第三章 最大の味方(3)
グリゼルダを通過し、惑星エミリア上空にたどり着いた。
結局この旅程でもジーニー・ルカの情報防壁を脅かすものは何一つ現れなかった。
ジーニー・ルカの通過するところ、あらゆるシステムが腹を上にして服従した。
まだ、いける。
彼の本当の姿を知らずとも、僕は彼を使いこなせている。
……。
惑星エミリアは、初めて訪ねたときと同じ、美しい青い星の姿を見せていた。
その青い円盤が、操縦席のスクリーンの半分くらいを占めたところで、セレーナの指示により、ドルフィン号を守る情報防壁は解除された。
突如、王国上空に現れた王女の船に、彼らはどんな反応を示すだろう。
その様子を見てみたいと思ったが、それはかなわない。
――いや、もしかすると、そんな方法はあるかもしれないな。
ジーニー・ポリティクスがやっていたこと。
あれをそのまま真似してやればいい。
今度、そんなことを試してみることもあるだろう。
そんなことを考えていると、解除からわずか十分で、着信を示すアラームが、操作パネルの方から響いてきた。
セレーナがパネルを操作し、発信者を確かめる。
前と同じ口調で、ロッソよ、と彼女は言った。
「どうする、僕らはいないことにしようか」
「その方がいいわ。仮にも私とジュンイチをどうにかしようとたくらんでたやつらよ。もしジュンイチが一緒だと知ったら、逆に強硬派を勇気付けてしまうかも」
「そうだね、僕らはキャビンで会話だけ聞いているよ」
「お願い」
そして僕と三人は、セレーナを一人操縦室に残し、カプセルキャビンに入って音声インターフェースを使ったモニターだけを始めた。
まもなく、セレーナが、通信回線をアクティブに切り替えた。
『摂政様、王女にございます』
セレーナは短く伝えた。
『殿下、良くぞご無事で。消息が途絶えたと聞き、陛下ともども生きた心地がしませんでした』
よく言うよ、その間に大艦隊まで動かして。
『私はまったく無事です。新連合の手が伸びてきたので、辺境の惑星に避難しておりました』
『左様でございましたか。無事のお帰り、お喜び申し上げます。まずは、急ぎ宮殿へ』
『いいえ、その前に、私は摂政様に問わねばならないことがあります』
セレーナの鋭い口調に、ロッソはしばらく黙った。
『……私が答えられることでございますれば』
しぶしぶ、といった風に返した彼に対し、
『なぜ、外征を。エミリアは建国以来、自ら武力をもって外征せざるを誇りとしていたのではありませんか』
『お言葉ですが、殿下。王国は危機にあります』
語尾を食うように摂政は言い返した。
『存じています。それでも、この外征は、危機を拡大することにしかならないものと思われますが』
『我が王国が何に依って立つか、殿下がご存じないとは思えませぬ』
摂政の強い言葉に、王女はひるんだように感じた。
『……マジック鉱です』
『されば、今のこの危機的状況の間に、もし他国がマジック鉱の泉を見つけたとき、我がエミリアはどのようになると思われる』
『そうなる前に、エミリアは過ちを過ちと認め、ロックウェルや新連合とともに歩む道を模索すべきです』
『それは無用にございます。我らが譲歩は、彼らのつけ上がった要求を招くのみにございます』
引けば押される。
政治の駆け引きがまったく分からないわけでもなくなった僕には、ロッソの言っていることが、ちょっとだけ分かる気がする。
ただ、エミリアは、押しすぎた。陰謀をめぐらせすぎた。
その結果が、この抜き差しならぬ状況なのだ。
『しかしそれは、我がエミリアの無謀な試みが原因ではありませんか』
『我がエミリアは、マジック鉱を独占しているからこそ国体を維持できるのです。マジック鉱の独占を失えば、我が国は滅びるのですぞ』
『そのようなことはありません。マジック鉱を持たない国々も、その民も、平和に平穏に暮らしているではありませんか』
『我がエミリアの民の生活は、マジック鉱に依存しているのです。もはやそれを手放しては、民の安寧は無いのです。殿下にならご理解いただけると思うのですが』
「……なんか、摂政様の言うことも、分かる気がするねえ」
聞きながら、浦野がぽつりと言う。
「ある意味で、その通りなのでしょうね」
「もしさあ、マジック鉱の採鉱とか輸出とかで生計を立ててる人がいて、急に売れなくなったとか買い叩かれたりとかってなったら、きっとたくさんの人が失業しちゃうよ」
「ほかに主だった産業もなければ、そういう人々は路頭に迷うしかありませんね」
会話を盗み聞くキャビンにも、いくつかのため息の音が響いた。
『……だからと言って、軍事侵攻が許されるとは思えません』
セレーナの声も、やや勢いを失っている。
『我がエミリアは、新連合さえ敵に回してしまいました。もはや、引く道がないのでございます』
『なぜそのようになる前に、手を打てなかったのですか、摂政様』
『手は打ちました』
再び語尾を喰うように摂政は言い放った。
ああ、そういうことか。
セレーナ。そして、僕。
