第四章 巨鳥の羽ばたき(2)
長い待ち時間の後にバスに乗り、第十四市の中心街に着いた。
惑星時間でまだ午前中だ。
ここも同じように雨が降っている。
僕の端末は古い履歴から自動的にルイスの自宅へのルートをサジェストしている。
前に会ったあの様子だと、たぶん、研究所には通ってないと思う。
そう言って、直接家を訪ねてみることを四人に提案した。
エミリア国内なので、下手に電話でもすると足がつくかもしれない、という心配もあったから、連絡せずに押し掛けることにする。
以前にたどった道を歩き、以前見たままの、少しくたびれた小さな家の前にたどり着く。
前にここに来てから、三ヶ月ほどしかたっていないことに驚く。
もう何年も前のことのように感じる。それだけ、たくさんのことがこの三ヶ月の間には起きた。
ルイスをこの小さな家に閉じ込めているのと同じ力が、セレーナを苦しめている。それを解決するための戦い。
セレーナに押し出されるようにして僕が先頭に立ち、僕の人差し指が呼び鈴を鳴らした。
奥の方で、誰かね、という声が聞こえた気がしたので、僕は大きな声で、自分の名を叫んだ。
やがて、玄関の錠が外れる音がして、扉が開いた。
「よく来たね、こんなに早く、またここに来るとは思わなかったが。マジック理論の研究者になる決心でもしたかね?」
久々に見るルイスの顔は、やわらかく、微笑みに見えるような表情をたたえていた。
「お久しぶりです。ちょっと、相談に乗ってもらいたいことがあって」
僕が言い少し扉を引くと、彼はもう少しだけ扉から顔を出し、セレーナがいることに気がついた。
「……なるほど。目立つお方だから人目につかないうちに中に入りなさい」
彼はさっと扉の前の道を空け、僕らを中に通した。
前とまったく同じリビングダイニング。
所在無く立っていると、最後尾にいた浦野に続くようにしてルイスが帰ってきた。
そして、ゆったりと片膝をついた。
「王女殿下、先日の非礼、お詫び申し上げます。また、再びここにお越しいただけましたこと、大変光栄にございます」
市井の研究者とも思えぬ優雅な一礼。
「ル、ルーサー博士、おやめください! 謝るのは私のほうです、身分を隠して博士をだまして……」
「お言葉ですが、私は殿下の正体に……」
「気づいていたんですよね、私もう、本当に馬鹿! あっさり博士に見破られるなんて! それで博士を恐縮させちゃって……でも、博士、お願いですから、『殿下』は無しで! この通り!」
セレーナは両手を組んで目を閉じ、博士に向かって頭を下げた。
「私こそ、殿下……セレーナさんを試すようなことをして、申し訳ありませんでした」
言いながら、ルイスはゆっくりと立ち上がった。
「やはり、我が国の王女様はとても優しい人で、誇りに思います」
エミリアを故郷とは思えない、と語っていたルイスが、どんな気持ちで、セレーナを我が王女と呼んだのだろう。
なんて思っていると、ルイスの目線は、僕に向いていた。
「……さて、ジュンイチ君、まず、本題から片付けようか。たぶん君たちに時間が無いことも、知っているつもりだ」
「はい、お願いします」
そして、僕とルイスは、前と同じようにダイニングテーブルを挟んで向かい合わせに座った。
マービンと浦野がそれぞれ僕の両隣に。セレーナと毛利は椅子を借りて後ろに座った。
「マジック爆弾のことです」
僕は単刀直入に言った。ルイスは、軽くうなずいた。
「私にもいろいろな情報源がある。どうやらロックウェルとエミリアの王女殿下が、マジック爆弾のことで面倒を起こしたらしいことも知っている。だが私も驚いたね、ロックウェルが大真面目に開発していたとは」
一体どこのどんな情報源があれば、そんな話まで彼の耳に伝わってしまうのだろう。
あるいは、彼はまだロックウェル国内の誰かと親交があるのかもしれない。
もしやスパイ? なんてことも頭をよぎるが、別に、彼がどんな職業を裏に持っていたって関係の無いことだ。スパイという職業が卑しいものと決まったわけじゃないんだから。
「おかしなものでね、君たちが訪ねてきてから、いろいろな話が舞い込んでくるようになったよ。それは、私の耳が良くなったんじゃない。君たちが、宇宙をひっくり返すようなことをしておるからだ」
前と同じようなことを言って、前と同じように彼は微笑んだ。
