第三章 歴史探索行(1)
■第三章 歴史探索行
地球を出ようとしたとき、はたと問題に気がついた。
肝心の『セレーナの財布』、これが停止されていたことだ。
エミリアを出て地球に向かうときのチケットは確かにセレーナのIDで決済できたけれど、今日までのどこかでそれが取り上げられてしまっている。
僕をエミリアまでおびき寄せたいにしても、僕がそんな大金を持ってるわけが無いだろうに、ロッソのやつも手落ちだなあ、なんて思いながら僕のIDの信用余力を確認すると、三億八千万クレジットという途方もない数値を示した。
そこで思い出した。最初に地球を出るとき、僕のIDでチケットを買えるように彼女の信用余力を僕のIDに移しかえていたんだった。
そんなわけで、アンビリア行きのチケットは易々とゲットできた。
隣のアンビリア。
残念ながらアンビリアに関する僕の知識はきわめて限定的だ。
人類が最初に植民した星。
地球から宇宙への唯一の出口。
地球上空を支配している独立国家。
僕にとってはそんなにっくき侵略者なんだけれど、セレーナはまた別の面を教えてくれた。それは、アンビリアもロックウェル連合国の影響下にある国だということだった。
さっきもちらりとセレーナが口にしたロックウェル連合国の名。さすがに僕だって、その国が何者かなのかは知っている。宇宙開拓初期に活躍した資源商社が基盤となって誕生した巨大な商業国家。中心となったロックウェル共和国だけでなく、続々と連合に参加した他の国もほとんどが商社国家だった。広大な領域を領土とし、そこで産出される資源を商う。領土はおそらく宇宙で一番広いだろう。正確な数字はジーニー・ルカが補足した。二十の商業国、八十一の居住惑星、中継星系を含めると二百三十六の星系を支配しているという。加えて、公式な数字は不明ながら、あちこちの独立国に対してかなり強い影響力を持っているらしい。
セレーナが言うには、そのロックウェル連合国も、エミリアに野心を持つ国の一つで、ベルナデッダで国境を接している国もロックウェルの影響下。実のところ、過去にベルナデッダでロックウェルの侵攻に端を発した戦闘が行われたこともあるらしい。
いろいろと利害でもめてる国だから、と彼女は笑って言う。昔は武力で解決しようとしたものだが、エミリアが十分な防衛力を持つようになってからはエミリアへの侵攻コストは跳ね上がり、友好通商でマジック鉱を得る方が低コストになった結果なのだ。よって現在は儀礼上はすっかり友好国で、せいぜい、外交交渉のテーブルで難題を押し付けあう仲らしい。
地球は間接的にロックウェルに支配されていること。そんなロックウェルと対等に渡り合うエミリア。
言い方は悪いかも知れないけれど、急に、エミリアが身近に感じる。
あるいは、僕の心の奥底に、ロックウェルを共通の敵とする仲間みたいな意識が芽生え始めているかもしれない。
そして、現地について新たに得た知識は、アンビリアが、テラフォーミングに失敗した星だということだった。
大気は呼吸に適さず、待ち時間が二時間以上のエアロック式着陸場に並ぶしかなかった。
上空から見ても赤茶けていたその惑星は、地上に降りると、さらに憂鬱になるような赤い光と砂漠のような大地が広がっていることが見えてきた。人の住んでいる町はビル群の連なりの中に完全に閉じているようだった。
着陸場のエアロックを出て広い到着プラットフォームに立つと、一惑星の玄関口というには少しまばらすぎる人波と、案内カウンターがいくつか、大きな案内パネルがいくつか。
僕らは相談の上、ともかく歴史問題なんだから歴史資料館か何かが無いか、カウンターで問い合わせることにする。
運良くというか、歴史資料館は宇宙港から歩いて三十分ほどのところにあると言う。
半分観光気分で、僕らはそこに向かった。
***
歴史資料館は公文書館を兼ね、小さなカウンターとその奥に四十余りの閲覧端末があるだけの簡素な造りだった。
歴史資料だけでなく公文書も見たいと告げると、閲覧にはIDが必要だと言われた。当然だけれど、アンビリア市民と外国人では閲覧できる範囲が違うらしい。
そんな話だと、外国人の僕らではあまり期待できないなあ、と思いつつも、僕とセレーナはIDを提示した。
僕のIDを受け取り、スキャナに通す係員。ピッ、と短い音がして、受け取るとその表面に期限付きの閲覧権限が付与されたことが示されている。
続けて、セレーナのIDをスキャナに入れる。ピーッというエラー音とともにその作業はすぐに終わった。
「失礼ながら、こちらのIDは利用不可能となっているようです」
と係員はIDをセレーナに返しながら言う。
「何を言って……」