二人の関係を誤解していた彼だからこそ、新連合に対して強気の戦略をとってしまった。
僕らが好きあう関係になるのは、当然だと思っていた。
だとすれば、やはりこれも、セレーナの手を取ってエミリアを逃げ出した僕の責任ということになるのかもしれない。
王女というとてつもない身分にあるセレーナを、僕は軽々しく扱いすぎたんだろう。
それにしても、そんな僕に軽々しく乗っかってくるセレーナもセレーナだ。
なんて僕の中で責任の擦り付け合いをしてもしょうがないんだけれど。
『……そのことも、問いただすつもりでおりました。摂政様は、どのようなおつもりで、私を地球に送ったのでございますか?』
『もはや隠し立てもいたしますまい。殿下はご否定なされましたが、殿下とジュンイチ様のご関係は、疑う余地がございません。お二方の結びつきはエミリアと新連合の結びつきとなりましょう。私はそのほんの後押しをさせていただきました次第にございます』
『ふざけるのもいい加減にしなさい。王婿か太公に異国の平民だなんてことをお考えですか! それこそ、伝統ある王家へのこの上ない侮辱です!』
セレーナの言葉に、ロッソは答えない。じりじりとノイズが続く。
『……摂政様。確かに地球とのよすがを深める、という目的があったことは事実でしょう。ですが、もう一つ、目的があったのでしょう?』
『何をおっしゃられます』
セレーナの中で、何か別の結論が出ていたことに僕は驚き、耳を傾ける。
『先ほど申し上げた通りのことです。王家の者が異国の平民を婿に迎えるなど言語道断。伝統に照らして判断するなれば、この私の王位継承権は大きく格下げとなり、おそらく、アントニオ様が一位となられ、いずれ即位する……それが狙いだったのでしょう?』
……従弟との結婚話も、僕との結婚話も――簡単に言えば、セレーナ個人を失脚させるために仕組んだことなのだというのだ。
再び、沈黙がスピーカーを支配する。
やがて。
『であればなんとされます?』
『父上が聞いたらなんとおっしゃるでしょう』
『陛下は、ジュンイチ様を高く評価されていらっしゃる。陛下自身は、ジュンイチ様をお迎えしたのちの殿下の格下げなど毛頭考えておりませぬ。殿下のお気持ちをこそ、大切にしたいと――』
『私にそのような気はありません! ……彼は大切な友達ではあります。そのことは認めましょう。彼と再会でき、新しい友人を得たことも、確かに私は喜んでおりました、それも認めましょう、摂政様方のお計らいに感謝するところもございました。ですが、摂政様方に、私を彼とそのような関係にさせようとする魂胆があったことには、大変失望しました。そのことを知ってから、私はあの学校には通っておりません。この意味がお分かりですか。私は、あの方たちとの友情を、摂政様方に踏みにじられたのです。生まれて初めて得た同年代の友達という存在を奪われたのです。私の気持ちを優先するというのなら、今のこの私の気持ちをどうしてくれるのですか!』
演技にしては真に迫っているセレーナの声。
あるいは、それが、あのふさぎ込んだ数日の、セレーナの偽らざる気持ちだったのかもしれない。
生まれて初めて得た友達。
生まれてから宮廷に閉じ込められ、会わされる人物と言えば、誰かが何らかの思惑を持って拝謁させようという人間ばかり。心を通わせる友達など作りようもなかったのかもしれない。
……なんで浦野が泣いてるの。
横を見ると、浦野がぽろぽろと涙をこぼしている。
ううー、と小さな声を漏らして。
「う、浦野、あのさあ、セレーナと僕らはちゃんと元通りの友達に戻れたじゃないか」
「分かってるよう……でもなんだかあの時のことまた思い出しちゃって……それに、セレーナさんがあたしたちのことそんな風に思っててくれて……うれしくて……」
浦野がいなかったら、僕らは永遠にバラバラだった。
彼女に泣く権利くらいは、ある気がする。あるよね。
『……私の拙速な行動につきましては、お詫び申し上げます。しかし誓ってこのロッソに不逞のたくらみはございませぬ』
しかし、セレーナの言葉が、これまでのロッソの行動をきれいに説明してしまう。
彼がなんと弁明しようと、彼の裏の目的がそれであったことは、もはや誰にも反証できないだろう。
『父上とお話をさせてください』
間髪を入れずにセレーナが次の要求を突き付けた。
『殿下、この摂政めの言葉は、陛下のお言葉にございます』
用意してあったかのように、ロッソは応じた。
『本当に父上は、迂回輸出や此度の出兵に賛成であったのですか』
『貴族会議と枢機院の決定はすべて、陛下のご裁可なくては無効にございます』
たとえそこで強硬に反対を唱えたとしても、弾劾裁判が待っている。圧倒的多数での決定ともなれば、もはや国王と言えどもひっくり返せない。それが、エミリアの仕組み。
あるいは、あの優しげな陛下さえ、やはりエミリアの窮状を救うにはこの手しかないと思ったのかもしれない。
セレーナが、陛下と話をしたいと思うのは、それを確かめたいからなのだろうな。