「それで、この老いぼれに相談したいのはどういうことかね?」
「その……マジック爆弾を、作りたいんです」
僕が言うと、ルイスは一瞬驚いた表情をし、それから、大きく息をついた。
「言っただろう、あれは奇跡だった、と。簡単に作れるものではないよ」
「その奇跡を起こせる方法を、見つけたかもしれないんです」
「それは?」
どこまで話したものだろう、と迷う。
ジーニーの無限の可能性。
彼に話しても、安全だろうか。
いや、悩んでも仕方が無い。
彼に作れなければ誰にも作れないんだ。
彼以外に打ち明ける相手はいまい。
僕は、両脇の浦野とマービン、それから、後ろのセレーナと毛利、それぞれに、少しだけ目配せをして見せた。彼らは一様にうなずいた。
話すべきだ、と。
そうとも、それが無ければ始まらないんだ。
「……ジーニーです」
僕が言うと、ルイスは首を傾げる。
「あの知能機械かね? そりゃ確かに、あれの演算能力は大変なものだが、厳密解を持つ理論式が完成しておらん。無から知恵を引き出す方法は無い」
「……ジーニーには、それができるんです。あらゆることを、過程を経ずに『知る』ということが」
そして僕は、すっかり話してしまうことを決心し、顛末をルイスに聞かせることにした。
徐々に不思議な力を増していくジーニー・ルカ。
その力に恐れを抱いた僕らが、謎を解くために惑星アルカスへ行ったこと。
ジーニー・ポリティクスが、はるか昔にやっていたこと。
ジーニーが持つ力、量子論的な完全予測、全知の力。
結果だけを『知る』という力。
あまりに荒唐無稽な話に、最初はルイスさえ顔をしかめていたが、それはいずれ純粋な驚きと興奮の表情に取って代わられていった。
最後に僕は、セレーナを通して簡単なデモンストレーションをした。
ルイスの家のホームコントローラーに侵入し、照明を自在に点滅させた。
ちょっと自信は無かったけれど、ブロックベーコンが冷蔵庫にあることを言い当てた。
彼は黙って立ち、キッチンに引っ込むと、やがて、両手に余る大きさの真空パックのブロックベーコンを抱えて現れた。
「料理など私の柄ではないのだがね、よく燻製されたベーコンで簡単においしいスープが作れると聞いて、つい買ってしまった。だが面倒で一週間そのままなのだよ、せっかくだから今晩ご馳走しよう」
どさりとそれをテーブルに置いた。
「これを見せられてもまだ信じられんよ」
「しかし、事実を知ることは、可能です」
「うむ、それは認めざるを得んだろう。君の言うように、基礎理論さえ固めてしまえば、厳密解を導かなくともそこに入力するパラメータはジーニーが導けるかもしれん」
「はい、ですので、その基礎理論を作れないか、と」
「そんなものとっくにできておる」
……今、ルイスは何と?
とっくにできている?
僕があまりにおかしな顔をしていたのだろう、厳しい顔つきだったルイスは少し表情を緩めた。
「基礎理論は、できておるだろう? 君にならすぐに分かると思ったが」
そんなこと言われても、僕が知っていることは、マジック爆弾なんてものはロックウェルさえ開発に四苦八苦しているもので。ルイスでさえあれは奇跡だと言ったもので。
そもそもは、マジック推進エンジンが偶発的にその奇跡の配置を……あ。
「マジック推進の理論そのもの……なんですね」
「その通り。構造も作用原理も、マジック推進機関そのものだよ。ただ、パワーの入射プロファイルとマジックデバイスの配置が少しばかり、奇跡的だっただけで、な」
そうだった。
その事故は、そもそも、マジック推進エンジンの試験中に起きたものだったのだ。
マジック推進エンジンは、そのままマジック爆弾になりうる。
僕が前にこの理論をでっち上げたとき、確かに僕はそう言った。ドルフィン号がそのままマジック爆弾になりうる、だからこそ敵のジーニーをだませた、と。僕は期せずして正しく事実を言い当てていたのだ。
「パワー入射プロファイルを高精度で制御さえできれば、おそらく配置はさほど問題ではないだろう。パワーサプライ経路の幾何学的形状とマジックデバイスの配置から導かれる応答関数の逆関数を……ふむ、その逆関数を導く手間はいるな、それと、突入反重力効果の正確な関数記述を作らねばならんか、そんな式があったかな……」
