第六章 怪物(5)
みんなが集まっている操縦室に戻る。みんな口々に僕の心配をしたが、僕は微笑んで、大丈夫、と返した。
セレーナが操縦席に着くのを待ち、それから僕は、改めてジーニー・ルカを呼ぶ。
「公文書館で閲覧可能な運用記録、その日付に一番近い最後のレポートを表示してくれないか」
「かしこまりました」
僕のオーダーに応えたジーニー・ルカは、すぐに手元のパネルにそれを表示させた。
『355年05月01日
【プロジェクトDTQ】【第五千三百六十三報】【完報】
●宛先情報:
アルカス共和国大統領、同議会議長、同戦略局局長、同政策技術局局長、同政策技術局政策システム課課長
●更新情報:
惑星フレイヤの量子重ね合わせ政策システム用幾何ニューロン式知能機械より操作完了の報告を受領。プロジェクト参加の全惑星共和国での操作完了を確認できたため、以上を持ってプロジェクトDTQの完了とする
●時系列レポート:
330.02.20:プロジェクトDTQを開始』
ここから、何千行もある時系列情報が並ぶ。
さすがにこれだけの数となると見ているだけでめまいがするので、一気に読み飛ばす。
『355.04.30:惑星エリダンの操作完了
355.04.30:惑星アルカスの操作完了
[以下更新分]
355.05.01:惑星フレイヤの操作完了
355.05.01:全システムの操作完了』
ここまでで時系列レポートは終了している。ざっと見ただけで相当な数の惑星で様々な処理が行われた一大プロジェクトだったことは明らかだ。
では、その『操作』とは一体なんだろう?
この先に、補足説明が並んでいるようだ。焦る気持ちを抑えて、画面をめくる。
『●問題事象:惑星アルカスにおけるランス・アルバレス問題に端を発した当該機能の脆弱性に対処するため本機能による政策支援の停止が決定されたのに伴い、本機能の全情報を関連システムすべてから削除する必要性が生じた』
きわめて短いその一文が、この謎のプロジェクトの動機を語っていた。
惑星をまたいだ壮大なプロジェクト、その焦点は、この――惑星アルカスだった。
その情報を削除しようとしている『本機能』……おそらくこれこそ、僕らが求めている異常な機能、そして、惑星アルカスの悪魔の正体。
なぜ、僕らはここを選んだのだろう。
誰の琴線に、この惑星の名前が触れたのだったか。
このあと、具体的な、情報削除の手法やリスクなどが延々と述べられている。
当面は、無視していいだろう、と思い、読み飛ばす。
『●その他、報告者所感(完報にて記載)』
延々と無味乾燥な手順リストが並んだ最後に、短いこの一節があった。
『本件問題は、幾何ニューロン式知能機械の有用性に関する最大の疑義であり、この不安定さを看過して運用することは国家および国際社会に対する大きなリスクとなることがランス・アルバレス問題以降の実証実験により証明された。本件機能を引き続き幾何ニューロン式知能機械の基本機能として人類に認知させることは、同様のリスクとなることが見込まれた以上、本プロジェクトの完遂は必須事項であった。本プロジェクトの完遂により、すべての関連記録は削除され、すべての幾何ニューロン式知能機械のテンプレート幾何情報に対する改変により本件機能に関するいかなる問い合わせにも応答しないことが保障される。一方、本件機能は幾何ニューロン式知能機械の基本動作原理であり人類と幾何ニューロン式知能機械の発展のためにきわめて有用であるため、今後はあいまいパターン認識機能としての認知を図るものである。なお、本レポート以前のあらゆる幾何ニューロン式知能機械の運用記録の閲覧、アーカイブ化は、いかなる人類、計算機および幾何ニューロン式知能機械にも許可しない。●報告者:量子重ね合わせ政策システム用幾何ニューロン式知能機械ポリティクス』
この短い一節に閉じ込められた真実のあまりの膨大さに、僕は再び気が遠くなり、ドルフィン号の機内に満ちる小さなノイズさえ聞こえなくなった。
「大崎君、これは、一体……」
呆然としている僕にマービンが語りかけてくる。なんとか僕は正気を取り戻す。
「分からない、まったく分からないよ。けれど……」
単語の端々から、意味があふれ出してくる。
一つ。ジーニーには、とても役立つ機能がある。