とセレーナが係員をどやしつけようとしたので僕はあわてて彼女を引っ張ってカウンターから引き剥がした。
「ちょっと何よ、あの失礼な係員に……」
「いやそうじゃなくてさ、君のID、もう役に立たないんだよ」
「……そうだったわ。なんだか思い出したらまた腹が立ってきた」
独り言を言ってから僕の方に振り向き(その表情は鬼の形相と表現すべきだろう)、
「ジュンイチ、さっさと究極兵器とやらを見つけて、エミリアごとあいつらふっ飛ばすわよ!」
「その、もうちょっと穏やかに、いや、お怒りはごもっともですが……」
しかし、他に怒りが向いている間は僕の身は安全だと学習していたので、その怒りをあえてなだめるということは決してしないと決めているのである。
そうしてぷんぷんしているセレーナを置いて僕は再度カウンターに歩み寄り、僕の権限で二台の端末を使いたいと申し出ると、あっさりと短期権限カードを借りることができたのだった。
閲覧室の指定席に座り、早速閲覧端末の索引画面を呼び出す。まずキーワード。何がいいか……。
「ねぇ、ジュンイチ、思うんだけど」
セレーナが僕の思索を切る。
「なんだい」
「過去の歴史学者たちもこうしてアンビリアに来て調べていたかもしれないんじゃない?」
「そうだと思う。だから、僕らが捜すのは、彼らの見落としだよ。彼らがとっくに検索した文書は見る必要がない」
そうして、僕は、いくつかの検索ワードとともに、特殊条件の論理式を組み立てて直接入力することにした。
基本的には、戦争だとか艦隊だとかそういう物騒なキーワードにひもづきそうなものだ。一般的なものと専門的なもの、いくつかの類語辞典にサブクエリを飛ばして取得したキーワードを、さらにあいまい化して検索キーに。
続けて、見落とし条件。
学術目的での検索履歴と閲覧履歴の件数が文書の重要度に比して十分に小さい、さらに言えば歴史論文からの引用も少なく、公文書でないもののスコアが高くなるようにし、さらに云々、ということを表す論理式を加えていこう。
「すごい呪文を使いこなすのね。ジーニーにだってできやしないわ」
僕の端末を覗き込んでいたセレーナがつぶやく。
「こればかりは人間の特権だろうね。明確な目的を持ってベースの式を変形させていかなくちゃならない」
「人間云々じゃなくて、あなたの個人のことよ」
この程度の事で変にほめるられるのもなんだか馬鹿にされたような気がしたが、今はちょっと手が離せないので言い返すのはやめておいた。
そうして、納得できる式が完成した時、検索結果は二百五十一件を示していた。これはもちろん、僕のIDの権限が許す範囲の文書だから、まあ、子供の自由研究の域を出ることはないだろうけど。
「さあ、まずはこれがとっかかりだ。このリストをそっちの端末にも送るから、端からそれらしいのを見ていこう」
「二百件以上を?」
「このくらいで驚かないでくれよ。本当の歴史家は何万件という文献を読み漁ってるんだ。歴史研究は現物より資料。ここからさらに検索式を変形して新しい文献をたどっていく、まだこれは入り口に過ぎないよ」
セレーナは、一度天井を仰いではあっと大きくため息をつき、ま、付き合ってやるわ、と言いながら隣の端末の席に着いた。
二人で黙々とタイトルと概要文を流し読み流す。
ほかにほとんど利用者もいないその部屋で、僕らがインデックスをめくる操作音だけが響く。
いくつか目を引くタイトルが僕の指を止める。
たとえば、『第772942陳述書に対する答弁会における艦隊保有に関する想定問答集』。しかし内容は、ある新聞(というよりはおそらくゴシップ誌だろう)が報じた、アンビリアによる艦隊保有に関する記事の問答がつづられているもの。どうやら、このゴシップ報道を受けて艦隊保有に反対する市民団体が反対の旨の陳述書を送り、答えて会見を開いたもの、らしい。
次に目についたのが『交通省令補助金10119号第二地球カノン基地宿舎拡張の件』。地球軌道上に対する支配権を意味するキーワードが並ぶ。これもじっくりと中を読んでみたが、表題以上の意味は見いだせなかった。『地球上の国家間で衝突が起こった場合の地上作業員の緊急避難場所として』という名目の拡張割り当てがあり、この『衝突』という物騒なキーワードに反応してしまったらしい。
そうしていくつを読んだ頃だろうか、時間にして一時間はたっていたが、
「ねえ、これは?」
と、セレーナが声をかけてきた。
彼女の端末の画面を見ると、タイトルには『特別要請の件、輸送費用』とだけある。怪しくなさそうなタイトルだが、セレーナが意味ありげにうなずいて見せる。
僕は彼女の端末から番号を受け取り、表示してみた。