後半はほぼ独り言のようになりながら、ルイスの口から次々と難しげな言葉があふれだしてくる。やおら立ち上がり、大きな戸棚を開けてほこりをかぶったファイルを何冊もひっかきだして床に散乱するに任せ始める。
「おい――おい! ぼーっとしてるんじゃない、手伝いたまえ! ファイルを探している、いいかね、突入反重力効果がどうとかこうとかとタグの付いたやつと、反重力デバイスの応答関数がどうとかだ、早くしたまえ」
振り返ってルイスに言われ、僕ら五人は驚いて立ち上がり、一斉に床に散乱したファイルに飛びついた。
突然の命令にびっくりはしたけれど、生き生きと動き出したルイスにちょっとうれしくなった。
飼殺しにされ朽ちていくだけだ、と語っていた彼が、こんなに楽しそうで。僕がその役に少しでも立てていることも。
僕は分厚いファイルをめくりながら、
「あと、投射方法も考えているんです」
と話しかける。
返事はないけれど、間違いなく聞いていると思う。
「カノンを使うんです」
さらに五冊を、三層に積まれたさらに奥からひっかきだしながら、ルイスは、小さく、ほう、と言った。
「なぜならそれは、昔、地球侵略に使われたからなんです」
五冊のうち最後の一冊を放り出そうとする手が止まる。
「なんだと?」
それから、一秒固まった彼は、持っていたファイルを放り出した。
「君が前に言っていた究極兵器とは、カノンだったと、そういうわけか?」
「はい。実はあの時までは、ジーニーこそ究極兵器だと思っていました。あの全知の力が。でも、地球にうがたれたクレーターを見て、それから、友達に教えてもらった『核兵器』という存在を知り、考えが変わったんです。地球上空に浮かぶ星間カノンで、核兵器を地上に打ち込む、それこそが、究極兵器の正体だった、と」
僕は、僕らの発見を簡潔に彼に伝えた。彼になら、このくらいの説明で、十分に伝わると自信があった。
彼は、しばし止まっていた手を、再び動かし始めた。
「なるほど、アイデアは良い。だが、カノンはだめだ。あれはいかん」
「えっ?」
ルイスは、棚の二段目奥深くに最後に眠いっていたファイルを引きずりだし、床に放り出した。
「……事故があった。カノンジャンプの時、マジック機関のパワーを切り忘れていたことが。その船は、到着するはずの空間に、永遠に現れることがなかった。それ以来、マジック船はカノンシステムと必ずセキュリティリンクが必要になっている。ジャンプの瞬間にマジックが働かぬようにな」
「永遠に……一体どこへ?」
「分からん。問題は、カノンというやつは、虚数時間という厄介な理論を使っているということだ。知っておるだろう、カノンジャンプは、一瞬だ。だが、虚数時間では、十の何乗年という時間が経過しておる。虚数時間を使って何光年という宇宙を旅して、戻ってくる。実時間はほぼゼロでな。再反転タイミングは、その虚数時間タイマーを設定することで行うのだ。門外漢の私に分かるのはこの程度だが、帆を拡げたまま反転すると、その虚数時間内でもマジックの帆が広がっているがために、おかしなことが起こるのだろう。消えた船は、帆が虚数時間を使ってかき集めた莫大なエネルギーで銀河の彼方に飛んで行ったか、着地点で原子レベルにまで分解されてしまったのか……結局分からんのだよ。だから、あれは、いかん」
ルイスをしてここまで恐れを抱かせる、カノン理論に潜む魔物。相変わらず難解な言葉を並べられはしたものの、僕にも、その恐ろしさの片鱗が、見えた気がする。
カノンで放り出されたときには、要するに、見えない時間が使われるということ。カノンで放り出された僕の体は、実は見えない時間の方向に何億年分も歳をとっている。
マジックの帆は、そんな見えない時間の中でも、重力の風を集め続けることができてしまうのかもしれない。
「期せずして莫大なエネルギーをかき集めてしまうという意味では、突入反重力効果と、似てますね」
聞いていたマービンが、ぽつりと言う。
ここに来るまでに説明したマジック爆弾の仕組み、彼はかなり正しくそれを理解しているように見える。セレーナ、理学の才能で言うんなら、僕よりよっぽどの逸材がいるぞ、そこに。
「おい待て、君、なんと言った」
ルイスが鋭い眼光でマービンをにらみ付けた。
この前まで、人生の目標を見失って光を失っていた瞳とは思えない輝き。
もがれたはずの翼を、まさに大きく広げようとしている。
「突入反重力効果みたいですね、と――」