『それでは、摂政様、もう一度申し上げます。今すぐ撤兵を。そして、マジック鉱の取引に関して、ロックウェル、新連合と、平和的交渉の場を設けること。王女としてお願い申し上げます』
『それは、王族の対法優越権の行使の宣言でございましょうか』
『必要ならば、そういたします』
『ご宣言を』
「いけませんね、摂政さんは、セレーナさんを追い詰めようとしています」
マービンが言いながら眉をひそめる。
「どういうこと?」
「セレーナさんが対法優越権を宣言したら、摂政さんはすぐに弾劾裁判の提訴を宣言するでしょう。たぶん、王女としての権利は、即座に、そして、裁判が終わるまで、停止されます。彼の狙いは、それかもしれません」
「セレーナさんを止めなきゃ!」
浦野が立ち上がって飛び出していこうとするのを、僕は捕まえた。
「セレーナだって馬鹿じゃない。ここは彼女に任せよう」
まだ、セレーナの声は聞こえてこない。
彼女の中で、数々の駆け引きのシミュレーションが行われていることだろう。
こんなことに関しては、彼女の政治的駆け引きの勘こそが最も信頼できるのだ。
『摂政様、宣言の前にお願いがございます』
『いかがなことにございましょう』
『特別枢機院議会招集を。それから、特別宣旨放送の準備を。その場で、権利行使の宣言とともに、王女としての命令を全国民に対して改めてお伝えいたします』
『国王のご裁可がございませんと、それはお応えいたしかねます』
セレーナの爆弾のような要求に、ロッソはすぐに拒否で応じた。
そう、この場で、ただ摂政一人を相手に権利宣言をしても意味がないのだ。あらゆる人がそれを知って、王女の意志があまねく行きわたり、そのうえで彼女が弾劾されたとすれば、それは必ずしも彼女に不利な結果を招くとは言えなくなるだろう。
この土壇場で、このようなことを思いつくなんて、さすが、我らが王女殿下だ。
しかし、その狙いにすぐに気が付き即応するロッソもロッソで大層な古狸だ。
『……会議召集については検討いたします。いずれにせよ、早く宮殿にお戻りを。私は殿下の誤解に心を痛めております。一刻も早く直接お会いして、陛下も立会いの下で、その誤解をお解きさしあげたいのです』
次に、父に会わせてやるから早くこっちにこい、と来た。
こんな罠、僕にだって見破れる。
行ったとたんに幽閉されておしまいだ。
これは逃げる一手だ。
『僭越ながら、殿下の無事のご還御をお守りするためにために、艦隊を待機させておりますれば』
え。
このわずかな時間で艦隊まで準備してやがった。
逃げるなら早い方がいい。
『……今ある愚挙を撤回なさらぬおつもりなら、私は戻るつもりはございません』
『殿下のご意志よりも、王国の秩序が大事にございますれば』
力づくでも引き下ろす、と。
「ジーニー・ルカ、セレーナに伝言。艦隊なら僕が引き受ける。啖呵を切って逃げるなら今だと」
わずかな間。
それから。
「ジュンイチ様、セレーナ王女のお言葉です。せいぜい派手に蹴散らしなさい、との仰せです」
さあ、ご命令だ。
「付近の艦隊を検索」
「六行動単位が確認できます」
「近いのは?」
「二行動単位が同じ航路でこちらに向かっています」
個人用マジック船一隻に、二行動単位とは、恐れ入る。
ちょっとした独立国なら星系に侵入してきただけで降伏するだろう。
けれど、僕たちの戦いでは、数は問題じゃない。
僕らがどれだけ相手の情報を握れるか、相手にどれだけの情報を握られるかだ。
相手の情報を得ることに関しては、もう十分だ。大艦隊が無警戒に、むしろ威容を発しながら近づいてきている。
であれば、僕らの居場所をかく乱するところから始めるべきだろう。
簡単だ。さっき解除した情報防壁を再構築するだけでいい。オーダーは一つだけで済む。
『摂政様、それは、請願ですか? 脅しですか?』
僕の準備の時間を稼ぐように、セレーナはゆっくりと言った。
『殿下を脅迫など恐れ多いことにございます。しかし、殿下の船が不慮の事故により航行不能となった場合に備えてございます』
不慮の事故、ね。
だったら、この船を力づくで拿捕しようというエミリア艦隊にも、不慮の事故に見舞われて頂こう。
『あなたの魂胆など分かっております。しかし、それはこの私には通用しない! マジック鉱なぞ無くとも、この王女には魔法が使えるのです。いずれその真髄をお見せいたしましょう。摂政、ウドルフォ・ロッソ! この王女セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティを敵に回すこと、永遠に後悔なさい!』
「ジーニー・ルカ、エミリア全防空システムへの干渉を再開!」
その瞬間、セレーナの存在はエミリア上空から煙のように消えたはずだ。
まるで、魔法のように。
『……みんな、もういいわ、戻ってらっしゃい』
僕らは顔を見合わせてうなずき、にやりと笑いを交わした。
セレーナの切った啖呵は僕の思っていたよりもずっと派手で、あとから啖呵に見合うだけの実力を手にするのにえらく苦労しそうだ、とは思ったけれど。