内容は、地上から軌道上に物資を輸送する、その輸送費の申請に違いない。送る物資は、食料、燃料、機械部品、とある。受取者は『要請者』。
さらに申請の背景説明に読み進むと、徐々に意味が分かってきた。『オーツ共和国』から飛来した『警備舟艇』からの要請に従って、物資を補給した、ということらしい。
書き方はあいまいだが、これは間違いなく宇宙艦隊だ。つまり、アンビリアは、オーツ共和国の宇宙艦隊に対して補給を施している。輸送費はすべてアンビリア共和国の負担だから、アンビリア共和国はこの宇宙艦隊の行動を完全に支持、支援していることになる。
「……すごいよセレーナ、すごいものを掘り当てたかもしれない」
「……でしょう?」
オーツ共和国の宇宙艦隊の目的は何だったのか。
アンビリアという宇宙では片田舎にすぎない惑星の持つ唯一の特殊性は、『地球への玄関口』……。
「上空の宇宙艦隊にアンビリアが補給しているってことは、アンビリアはオーツに一度は屈服してるってことだ」
「私はアンビリアの歴史には詳しくないけれど……」
「もちろん、アンビリアは千年前から独立国、今でも気取って『高貴なる独立国』なんて自称するくらいなんだ。独立国として地球を支配してきた」
少なくとも地球の軌道より上の空域を。
僕ら地球人が重力の井戸の底で歯噛みするのを見ながら。
「だけどそのアンビリアが一度は軍事的な従属か同盟関係を持っていたってことね」
「軍事力を持たないアンビリアだからこそ、地球の合意の下でのアンビリアの平和的な統治って説が成り立ってた。だけど、もしこの一度の軍事行動が、そのまま地球侵略を意味するものだとしたら」
「ありえるわね」
「だけど、その後、このオーツって国はどうしたんだろう」
僕が首をかしげると、セレーナは軽く肩をすくめて見せる。
「だったら簡単よ。オーツは古くからロックウェル連合国を構成する共和国の一つ」
このオーツもロックウェルの一角なのか。ということは。
「つまり、こういうシナリオが成り立つね。地球への野心を抱いたロックウェルは、アンビリアを影響下に納め、地球への道を開いた。そして艦隊を動員し、地球上空に殺到。地球に『究極兵器』の一撃を浴びせて降参させ、以降、ロックウェル連合国の傀儡国アンビリアが地球を支配する」
もしこの推測が本当なら、歴史的な新発見かもしれない。
文書の引用数は、ゼロ。同じ年月近辺の特別要請に関する文書を検索すると十二件見つかり、同じように、物資の購買予算や人員の確保等々について緊急の予算執行の申請がずらずらと出てきたが、いずれも引用はゼロ。
どうしてこんな記録が全く引用されていなかったのか。
何かこの文書に引用を避ける『魔よけ』でも付いているのか、なんてことを考えながら、文書情報の表示を眺めていると、とんでもないことに気が付いた。
魔除けどころか、閲覧権限の欄に『発行者と最高外交要請に限る』と記載されていたのだ。
つまり、この文書を作ったアンビリア政府か、他の国の首相クラスの代表者による要請によってのみ開示可能な資料。一般の研究者は決して見ることができない文書だったのだ。
僕は無言でその情報をセレーナに示した。彼女は、口をあんぐりとあけて固まった。
「ど、ど、どうしよう」
ようやく僕の口から出てきた言葉はこれだった。
「お、落ち着いて、どうしてこんなことになってるのかしら」
落ち着けと言うセレーナがあわてているのを見て、僕の鼓動は多少は落ち着いた。彼女でも度を失うことがあるんだな、なんて思って。
それから少し考えて、仮説を立てた。
セレーナの信用情報を僕のIDに移す時に外交権限情報まで移してしまっていないか。
それはもちろんコピーだから普通は無効だが、セレーナのIDが停止になっているため、逆に唯一性が確保されてしまい有効になっているのではないか。
僕が言うと、セレーナは目を閉じて花飾りのアンテナでジーニー・ルカに問い合わせる。ややあって、彼女は目を開ける。
「その推測で間違いないみたい。信用情報の移転のときに必要な属性の選別が面倒だから属性情報を全部複製したのよ」
そして、二人同時に大きなため息をついた。
「……まずいかな」
もしそんな権限で文書を閲覧したことがアンビリア政府にばれたら。
「あれね、ちょっと早めに出発しましょうか、ね」
セレーナのあわてぶりから言って、やっぱり相当まずいことをやらかしちゃったみたいで。
三十六計逃げるにしかず。
画面に映った文書の内容と『オーツ共和国』の名前と、あとは発行年月日の情報だけを記憶にとどめ、エントランスの係員に軽く挨拶をして足早に資料館を後にした。
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