第三章 歴史探索行(2)
逃げ出すようにアンビリアを飛び立った。
その軌道上に浮かぶ、宇宙でも有数の規模を誇る星間カノン基地。
地球と全宇宙を結ぶすべての航路が集結した巨大な威容に圧倒されながら、僕とセレーナは次の目的地について話し合っていた。
「そりゃ当然、オーツ共和国だろ」
というのが僕の意見。
「ロックウェル連合国の本星に行って情報収集するほうが早いんじゃない?」
とはセレーナの意見だ。
「艦隊を動かしてるのよ、共和国政府が単独で行動していたとは思えないわ」
「だけど、この時期、大体五百七十年前と言えば、連合国が発足してまだ三十年くらいしかたってない。連合国の結束も緩かったかもしれないよ。だって、文書上の受取人は『オーツ共和国警備艇』だったんだ。連合国とは書いてなかった」
「それは一理あるけれど、連合発足以来の公文書の類は連合国本部にすべて集まってるはずよ。現地より文書、そうでしょう?」
文書を掘れ、とは確かに僕が言ったことだけど。
「文書を漁るのはもちろん王道だけどさ、その……」
「なによ、もう宗旨替え?」
「違うよ、その、要するに、このIDに入ってるとんでもない特権の話だよ」
僕はこう言いながら、IDを取り出してひらひらと示した。
「あ……」
これでセレーナもようやく問題点に気づいてくれたようだ。
「この特権をあんまり振り回すのは良くないよ。形上はロックウェルが友好国とは言っても、こんな特権で文書を引っ掻き回されてるなんて気が付いてみなよ、おかしなことになるよ」
「ま……そんなことくらいは分かってたけど……」
セレーナはそう言って考え込む。
結局、このIDは僕らにとってはきわめて強力な武器ではあるものの、抜けば自らを滅ぼすかもしれないもろ刃の剣なのだ。まさかロックウェルの中枢でその武器を抜くわけにもいくまい。
「いいわ、あなたの言うとおりにしましょう。どうせ、本物が見つかるなんて思ってないし」
考えていたセレーナはこんな結論を出した。
見つかるわけがないなんてひどいことを言うものだが、ともかく次の目的地はオーツ共和国と決まったわけだ。
***
地球を飛び立ったときに後ろに見た地球はとても青かったが、惑星オウミはさらに青かった。青く見せているのは、地球よりも多い海と明るい主星で、まぶしくて長時間眺めていることが難しいくらいだった。
ゆっくりと降下する。
首都であろう大きな町と、灰色に舗装された広い真四角のエリアが見えてくる。
最後に白いラインで囲まれた場所に、宇宙船は着地した。
「到着しました。気圧重力ともに高いので体調にお気をつけください」
最後にジーニー・ルカが到着を宣言し、僕らは席を立って外出の準備を整えた。
整った格好を見ると、セレーナはもちろん例の白無垢正装ではなく白い襟なし長袖シャツの上に薄緑のチュニック、下はデニムパンツというカジュアルな姿だ。僕は相変わらず出てきたときのままの黒シャツジーパン。
さて、そんな格好で二人が上陸タラップを降りたところで、どう見ても警察か警備員かとしか思えない全身紺色の制服で身を包んだ男が二人、僕らを出迎えた。
何ごとだろうと首をかしげる僕らに若いほうが開口一番、
「大変言いにくいんだけどね、ここ、駐車禁止なんですよ」
と言う。少し歳の方も苦笑いでうなずいている。
「駐車というか、これ、宇宙船なんですけど」
僕は、当たり前の反論をする。宇宙船に駐車違反だなんて。笑い話にしてもひどい。
僕の反論に、彼らも少し困った様子で、白い宇宙船をぐるりと眺める。
「だからちょっと困ってるんだけどね、ここに着陸していいってことにはなっとらんのですよ」
歳をとった方が言うと、
「昨日までは臨時駐機場だったんですよ、他の星からも見物客がたくさん来るお祭りでね。普段は公園の広場なんです」
若いほうが付け加える。
言われて周りを見回すと、確かに、木々、草花、芝生に池。
広さこそずば抜けているが、典型的な都市公園。
その一角の広い舗装広場で、イベントなどの催し場と言われれば、確かにその通りかもしれない。
「ジーニー・ルカ、どうなの?」
まだ開いたままのタラップドアから内に向けてセレーナが呼びかけた。
「申し訳ありません、彼らの言うことが正しいようです。本日零時をもって、この場所は駐機場ではなくなっていました。情報同期エラーです」
ジーニー・ルカが何の感情もこもらない音声で無情に回答した。
どうやら間違った場所に降り立ってしまったということのようだ。
「……なるほど、着陸はジーニーに任せていたのかね。であればデータ更新の問題が判明し次第、違反ではなく事故として処理することになるだろうが、とはいえ、一応我々の規則では、この場でこの車……ではなくて船、か、これをいったん接収する必要があってね」
「そ、それは困ります」
「すまないが規則で、形式上は。事故処理が終わったらすぐにこのまま返すから、少しだけ我慢してもらえんかね」
そう言って、彼は手元の端末を操作し、宇宙船から識別番号を読み取って国際的な規則に基づく『行政接収』の符号を付け加えた。
とりあえず、行政センターで手続きしてくれ、と、僕の手元に『違反者へのご案内』と書かれた小さなカードを残して彼らは立ち去っていく。
展開の早さに、しばらくあっけに取られていた。
目の前にあるぴかぴかの宇宙船は、なぜだか、オーツ共和国に差し押さえられている。
それも、『駐車違反』だ。
「……どうしよう」
僕がぼそりと言うと。
セレーナはとたんにきっと僕を睨む。
「どうしようって……は? あなたがどうにかするしかないんじゃないの? 私は身分の無い幽霊、操縦者はあなた」
「だからって、僕は宇宙船の駐車違反の手続きなんて……」
「私だって知るわけないでしょう」
なんでセレーナが怒るんだろう?