「そんなアイデアをどこで」
「いえ、同じようにエネルギーをかき集めてしまうと……博士がおっしゃったんですが」
「私がそんなことを? なんだって?」
三段目に取り掛かろうとしていた手を止め、
「おい、君! この上にあるファイルを全部ぶちまけておけ!」
と、一番背の高い毛利に怒鳴りつけた。
毛利は、ふぁい、みたいなおかしな返事をして直立し、急いで三段目に飛びついた。
「さっきの二つ、急いで見つけておけ!」
そう言って彼は、ダイニングテーブルにその辺からひったくった紙の裏面を並べ、何かをガリガリと書き始める。
ああ、この感じ。
あの時のアンドリューと同じだ。
マジック理論も歴史学も、同じ。学問に優劣や貴賤なんて、無い。
科学者たちは、結局は根のところで同じなんだ。
そんなことを考えながら、僕は再びファイルの山漁り作業に戻る。
これだけの論文を自宅に保管してあるなんて、ルイスもやっぱり研究の道を進みたかったんだな。
と思うと同時に、これらの貴重な資料を素直にベルナデッダの研究所に持ち込まなかったことは、きっと、エミリアへの不信感の表れなんだろうと思う。
結局、彼はマジック技術史編纂というつまらない仕事を与えられる。そんな仕事と引き換えに貴重な論文を手放さなかったことは、正解だったのだろう。
「あった! 突入反重力効果の応答特性に関する理論的研究、博士、これですか!?」
浦野がファイルを一つ、ルイスのところに持っていく。
「ああ、これだ、ありがとうお嬢さん」
ちらりとファイルを見て、すぐに、二枚目を真っ黒にしつつある紙に目を落とした。
すぐに、毛利も負けじと別のファイルを持って博士のところへ。
「博士、これ、反重力デバイスの重力ポテンシャル応答の――」
「馬鹿者、これは環境応答に関するものだろう! 必要なのは信号入力に対する応答の論文だ」
一旦受け取り、タイトルを確認して放り投げる。
しょんぼりしてファイルの山に戻る毛利。なんだかさすがにかわいそうだ。
信号応答、信号応答ね。
思うに、基礎的な研究だろうから、すごく古いファイルに埋もれているんだろうな。……本当に見つかるんだろうか。
少したって、ルイスは浦野が見つけたファイルを開き、あるページの方程式を一気に紙に書き写して、それまで展開していたいくつかの式と赤鉛筆で線を結び始めた。
「ああ、やっぱりそうだ。この項は、展開すると時間が二次元になってしまう……これが突入効果で顕著になる項……これがあるためにわずかな余剰パワーで帆が異常に広がってしまう……これを虚数時間と解釈すれば……もしかすると突入効果が理論値をわずかに上回る理由が……ううーむ、カノンの超光速理論家の一人でもいれば、これが超光速理論で出てくる虚数時間と同じものなのか分かるというのに……」
ぶつぶつと相変わらずつぶやきながら、三枚目を埋め始めた。
カノンの理論家。
そういえば。
僕は、ある人に頼んでいたじゃないか、それを。
アンドリューに。
カノンの技術史を調べる手がかりをつかみたい、って。
それはもしかすると、カノンの理論家につながっているかもしれない。
「博士、僕はここに来る前に、歴史の先生に、カノンの技術史を知りたいと、頼んできていたんです。もしかすると」
「なんだって。でかしたぞ、ジュンイチ君。今すぐ、連れて来たまえ」
「アンドリューさん……歴史の先生を、ですか?」
「うむ、それでもいいし、もし可能なら、カノン理論の研究者を連れて来なさい」
「連れて……」
火が付いたルイスは、またずいぶんと無茶を言う。
少なくともあのオウミからアンドリューを、あるいは、宇宙のどこにいるかも分からない研究者を、このベルナデッダに。
ちょっとミルクを買って来てくれ、とでも言うように、ルイスは要求したわけで。
本当のルイス・ルーサー博士は、こんな人だったんだな。ビクトリアが尊敬するのも、分かるような気がする。ひたすら、科学に対して一途。
「いや、待て待て、もう一本の論文を見つけてからだ、まだそっち次第では、無駄足になる」
まだ行くとも言っていないけれど、彼はあわてて僕を引き留めた。
もう一本の論文は結局セレーナが見つけ、相手が王女殿下だからとかしずいていたのが嘘みたいにルイスはその論文をひったくるようにして受け取ると、さらにたくさんの式を書き出して数枚の白紙を真っ黒にしていった。