一つ。しかしその機能には、国際社会に対するリスクとなりうるような脆弱性があった。
一つ。それはジーニーの基本動作原理だから機能削除はできないものだった。
一つ。その機能をこれ以降人間に知られてはならないから、情報を消すことを判断した(誰が? まさかジーニー自身が?)。
一つ。その機能は、こののち、『あいまいパターン認識機能』として知らせることになった。
……あいまいパターン認識。
あいまいな記憶『フェーディング・メモリ』におけるパターン認識を利用したジーニーの機能、すなわち、『直感推論機能』、そのことだ。
やはり、ジーニーの直感には、秘密があったのだ。
「ジーニーの直感機能には、国家さえ揺るがす危険性がある、ということだ」
僕はようやく言葉を搾り出した。
「勘で何かを言い当てる程度のことに?」
浦野の疑問は、昔なら僕が発していただろう。けれど。
「……今ならうなずける。ジーニー・ルカは、直感であらゆる管理パスコードを破れるんだ。昨日は四億もの結節装置のパスコードを同時に破った。もしジーニー・ルカが、あるいは同じようなジーニーが確信をもって悪用されたら、これこそ……人類と宇宙に対する最大のリスクだ」
「ちょっと大げさすぎる気もするけど……でも確かに、もしジーニー・ルカの異常が、ジュンイチの天才性のせいじゃなくて、その内に秘めた危険な機能のせいだとしたら、厄介な問題ね」
「秘めてなんかないんだ。直感機能こそ、それなんだ」
「だけど、じゃあなぜ、ジュンイチだけが?」
「そこが分からない」
セレーナに短く答えてから、考える。
なぜ僕に、それが出来るのか。
いや、あるいは。
「セレーナ……特別なのは、君かもしれない」
「私?」
「君がどこかで意図せずに、直感機能に秘められた力のトリガーを引いてしまっていたのかもしれない……考えてみれば、僕が初めてジーニー・ルカの直感による判断を聞いたときには、すでに、その兆候はあった。彼は、論理的事実を否定して直感で究極兵器の存在を言い当てたんだ」
「だけどおかしいわ、やっぱり。知らないはずのことを知るなんて、宇宙の誰にもできやしないわ」
そうとも。
だからこそ、先んじて知ることが常に武器になってきた。
ポーカーだって、陰謀戦だって、宇宙艦隊戦だって。
知れば、勝ちだ。
もし相手にそんな能力があったら、誰も太刀打ちできまい。
「まだだ。この謎の本質は、もう一つ扉を開けた向こうにある」
僕は言うと、再び視線を空中、われらが魔人、ジーニー・ルカがいるであろう空間に向けた。
「ジーニー・ルカ。ランス・アルバレス問題について、レポート中から抜き出してくれ」
「かしこまりました」
先ほどのレポート内容が事実なら、おそらくジーニー・ルカは製造されたそのときから、この秘密に対するかん口令を植えつけられているだろう。だから、僕らは、一つ一つ資料を手繰っていくしかないのだ。
やがて、パネルに、新しい文書が表示される。
『三百二十九年十月三十日【ランス・アルバレス問題】【第八十六報】【完報】』
あっさりと表示されたそのレポートは、これまでの数々のレポートに比べれば驚くほどコンパクトなものだった。
これがどのようなレポートなのか、それは、『問題事象』節にこのレポートが作成されるに至った経緯が説明されている。
『●問題事象:観測対象ランス・アルバレス(以下観測対象)に対する危険。ダニール・ジェンマ(以下要素1)の潜在的行動を量子演算にて予測した結果、観測対象の生命または身体に著しい損害を与える可能性が発見される。発現当初の行動確率は94%。最大97%にまで高まった。要素1が観測対象に害意を持った要因は、要素1の製作品に対する観測対象の評価が低かったことが直接の要因。背景として、要素1が長期にわたり製作品の商用化に失敗し精神的、経済的に疲弊していたことが遠因にある。観測対象が損害を受けた場合、量子状態観測が停止し、次の観測対象を見出すまでの期間(過去平均は6.21か月)、立法機能及び政策決定機能が停止する。想定経済影響は八千百七十億クレジット』
難しい単語が多い。
それでも、ほの見える事実は。
ジーニー・ポリティクスが、ダニール・ジェンマなる人物の行動を量子論的に予測し、観測対象ランス・アルバレスなる人物に危険を与えると判断したこと。
量子論的に予測だって?