思わずむっとして、
「ちょっと、それは責任転嫁ってもんだろ」
「責任うんぬんじゃないわ、どっちにしろ違反記録はあなたのIDに付いてるのよ」
「だとしたってこれは君の船で君の指示で飛んでたじゃないか」
「それでもあなたはIDの主でナビゲータ席に座ってたのよ、この場所が着陸場か確認くらいすべきだったんじゃない!?」
「君だって自分で確認なんてしてないじゃないか」
「私のせいだって言うの?」
「そうは言ってないよ」
とは言え、彼女の言い分はあんまりだ。
だけど言い合っても仕方がない。
「分かったよ、僕も確認はしなかった。だけど君だってしなかったんだから、お互い様、それでいいじゃないか」
「お互い様じゃないわよ、私は大切な宇宙船とジーニーを取り上げられてんのよ!」
僕が一部の非は認めようと譲歩したとたんにこの言い方。わがままにもほどがある。
「だったらなおさら君が気を付けるべきだったんじゃないか、僕の責任にされたって困るんだよ!」
つい声が大きくなってしまう。
「自分だって不注意だったくせに偉そうに! もういいわ、こんな馬鹿げたことはおしまい! 私がちょっと頭を下げればいつだって王族としてエミリアに戻れるんだから。そうよ、最初からそうしてればよかったわ。あなたみたいな考えなしにホイホイとついて行って、馬鹿みたい」
そう言い捨てて、セレーナはタラップを足音を立てて登って行った。
そうさ、それで済むなら勝手にすればいい。結婚したくもない相手と結婚して一生摂政の人形になって老いさらばえればいい。考えてみれば僕の人生とは何のかかわりもない宇宙の彼方の王女様のちっぽけな不幸のために、なんだって僕が。貴族には貴族の処世術ってもんがあるんだろう。みんなひとりで背負いこめばいい。
……どうしてあんなか弱い女の子にそんなことができると、僕は思うんだ? 僕は何を考えているんだ。僕が彼女を助けようとあの時――あのエミリアの牢獄で決断したのは、彼女が王女だからじゃない、彼女がその小さな手に余る責任を押し付けられたただの女の子だからじゃないか。
僕はあわててタラップを駆け上り、通信機に手をかけた彼女の手をひったくるように奪って操作を止めた。
「なによ、この上何を邪魔しようっていうの? 恐れ多くもエミリア王国国王第一息女の手をこんな乱暴に扱ってただで済むと思って?」
彼女は僕に掴まれた右手を振りほどこうとする。
でも僕ははなさない。
「今の君は王女なんかじゃないだろ!」
ついでにこんな憎まれ口を叩いてしまう。
ああ、どうして僕はこんな言い方しかできないものか。
「おあいにく様、たった今から王女に戻ります」
「その空っぽのIDでどうやって回線をつなぐつもりだ?」
僕がとっさに指摘すると、とたんに彼女は黙りこんだ。
「君がこんな旅もうまっぴらだと、帰りたいと思うんなら、引き留めはしない。この場で連絡したいなら僕のIDも貸す。それさえも屈辱だって言うならすぐにその辺の情報スタンドを借りてエミリアに連絡をとればいい。でも、もしそうじゃないなら、僕は行政センターに行って、この船を取り戻すための手続きをする。それはIDが生きている僕がやるしかない。そんなことは最初から分かってた。にっこり笑って『ちょっと行って来るよ』で済む話だったんだ。その点は謝る。……君に異論がないなら、僕はもう行くよ」
君を守りたいだとか君のつらい立場は分かるよ、だなんて気の利いた事でも言えればよかったんだけど、いらいらの残っている僕の精いっぱいの気遣いはこの程度で。
しばらく黙っていたセレーナは、やおら僕の手を振り払うと、
「IDを貸しなさい」
と一言だけ言った。
そのIDを使って何をするのかを想像し落胆に近い感情を覚えながら、僕はIDを手渡した。
彼女はそれを操縦パネルの横のIDスロットに差し込むと、少し目を閉じ、うつむいた。
「完了いたしました。全惑星のシステムの同期まで一時間ほどお待ちください」
突然、ジーニー・ルカの声が響いてきた。
そして、セレーナはスロットから取り出した僕のIDを僕に投げよこし、
「この船の所有者はあなたになってるわ。行政センターに行っても面倒は起こらない。書き換えに使った秘密の迂回システムの利用がばれなければね。さっさと行って船を取り戻してちょうだい」
僕を睨み付けながらそう言った。
「……ありがとう」
僕は彼女の意外な行動に、思わずそう言った。
僕自身どうして返す言葉がありがとうだったのか分からないけれど、その言葉があまりに屈辱だったのだろうか、彼女は顔を赤くしてまた何か僕に怒鳴りつけそうなしぐさを見せたが、操舵室の自分の席にどさりと体を落として、以降僕の方に振り向こうとはしなかった。
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