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「……ユーリ、私の話をしますね」
カティアは静かに、けれど穏やかに語り始めた。
私たちは並んでベッドに横たわり、手を繋いだまま、その言葉を待つ。
「私が物心ついた時には、母はいませんでした」
私はわずかに眉を動かす。
だがカティアは微笑を崩さぬまま、淡々と続ける。
「鉱石宮では、母を失った王女たちは下働きの中で育てられます。食事も衣も、死なない程度には与えられますが……それ以上はありません」
(……あの宮の内情は、ある程度知っていたつもりだったが)
カティアの口から語られる現実は、想像以上に厳しく冷たかった。
「母が存命の王女たちは、母の家や親族からの支援を受けられます。けれど、私のように母を失った子は、それすらありませんでした」
声に濁りはない。
まるで長く抱えてきた痛みを、もう痛みとして感じないかのように。
「だから私は、小さな頃から考えました。どうすれば、もう少しだけ良い暮らしができるのか、と」
私は黙って耳を傾け続ける。
「他の妃方のお手伝いをしたり、下働きの方と仲良くなったり……そうやって、食べ物や情報を分けてもらってきました」
情報。
その言葉に、私は僅かに頷く。
「――情報は、物がなくても価値になります。だから人の話をよく聞くようになりました。話を遮らず、相手の望む言葉を返し、時に沈黙する。そうすれば皆、たくさん話してくれるようになります」
(……あの傾聴力は、そうして身についたのか)
今までの彼女の鋭敏な観察眼と、巧みな会話術の原点が、そこにあった。
「……君は、幼い頃からずっと生き残るために、学び続けてきたのだな」
思わず私の口から漏れた言葉に、カティアは微笑を浮かべたまま小さく首を振る。
「生き残るため、だけではありません。――いえ、正しくは“出るため”でした」
「出る、とは?」
「鉱石宮から、です」
カティアの瞳が、ほんの僅かに揺れる。
「鉱石宮の王女は、基本的には母の家の後ろ盾を得て、嫁ぎ先が決まります。でも、私には母の家族もいません。誰も望んでくれる人などいないまま、ただ時が過ぎていく未来が見えていました」
私は言葉を失う。
「だから私は、小さい頃から貴方――ユーリを見ていました」
私の心臓が一瞬跳ねた。
「外交を担う王子であり、たくさんの人々の中心にいる方。私がいつか後宮から出られる可能性があるとしたら、貴方に見つけてもらうしかない、と」
「……カティア」
「妃になりたい、と思ったのは……そのもっと後です」
カティアは少し照れくさそうに、でもしっかりと私の目を見つめた。
「正直に言うと、少し想定とは違う結果になりましたけど……でも、あの日。庭で貴方に声を掛けていただいた時、私はようやくここから出られると感じました」
彼女の言葉が、胸の奥深くに染み渡っていく。
私はそっと、カティアの手を優しく握り直した。
「……ありがとう。話してくれて」
「こちらこそ、ユーリ。今こうして貴方の隣にいられることが、何より幸せです」
微笑み合う私たちの間に、静かな夜の温もりが満ちていく。
(君を、二度とあの孤独に戻させたりはしない)
私は心の中で、そっと固く誓いを新たにした。




