。
逃げ切れる。
「調整完了、マジック機関、再起動します」
ジーニー・ルカの声。
間に合った。
「全速で発進」
セレーナがすぐに命じる。
船は加速した。
しかし、それは一瞬だった。
すぐにマジック機関は異常な音を立てて唸りを止めた。
僕らの体にはさっきと同じ衝撃が襲ってきた。
「先ほどと同じ症状です。しばらくお待ちください」
どうしたことだ。
完全に故障してしまったのだろうか。
しかし、マービンのチェックでは問題がなかったらしいから、何かおかしなことが起こっているのかもしれない。
チェックしようと僕は席を立ち、パネルの前に進んだ。
そのときパネルに写っていたレーダーモニターの中におかしなものを見た。
近づいてくる四つの影、それぞれに、これまでの飛跡が薄い色で表示されている。
しかしその一つから、細長い飛跡が伸びていて、ドルフィン号と船団の間で綺麗に途切れている。
何かが飛び出して、ここで消えている。
パネルを操作して飛跡の時刻推移を表示させる。
……間違いない。
飛跡が消えた時間は、マジック機関の停止時間と一致している。
何かが飛んできて弾けて消え、同時に停止するマジック機関。
――ああ、気づいてしまった。
「……大崎君、どうしたのう?」
僕の青い顔が見える側に座っていた浦野が、声をかけてきた。
そんなに顔色が変わっていただろうか。
でも、変わらざるを得ない。
「……やられた」
小さくつぶやくしかなかった。
「な、なにが?」
すぐさま応じる彼女に、なんと説明したものだろう。
けれども、隠しても仕方がない。
僕らは、敗北したんだ。
「ルイス博士の言った、マジック船の唯一の弱点。……反重力フラッシュボムだ」
それを、みんなは覚えているだろうか。
けれども、少なくともセレーナは、完全に予想通りの反応を示した。
「……宇宙艦隊が、いるのね」
「そうなるね」
そう、いるのだ。
完全に、戦闘行動モードで。
本気で姿を隠した宇宙戦艦が、たぶん、僕らの後方に。
すべての無線リンクを切って。
軍用レーダーからも姿を隠すステルス性能を全開にして。
レーダーでも情報学的にも、もちろん目視からも完全に姿を消した宇宙艦隊。
それは、マジック船を無力化できるのみならず、全知の力を持つジーニーにとってさえ、天敵だ。
僕らが持っていたたった二つの武器は、こうして、あっさりと破られた。




