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お茶会を終えた夕刻。
ルナ離宮の執務室は、静かな夕陽に照らされていた。
私はいつものように書類を捌きながら、向かいに座るカティアに目を向けた。
彼女はまっすぐな視線でこちらを見つめていた。
幼さの残る顔立ちに不釣り合いな、鋭い光を宿した瞳。
「……殿下」
「うん?」
カティアは僅かに唇を噛んでから、ゆっくりと口を開いた。
「なぜ……私をお引き取りになったのですか?」
その問いは、予想していなかったわけではない。
だが、その声音には迷いがなかった。
「他の姉君方のように、上位妃のご令嬢の中から選ばれる方が――殿下の今後の立場には、はるかに有利だったはずです」
「……」
私は少しだけ目を細めた。
ここまで冷静に己の立場を分析しているとは。
(やはり才覚は群を抜いている)
「君は、そこまで理解しているのか」
「……はい」
カティアは小さく頷いた。
「私のように後ろ盾を持たぬ妃では、王宮内での貴方の立場を不安定にしかねません。政治というものは、そういうものでしょう?」
まるで既に政略を熟知している貴族夫人のような物言いだ。
だが、その奥には幼いながらの覚悟と不安が混じっているのが見えた。
私は、静かに首を横に振った。
「――だからこそ、なのだよ」
「……え?」
「私の母は既に亡い。私は王子でありながら、背後に特定の貴族派閥を持たぬ身だ」
「……」
「外交を担う私の立場は――常に王家そのものの中立でなければならない。特定の貴族と結び付けば、私が動くたびに王家が揺らぐことになる」
カティアの瞳が、僅かに大きく開かれた。
「後ろ盾のある姉妹を娶れば、その家門は私を通じて王家を動かそうとするだろう。それは私にとって、そして王家にとっても毒だ」
私は淡く微笑む。
「だから私は、貴族の娘ではなく――王家の中でも孤立していた君を選んだ」
「……」
「君が誰にも支えられずとも、ここまで己の才を磨き続けてきたことも……私は知っている。埋もれさせるには惜しい」
カティアはわずかに視線を伏せ、手を膝の上で静かに握った。
「……私には何の力もありません。ただ、生き延びるために学んできただけです」
「その生き延びるための才が――すでに立派な力だ」
私は穏やかな声で言葉を重ねる。
「そして、これからは私が君の後ろ盾となる。安心して力を伸ばせばいい」
カティアの唇がわずかに震えた。
長い間、誰からも与えられなかった言葉を、今ようやく受け取ったように。
「……はい」
彼女はかすかに頷いた。
まだその声は小さく、表情の硬さも残る。けれど――
けれど心の中では、
ようやく芽を出し始めた若木が、ゆっくりと根を伸ばし始めるのを感じていた。




