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カウフマン邸(2)


 それでヒューズ・ロッセの推理小説はあれほど臨場感やリアリティがあったのか。

 実際に試してみれば、想像とは違うところも多かったのだろう。

 また、地下室は誰も入れない危険な仕掛けまみれ、とのことだから、やっぱり実際には作っても使えないものもあったのだろうな。

 素晴らしい……!

 リアリティのある推理小説を書くために、そこまでのお金と労力を割くなんて、作品への愛、作品をより高みへ押し上げようという努力が深く感じられます……。

 

「そのお話を聞いたら、またヒューズ・ロッセの名探偵クロイドシリーズを読み返したくなってまいりました。今読んだら前回とはまた違う見方ができる気がいたします」

「おお、カミル様はヒューズ様の小説を読んだことがあるのですか?」

「はい。実家にいた頃に。祖父が本好きで実家には図書室があったのですが、父と母は勉学以外の本に価値はないという考え方だったため、僕に与えられた部屋がそういった本の集められた元図書室だったのです。オメガとわかる前はそこで勉強し、家を継ぐ兄の補佐をできるようにと命じられておりました」

「そうだったのですね。では、首輪が外れたあとはオメガであっても男性らしく職に就いて生計を立てられるとよろしいかもしれませんね。オメガ男性の中には、暇を持て余して働いている方もおられますし」

「え……オメガも働けるのですか?」

 

 ええ、とディレザさんが頷く。

 仕事。……仕事か。

 

「考えたこともなかったです……。働くことができるのでしょうか、僕なんかでも」

「もちろんです。本がお好きなのでしたら司書などよろしいのでは? 確か司書はオメガの方がよく働いていると聞いたことがございます。力仕事も多く、人目につくことも少ないので夫に許しを得られやすく、多くのオメガが働いているので仕事も休みやすいように国が配慮した仕組みを作ったと聞いたことがございます」

「そ、そうなのですか……!?」

 

 オメガが働く。

 働きたいと思うオメガもいるんだ……?

 いや、実際に働いているひとが、いる。

 それなら――実家にもどこにも行く当てがないのだから、仕事に就いて家を探して、自活できるようになった方がいいのでは?

 やったことはないけれど、他のオメガも働けているのなら僕にもできるかもしれない。

 

「そうですね……どこに行くこともできませんし……仕事をしたいと思います。ずっとこちらのお世話になることもできませんし……。というか、カウフマン様はアルファですよね? 僕をお邸に連れ込んでよろしかったのですか?」

 

 アルファの貴族がオメガを連れ込む意味。

 そのくらいの知識は僕にもある。

 けれどそれを言ったらディレザさんに「やはりヘルムート様はアルファなのですか」と聞き返された。

 

「え」

「ヘルムート様は第三性――アルファ、ベータ、オメガの診断を受けておられないのです。体格的にも能力的にもまず間違いなくアルファだろうと言われておりますし、発情期もないのでアルファでなくともベータではあるでしょう。そのあたりをはっきりさせた方がよいという声に、なぜだか否定的でおられまして」

「え、え?な、なぜでしょう?」

「わかりません。何度かお聞きしても『そのような些事に構っていられぬ』とおっしゃるばかりでございまして」

「そう、なのですか」

 

 些事?些事かな?人生を左右することだと思うのだけれど。

 いや、周囲の人も些事ではないから何度も提案しているのだろうに、カウフマン様にとって第三性は些事なのだろうか。

 アルファの貴族様の考えることはわからないな。

 

「ヘルムート様はやはりアルファなのですか?」

「他のアルファの方に会ったことがないので、僕の基準で申し訳がありませんがそうだと思います。今まで出会った人とは匂いがまったく違うので」

「匂い、ですか?」

「はい。レモングラスのような柑橘系のハーブのような、とても爽やかな香りがするんです。香水とはまったく違う、人間の匂いなんですが……」

 

 そう、僕もアルファの人だ、と初めて思った。

 とてもいい匂いで、惹かれた。

 あんなに匂いだけで、わかるものなのだと驚いたくらい。

 

「そうなのですね。オメガとアルファが惹かれ合うというのは、そういう根拠があるのですね」

「どうなのでしょう?他のアルファに会ったことがないのでわかりません」

「――と、いけない。カミル様とお話するのが楽しくて、手が止まっておりました。部屋着や肌着、寝間着なのですが、クローゼットに入っているものは洗濯してありますので本日はこちらをご利用ください。明日、わたくしがカミル様のものを買ってまいります」

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「ちなみに、カミル様の次の発情期はいつになるのでしょうか?それに合わせてメイドを離れに連れてまいりますので」

「あ、その件なのですが――」

 

 僕は発情期を経験したことがない。

 今までは薬で止めていた。

 そして今まで飲んでいた発情期を止める薬を、今持っていない。

 もし許されるのなら、またその薬を飲んで止めたいのだけれど……と相談すると硬直された。

 ああ、やっぱりオメガが発情期を薬で止めるのはよくないことなんだ?

 みんな同じ反応をされてしまう。

 

「そ、それは……お、お体は大丈夫なのですか?」

「さあ?今までおかしかったことはないので……」

「そうなのですか……。でも――」

「やっぱりまずいのですか?」

「落ち着いたらお医者様に診ていただいた方がよろしいかと」

 

 あ、そんなにまずいんだ……。



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