第三章 最大の味方(2)
全速航行をせず慎重に進むと、宇宙は思っているよりはるかに広かった。
二日の行程をかけても、エミリアまでの半分しか進んでいないことに愕然とした。
寄り道せずにマジック推進で中継基地に飛びつきジャンプすると同時に即座に次の中継基地に泳ぎ寄る、それを眠っている間さえ繰り返す、それがとてつもない離れ業だと初めて知った。
おそらく、化学推進しか持たない貨物船は、こんな行程をいつもたどっているんだろう。そんな努力が何万隻分も積み上げられて、地球での資源の心配の無い生活は支えられている。一方、それだけの努力を一気に過去のものにするマジック推進とその原料鉱石が宇宙のバランスを崩すほどの厄介ごとを起こしている理由も、身に染みて理解できた。
そんなことを思いながらの航海の、その二日目に、問題のニュースが飛び込んできた。
それは、ちょっとどころでは無い衝撃だった。
ニュースのタイトルは、『エミリア王国宇宙艦隊、ファレン共和国主星ファレンに進駐』。
主文は、エミリア王国の大宇宙艦隊がいくつかの中立国の領土を強引に通り、ファレンに現れた、というものだった。
間にあった国々は、事実上武力で脅されて道を開けていたようだった。後で確認すると、中にはロックウェルの息のかかった国さえあった。そんな国々を、一瞬で降伏させるだけの圧倒的な兵力、数にして十六行動単位と見られる兵力を動員した、ニュースはそう伝えていた。
その大艦隊はファレンの小さな岩石衛星を中心に強固な陣地を組み、防御態勢を整えているとのことだった。
最後まで読み終わり、もう一回読み直しながら、セレーナは青い顔で震えていた。その表情は、ロックウェル艦隊の中で絶望に沈んだ彼女のそれと、同じものだった。
「どうして……こんなことを」
小さく彼女はつぶやいた。
誰もそれに答えなかった。
答えられるわけが無かった。
「猛獣を……追い詰めすぎましたね」
マービンが、小さく言った。
多分、その通りなんだと思う。
エミリアが、何百という星系を防衛するロックウェル連合国に匹敵する軍事力を、たった三惑星の中に抱えていたことは事実だ。
それを経済的に徹底的に追い詰めたばかりか、新連合に捕まった王女などは行方さえ知れない。
反動的な暴発が起こるのは、ある意味で必至だった。
だから、自由圏はエミリアの動きを注意深く追っていたのだろうし、もしセレーナを手にすれば、エミリアに対して優位な条件で、新連合に対抗する同盟みたいな密約を交わせたかもしれない。
ある意味で、セレーナを地球から連れて逃げた僕の責任もあるのかもしれない。
「カロルに……」
セレーナが、ようやく口を開いた。
「経済封鎖のせいで、ファレンへ影響を及ぼせなくなることを見越して、カロルに軍事力でふたをするつもり……ね」
「そうか、この間に、ロックウェルがカロルに手を出すかもしれないから」
カロルを有するファレンへのエミリアの影響力は、莫大な富に裏付けられた経済投資だった。エミリアが当面経済封鎖をされるかもしれないとなれば、ファレンの国内情勢の天秤が逆向きに傾き始めるのは時間の問題だ。
援助が無いのなら、いっそロックウェルを引き入れて、カロルの開発を。
そんな論調が出てくるだろう。
エミリアが選んだのは、機先を制して、ファレンを軍事的に占領してしまうことだった。
「ええ。本当に馬鹿だわ……宇宙から完全にマジック鉱を干上がらせて、それを交渉カードにしようって腹だわ」
カロルにさえふたをすれば、あとは我慢比べ。マジック鉱不足で宇宙が悲鳴を上げるか、エミリアの富と資源が尽きるのが先か。
「ですが、それはある意味で、正しい交渉術でしょう。エミリアには、それを成すための軍事力があったのですから」
落ち着いた表情でマービンが指摘する。
「ある意味で。でも別の意味では、愚挙に過ぎない。ただ緊張を高めて力の見せ付けあいをして。何も意味が無いわ。せめて、地球に対する誤った試みを謝罪するだけで事態は好転したかもしれないのに」
セレーナは答えながら、頭を抱えた。
「貴族と言う身分が、自分たちが特権階級だという彼らの自意識をここまで肥大化させていたなんて……そんなことも知らなかったなんて……私は本当に馬鹿だわ」
それはきっと、頂点に立つ王族だからこそ分かることなのだろう。
それ以上が無い大きすぎる権力と責任を負っているからこそ、それを戒める気持ちは自然と湧いてくる。
けれど、そうじゃない貴族たちは、上を見れば王族がいて、しかし、下を見れば、這いつくばる平民が見える。自らの特権を自覚し、さらに、それには際限が無いものと錯覚してしまうのかもしれない。
そう言えば、いつかファレンで盗み聞きした会話で、彼らは僕のことを『伯爵子息』と呼んでいた。彼らは、宇宙が貴族風のルールで動いていると心から信じて、それ以外の世界を想像すらできないのかもしれない。
「陛下は……あの陛下は、どうして止めなかったんだろう」
最高位たる国王陛下なら、と思い、僕がつぶやくと、
「摂政を置いたときから、国王の権力はほぼすべて摂政に移るのよ。対法優越権の行使を宣言しない限りね。もし宣言をしたとしても、宣言の後、貴族たちは弾劾裁判を提訴できる。陪審員は平民から選ばれるけれど、ほとんどの諸侯が敵なら、不利な陪審員が作為的に選ばれる可能性もあるわ」
「つまり、止めようとして独裁権を宣言しても、弾劾裁判で無効化されるってわけか」
「ええ、権力を縛るための仕組みが、仇になったわね」
「ど、どうするの?」
それは誰もが聞きたいことだけれど、多分誰も答えを持ってないんだよ、浦野。僕は、心の中でだけ、浦野の戸惑いの言葉に応える。
しばらく、答えを出せなかった。
けれど、ようやく、毛利が口を開いた。
「何が難しいのかわかんねーけどさ、要するに、やめろと言うか言わないかだけなんじゃねーの? 聞いてくれなきゃしょうがねーし。聞いてくれたらもうけもんだし」
彼の言葉は、相変わらずシンプルで説得力があった。
「……そうね、その通りだわ。何もしないでくよくよしてる場合じゃない。ありがとう、レオン」
「だめならだめで、考えりゃいいさ」
「ジーニー・ルカと大崎君の力があればいつだって逃げ出せるんだし!」
「どうせベルナデッダに行かなきゃならないんです。状況を把握する意味でも、寄り道には価値がありますよ」
彼らが口々に言う。頼もしいやつらだ。
僕一人では、セレーナをこんなに勇気付けることはできなかっただろうな。
「行きましょ、無駄なことなんて無いわ。私が叱りつけてみる」
「そうとも。まだ当面はジーニー・ルカの力は通用する。駄目なら、また姿を消そう。セレーナの姿を見るだけで、もしかすると、セレーナが囚われていると思い込んでいる貴族の一部を心変わりさせられるかもしれない」
「決まりだな!」
そして、セレーナは、何週間かぶりのオーダーを出した。
ジーニー・ルカ、目的地は、惑星エミリア、と。




