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ルナ離宮。
それは第六王子たる私――ユーリ・サファイア・アレストに与えられた専用離宮である。
王宮本殿の喧騒と距離を置き、静謐と知性の象徴たる“月”の名を冠するこの離宮は、外交を担う私にとって最も居心地の良い場所だ。
私はルナ離宮の執務室に戻ると、すぐに長年の側近ノルベルトを呼び寄せた。
先程、後宮で出会った一人の王女――カティア・アゲート・アレストの件を話すためである。
「……殿下、今一度確認いたします。第十一王女殿下を“妃候補”として、後宮からお引き取りになるのですね?」
ノルベルトは慎重に言葉を選びながら問い直す。
几帳面で冷静な彼ですら、今回ばかりは困惑を隠せないようだ。
「その通りだ。正式に鉱石宮のアゲート部屋所属――カティア王女を、私の妃候補として迎え入れる」
「……殿下。第十一王女殿下は、まだ十ぐらいの年齢の少女でございます」
「分かっているとも。すぐに妃とするつもりは毛頭ない」
私は椅子に深く身を預け、静かに告げた。
「だが、今引き取らねば――潰されるのは時間の問題だろう。才ある者が埋もれるのを看過するほど、私は冷淡ではない」
ノルベルトは苦笑を浮かべた。
「……殿下は昔から、才ある者を放っておけぬお方ですからな」
「外交官の務めゆえにな」
私はわずかに肩を竦める。
「人材を発掘し、育て、適切に配置する――それもまた、国を動かすために必要な調整だ」
そこでふと、私は唇の端を上げた。
「それに――」
「それに?」
「……あの子は、私の理想にも近いのだ」
ノルベルトは沈黙したまま眼鏡を押し上げる。
その仕草に無言の圧力を感じたのは気のせいではない。
私は小さく咳払いをした。
「才があり、聡明で、観察眼も鋭い。あの年齢で既に情勢を読み取る力を備えている。外交を担う私にとって、いずれ右腕になり得る存在だ」
「……殿下、もしや例の外交先で出会ったアレクシス王弟殿下の件が影響しておられるのでは?」
「ふむ。あの方は確かに見事だった」
私は苦笑を浮かべる。
「だが、影響されたわけではない。あれを見て学んだのだ。共に歩める伴侶がどれほど価値を持つかを」
「とはいえ、妃殿下方や他の王子殿下方から牽制は必至でしょう」
「承知している。だが今のうちに私の管理下に移せば、余計な騒ぎを生まずに済む」
私ははっきりと告げる。
「ノルベルト、必要な手続きを整えてくれ。鉱石宮の管理責任者には、私の名で通達を出す。名目は“教育を施すための妃候補保護”だ」
ノルベルトは観念したように溜め息を吐いた。
「……かしこまりました、殿下。これでまた胃痛の種が増えそうですな」
「国を動かすとは、胃痛と友に歩むようなものだ」
私は微笑んだ。
(さて――新たな可能性を、育てる時だ)
まだ幼い王女。だが――
必ずや、並び立つに相応しい存在へと育つはずだ。
私は確信していた。




