第五章 歴史家(2)
研究所をアンドリューとともに出た。
せっかくだから、僕らの船と、仲間たちを見たい、と言うので、徒歩で並んで駐機場に向かうことにした。
官庁街に程近い駐機場は、政府公用優先だが、これまたジーニー・ルカが悪さをして船を泊めている。
街明かりもほとんど届かない真っ暗な駐機場で、真っ白な機体はわずかな光を受けて輝いていた。
アンドリューは、あれが僕らの船だと聞いた瞬間に立ち止まって、はあ、と大きく唸った。
「あんな立派な船だなんて思わなかったよ、もっと小さなものかと」
「あれでも宇宙船としては一番小さい方なんですよ?」
「あれで? いやはや。ここで見せてもらわなければ僕はずっと宇宙船というものを勘違いしているところだった」
再び歩き始めながら彼は言う。
残りの距離が三十メートルを切った頃、
「……ドルフィン……ああ、なるほど、あの海生哺乳類か。確かに良く似ている。知っているかい? オウミは、宇宙でももっともたくさんの種類の海生生物が地球から持ち込まれた惑星なんだよ」
僕は、へえ、と小さく相槌を打った。
今でこそ技術史に興味を持ちつつあるけれど、やっぱり彼はあらゆる歴史に興味を持っていて、その脳内には有り余る知識と記憶がある。
もし可能なら、彼と一緒に、なぜオウミがそれだけの海生生物を『移民させた』のか、そんな謎を追う研究をしてもいいかもしれない、なんてことが脳裏に浮かぶ。
そんな彼が、気になる、と言うアンビリアの物好きの話。
一流の歴史家センサーに引っかかるうわさ。
何かあるに違いない、と思う。
おそらくセレーナの思考オーダーだろう、タラップが下り、ジーニー・ルカに促されて、三人が出てくる。
初対面の三人と一人は、お互いに自己紹介して、三通りの組み合わせの握手を交わした。
「そうか、学校のクラスメイトたちなのか。こんな子供たちが、なんて言うのは失礼なんだろうね。歴史の上では、十代の英雄が偉業をなした例はたくさんある。君たちがきっとそうなんだね」
「英雄だって、えへへへ」
浦野が謙遜もせずに笑いながら毛利の肩を小突く。
「アンドリュー博士もその英雄の一味なんですよ」
「僕は博士じゃないなあ、何か敬称を付けてくれるなら、先生、かな」
マービンの言葉にアンドリューが答えて照れているのを見ながら、確かに、僕らをいつも導いてきた先生と呼ぶのがしっくりくるな、なんていまさらながらに思う。
「どうです、先生、一緒に行きませんか」
余計なことを。
「ありがとうレオン君、だけど、僕は我が主に、この惑星の砦を守れと命じられていてね」
「ははっ、先生も同列の騎士なんですね」
「そういうこと」
それから彼は改めてドルフィン号をぐるりと見回した。
「綺麗な船だ。だけど、それだけに目立つだろうね」
「きちんと情報操作で隠していますよ」
「人の目まではふさげないから」
そう言いながら、彼は、二歩、下がった。
「僕は、お別れを言っておこうと思っていた」
誰もが、えっ、と小さくつぶやいた。
「君たちがアンビリアで首尾よく目的の人を見つけられれば、もうここには用はないだろう?」
「それは……そうですが」
「だったら、これからは不用意にロックウェル領内に着陸すべきじゃない。ロックウェルは血眼になってセレーナさんを探している。手配書が毎日更新されている。エミリアに姿を現したという情報も翌日には僕さえ知ることになったんだよ。この船は、地上ではあまりに目立つ」
「それでも、僕らは見つけたものをアンドリューさんに……」
「その気持ちはありがたいけれど」
と、彼はため息をつく。
「君たちが捕まったら元も子もない。二度とここに来ないつもりで、旅立って欲しい」
その言葉に僕はためらっていたが、先にセレーナが一歩前に出て、彼に右手を差し出した。
「分かりました。アンドリューさんの心配はもっともです。これでお別れにしましょう」
それをつかみ返し、アンドリューはうなずく。
「何もかも終わらせたら、またこいつを連れてきます。それなら、良いでしょう?」
セレーナはあごで僕を指し示しながら、
「どうせ、また会いに来たいと駄々をこねるでしょうから」
その言葉にアンドリューは小さく噴き出した。
「そうだね、そのときに、また」
勝手に二人の間で話がまとまりつつあるけれど。
アンドリューの心配ももっともだし、僕自身、ジーニー・ルカに無限の力があるとは思っていない。きっと、ジーニー・ルカを一番信用していないのが、僕だと思う。
彼の力に頼ってロックウェル領内を飛び回るのは、危ないと思う気持ちがある。
だから、アンドリューの言うことは正しいんだと思う。
そう理解していても、彼に別れを告げることに拒否感を感じる僕がいる。
何もかも片付いたときに、僕はきっと、普通の高校生に戻ることになる。僕が宇宙を自在に飛びまわれるのは、僕のそばに、ドルフィン号とジーニー・ルカとセレーナという人があるから、それだけの理由で。
すべてが終わる日は、きっと、僕が、魔法と魔人と王女様を失くす日。
彼との別れが永遠のものかもしれない、と思うと、さようならが、言えなかった。
浦野は簡潔にお礼を口にし、マービンは謝辞と惜別の言葉を並べ、毛利は彼よりも背が高いアンドリューを思い切りハグして別れを告げた。
だけど僕は、無言の握手だけだった。
アンドリューも僕の気持ちを察してくれたのかもしれない。
まったく同じ無言で、でも、僕の目をしっかりと見つめて、手に力を込めてくれた。
その手は初めて感じるほどに熱かった。
タラップが上がり、最後までタラップのそばに残っていた僕の視界からアンドリューの姿が消えた。
戻ってシートベルトを締めなさい! と怒鳴るセレーナの声が遠くから聞こえた。