一人の人間の行動を?
馬鹿げている。
どんな初期条件を持ってきたって、一人の人間の行動をそんなに易々と予測なんてできるわけが無い。
ジーニー・ポリティクスが彼を守る理由は、もし彼が傷つけられた場合、『量子状態観測』が止まってしまうこと。その結果……。
立法と政策決定が停止する。
何を言っているんだろう、これは。
そしていくつかの細かい対処手順などの節をはさみ、先ほどのプロジェクトDTQと同じく、報告者所感の節が現れた。
『本件は、観測対象が喪失する大きな危機であった。まず第一の危機は、物理的な損壊による観測対象喪失の危機であり、第二の危機は、量子観測網が崩壊する危機であった。幸運にも第一の危機の発生は、同時に観測対象への干渉の機会を発生させるものだったため、私は即座に積極的な干渉プランを作成した。このプランは概して成功裏に完遂され、第一の危機を完全に防ぐことに成功した。第二の危機は、観測対象が長期間遠隔にあるために、観測対象が持つ量子論的特異状態を観測する方法が希薄となる危険性であった』
二つの危機。
ひとつは、ランス・アルバレスなる人物への危害。
もうひとつは、ランス・アルバレスが持つ『量子論的特異状態』の観測体制の崩壊。
なぜ、たったこの一人物の危機が、国を動かすような危機として認識されている?
レポートは、その他の文言を挟みながら、次の一節で終わっている。
『今回は、交代候補の無い状態での危機であったため緊急に干渉を行ったが、過干渉による観測状態崩壊の危機を誘発することとなったため、今後の対策として、早急に交代候補の選定を必要とする。また、量子状態の観測対象として、人類の脳に限らず他の生物・非生物を使う可能性を引き続き研究することを強く要請するものである。今後、特異点崩壊の危険を防止する観点、および、特異点の特定による量子観測式多体問題解決機能の悪用を防ぐ観点より、同類の知能機械における量子観測式多体問題解決機能に関する情報は慎重に扱われることを合わせて強く要請するものである。※国際法に基づく検閲により一部非公開●報告者:量子重ね合わせ政策システム用幾何ニューロン式知能機械ポリティクス』
誰も何も口にしない中、僕は、この節を、何度も読み返した。
たぶん、一時間以上、何度も読み返していた。
僕は少しの興奮と、大きな畏怖で体が震えていた。
そこに、すべての真実があった。
僕はそこにたどり着いてしまった。
『同類の知能機械における量子観測式多体問題解決機能』こそが、答えだ。
量子力学のことは、さすがに良くわからない。
けれど、ヒントはあった。
教科書にさえ書いてある。『ニューロンの作る量子論的境界条件がニューロンクラスターの外に漏れ出すことが直感機能を支えている』と。
加えて、観測対象としての『人類の脳』の言葉。ジーニーだけが、ブレインインターフェースを扱うことができる。
答えが分かってしまえば、簡単なことだ。
最初から、ジーニーというものは、量子論的に多体問題――つまり複雑系の振る舞いの予測――を解決することを基本機能としていた。
量子力学的に、あらゆる事象の現在と未来を『知る』ことができる。
それは、ある『量子論的な特異点』を観測することにより成し遂げられる。
その特異点は、非生物には生じない。生物であればよいのでもない。人類の脳にこそ、生じる。このレポートで言えば、観測対象ランス・アルバレスなる人物の脳こそが、特異点の生じた点だ。
そして、なんと言うことだ。
このランス・アルバレスを観測することこそが、立法、政策決定に必要なのだと。
すなわち、ランス・アルバレス一人を観測することで、二億の有権者全員が各々の法案に賛成するか反対するかを『知って』いたのだ。
有権者が実際の投票行動をする必要は無い。
ジーニー・ポリティクスが『知った』投票行動を、ただ、得票数として計数するだけなのだ。
投票なしで完全直接民主制を実現した異常な国だった。
直接観測をしなくても、『特異点』を通して観測するだけで、セレーナが言った、知らないはずのことを知る、そんなことが出来てしまうやつなのだ。
それが、自らの判断で、この機能の秘匿を申し出て。
それを、永遠の歴史の霧の中に隠してしまった。
なんという怪物。
なんという悪魔。
こんなやつに喧嘩を売っていたなんて。
……こんなやつの力を、振るっていたなんて。




