第六章 怪物(2)
作戦決行の前に、ランチにした。
前祝の乾杯をした。
それから、ちょっとしたショッピングを楽しむ。
高校生が買うにはあまりに高価で場違いなそれは、ごつごつとした操作キー付きの業務用情報端末。
苦笑いする店員に、IDの信用余力を見せると、彼の顔はぱっと明るくなって、あっという間にそれをラッピングした。
業務用端末にメンテナンス端末を取り付け、説明書にしたがってコマンドを入力した。
ジーニー・ポリティクスの管理パスコードと、これから二時間、近距離無線でペアリング信号を出すこと。
外に出て、ポーチの重さや軌道を確認するための練習をする。
浦野は一瞬でそれをものにして、二十メートル離れた僕の両手に何度も完璧なパスをして見せた。
そうした準備が終わって、僕らは再び、見学の行列の中にいる。
メンテナンス端末とマービンのIDを収めたポーチは、浦野の手の中に。
まずは、次の作業員のカートを待つ。
三十分に一回は少なくともあるはずだ。
セレーナとマービンで両側を、後ろを僕が固めて、浦野のフリースローポジションを確保して、待ち続けた。
やがて、左側面の扉が開き、小さなモーター音を響かせながら、カートが進み出てきた。時速二キロメートルほどのゆっくりした速度。
あと五秒ほどで、作業員が第一の扉のセキュリティを解除する、そのくらいのところまで進んだときとき。
僕は、後ろに待機していた毛利に、右手で小さく指を立てながら目線で合図を送る。
にやっと笑った毛利は、突然駆け出した。
そう言えば、どうやって騒ぎを起こすつもりか、聞いていなかった。どうするつもりだろう――。
僕がそんなことを思っている間も、彼は見学者用通路を、器用に人を避けながら駆け抜け、最後に、ホールからの出口に当たる大きな透明アクリル扉の、『はめ殺しのほうのアクリル板』に突進した。
すさまじい音と毛利の悲鳴がホールに響く。
分厚い耐衝撃アクリル板は割れこそしないが、はじき返されてひっくり返った毛利の体が落ちる音がひときわ大きく響いた。
うん、そこまでやれなんて言ってない。
けれど、その惨事に警備員、見学者、カートに乗った作業員さえが一斉に注目し、武装警備員四人は倒れている毛利を認めて駆け出す。
「浦野!」
「トモミ!」
僕とセレーナは同時に小声で叫んでいた。
浦野は毛利の無謀な突進に一瞬狼狽したものの、すぐに正面を見据えた。
右手にポーチを持ち、頭上に掲げる。
カートはちょうどセキュリティ解除のために停車している。
ふわりとポーチが舞う。
反動を消すために後ろに飛んだ浦野の体を、僕が両腕で受け止める。
彼女の髪が僕の視界をふさいで。
僕の顔をなでて、落ちたとき。
視界が開けて、ゆっくりと落ちていくポーチが見えた。
ポーチがすべての音を吸収しているかのように、あたりが、しん、と静まり返ったように感じた。
するすると重力場の中を滑ったポーチは、バスケットへ。
バスケットのふちに当たり――。
ぐらりと傾いて、落ちた。
バスケットの、――内側へ。
浦野が小さく右拳を上げる。
僕はその手を後ろから握って激しく振り回す。
セレーナがもう片方の手を両手で取って、同じように振り回した。
マービンが出口を指差し、僕とセレーナはそれぞれ握ったままの浦野の手を引っ張って、駆け出した。
出口に鼻血を流しながら倒れてうめいている毛利と、覗き込む警備員二人。もう二人も駆けつけようとしている。
僕らは大急ぎで彼に駆け寄り、覗き込む。両手で押さえた顔は真っ赤で、演技ではなく本気で痛がっているのは一目瞭然だ。
大丈夫かと訊くと無言で何度かうなずく毛利を、僕とマービンで引き起こし、すみませんこいつ馬鹿なんです、と心配してくれた警備員に弁解する。
浦野は、手まで血で真っ赤になるのもかまわず、ハンカチを毛利の顔に当てている。
毛利は、まだ、うーんとかなんとか唸っている。
他の職員も駆けつけてきて、医務室へ、いや救急車を、と何度も心配してくれたが、迷惑をかけるので救急を呼ぶにしても外に出てから、と固辞した。
ほとんど抱えるようにして庁舎の外に出て、通り沿いの小さな公園に連れ込み、ようやく彼をベンチに寝かせることが出来た。
***
毛利の血が止まるまで、三十分くらいかかっただろうか。
ようやく落ち着き、涙目のままゆっくりと起き上がった。
「……やったか」
浦野が、グーを突き出す。それを、同じグーで突き返す毛利。
「らっくしょーう」
浦野が笑いながら言い、マービンが公園の水道で濡らしてきたハンカチでもう一度毛利の鼻の周りをぬぐった。いててっ、と彼は顔をしかめる。
「ほんとに、私の騎士は馬鹿ぞろいね。そこまでやれなんて言ってないわよ。大声で喚く程度でよかったのに」
「いやあ、あんなところを守ってる警備員だからさ、よほどじゃないと動じないんじゃないかと思ってな」
「ただでさえ少ない脳細胞なんだから大切にしろよ」
「うっせー」
軽口を叩きながら、僕も毛利と浦野の拳を順々に一突きした。
「後は、あのポーチが無事に帰ってくることを祈るだけですね」
マービンも僕に続く。
「祈る必要なんてねーよ。俺たちの勝ちさ」
毛利は、浦野の手を優しく顔からどけて、立ち上がった。
「急いで帰ろうぜ。もう、落とし主探しが始まってるかも知れねえ」
「そうですね、行きましょう」
歩き出したとたんふらつく毛利を、あわてて浦野とマービンが支える。
「無理しないのよ、レオン」
心配だか忠告だかするセレーナに、どちらかと言うとホテルのベッドで休ませてくれ、と毛利が返す。その間に僕は小型タクシーを一台止め、毛利とそれを支える二人を押し込む。
頼むよ、と、僕とセレーナがそれを見送った。
手を腰に当て、しばらくたたずむセレーナ。
やがて、くるりと振り向いた。
「あなたがこんなに友達に恵まれてるなんてね」
「僕は恵まれてるんだ。あんなやつらに加えて、君と、ジーニー・ルカがいる。誰にも負ける気がしないよ」
「たとえ宇宙が相手でも?」
「すべての平行宇宙が束になってかかってきてもね」
「あなたのジョークはつまらないわ」
言葉とはまったく逆にセレーナはくすくすと笑いを漏らす。
「さあ、僕らも。まだ最後の仕上げがある。僕らのジーニー・ルカを奪った図体がでかいだけのジーニーに、きついお仕置きだ」
「やり過ぎない程度に頼むわよ」
「やり過ぎそうになったら、まあ、なんと言うか、頼むよ」
「ええ。あなたをひっぱたくくらいなら何度でも」
そう言って、彼女は僕の頬を叩く真似をした。




