雪解けの兆し
「んんんんん……」
発情期に入って三日目の朝。
上半身を起こして思い切り背伸びをすると、頭が非常にすっきりしていることに気がついた。
なんだか今までにないスッキリ感。
なんだろう、これ?
とりあえず発情期終わったのかな、とあくびをしながら水分補給をしようとベッドから降りようとした時、隣にもぞもぞとなにか動いた。
振り返ると、カウフマン様が寝ている。
シーツを被った状態で、でも上半身は間違いなく裸。
「………………。ええと………………」
急に噴き出す汗。
あれ? あっれえ~~~~~~?
姿勢を正して、天井に視線をさ迷わす。
えっと、昨日、僕は……ああ、そういえば帰宅したカウフマン様を部屋に引きずり込むような真似をしてしまったような記憶がうっすらと……。
しかもそのあと『体がつらすぎてしんどいから』と我儘を言ってしまった。
まさか応じてくださるなんて思わなかった、と今だから言えること。
頭を抱える。
いくらなんでも、不敬すぎる……!
住む場所、食べる物、着る物に至るまでお世話していただいているのに、さらに体のお世話までさせてしまうなんて……!!
追い出されても文句が言えない! どうしよう!
「朝か」
「おはようございます……っ」
終わった。
目を覚ましたカウフマン様が上半身を起こす。
慌ててベッドの下に下りて土下座する。
「は? カミル――」
「も、申し訳ございませんでした。発情期中の意識朦朧中とはいえ、生活を保障していただいているのにとんでもない真似を……!」
「いや、ある程度私も想定はしていたので問題はない。避妊薬は飲んでおいたが、もし万が一妊娠していたら責任は取る」
「へ……え……あ?」
この人なにを言い出しているんだ?
顔を上げると手を差し延ばされた。
正気だろうか、この人。
僕なんかを娶るというのか?
あ、いや、でもどうせ側室だし、まだ後継ぎもいなさそうだし、僕使えるんだろうか?
後継ぎ問題に僕が使ってもらえるのなら、多少の恩返しになるのかな?
「ああ、それと、これを渡そうと思っていた。遅れてしまったが、その分完璧に仕上げたと言っていた」
「え? あ! 眼鏡……!」
僕がいつまでも手を取らないので、一度手を引っ込めたカウフマン様がベッドサイドからなにかを手に取り、開いて差し出してくれた。
それはケースの中に納まった眼鏡。
薄紫色のフレームの、少しだけ青味がかったレンズの……。
そういえば二週間くらいでできると聞いていたけれど、素材が不足して少し遅れる――と連絡が来たけれど……。
「完成したんですか? え、本当にいただいていいんですか?」
「ああ」
「ありがとうございます……!」
本当に嬉しくて、顔を見上げたら初めてカウフマン様を真正面から見た。
思えば顔を見たことはあるけれど、向き合ったのは初めてかもしれない。
「左目、見えるのですね」
「ああ、眼球は無事なんだ。ただ傷がな」
「すごく複雑な傷痕ですね」
「折れた馬車の柱にぶつかってできた傷だ。……九つの時、父の第二夫人のオメガに謀られ、両親と私が乗った馬車が事故を起こして死んだ。私の左目の傷はその時のものだ」
「第二……」
第二夫人のオメガ、ということは――男のオメガですか、と聞くと頷かれた。
そうだよね、第二夫人は基本的に表に出せない男性オメガ。
しかし、オメガが暗殺を企てた……?
そのせいでカウフマン様のご両親は亡くなった?
カウフマン様自身も消えない傷跡が残った?
本当にそんなことがあるのか?
「証拠はないので裁くことはできない。殺そうとした俺のことを遺産管理の名目で育てたこと自体は感謝しないこともないが、それでも両親の仇としか見れず今は地方に移住させている。あなたには不快な話しだろうが」
「いいえ。そういうこともないですが……。そうなのですね。そういうオメガも……いるんですね……」
それには驚いた。
そんな野心溢れるオメガがいるんだ。
冷えるから、と改めて床からベッドに座らされて「だが俺の実母もオメガなんだ。女性オメガだが」と言われてまた驚いた。
カウフマン様の父君は正妻も側室もオメガなんだ?
「そして実母は父の名を借りて小説を書いていた」
「えっ」
「あなたが好んで読んでいる父の著書は、オメガの母が書いたもの。だからオメガという存在が、ただ守られて子育てしかできない――という風潮が私は嫌いだ。母のように自分自身の可能性を広げてもいいと思っている。……あなたも」
「僕も……?」
こくり、と頷かれて真剣な瞳で見下ろされ、俯いてしまう。
この人は、オメガに両親を殺されたのにオメガ自体を恨むどころか可能性を信じてくれているのか。
僕なんかのことまで。
「カウフマン様は、本当にお優しいのですね」
「直接肌にまで触れたのだから、名前で呼んで構わない」
「あ……、ええと……はい、では……ヘルムート様」
「ああ」
うわあ。
なんだか急に顔が熱くなった。
顔があげられない、なんだこの気持ちは。
なんだ、この感覚は。
「僕のようなオメガを、否定しないでくださって……ありがとうございます」
嬉しいのかな?
今までこんなふうに肯定されて経験があまりにも少なくて、これがそうなのかよくわからない。
性技の授業でも褒められたけれど、こんな感覚になったことがないから……不思議。




