新世界
「ではこちらのレンズで、この三番形のフレーム、お色は薄い紫の四番でよろしいでしょうか?」
「は、はい」
「ご注文を承りました。制作に二週間ほどお時間をいただきますので、また二週間後に商品を持ってまいります。しばしお待ちください」
「あ、あの、はい。あの、でも、その……」
「お支払いはカウフマン家でいたします」
「え、あ、う……」
僕が戸惑っていると、後ろでエレナさんが淡々と答えて請求書を受け取る。
こんな高価なもの、本当に無料で受け取ってしまっていいのだろうか?
でも、もらえるのならあの景色をもう一度……い、いやでも、僕ではとても買える代物ではないし。
でも……! 買っていただく理由もないし!
「お仕事を見つけて、少しずつお返しすればよろしいのですわ」
「あ!」
眼のお医者様と眼鏡の商人さんが帰ってからも、ソファーで動けずモヤモヤとしていた僕の耳元でジェーンさんが優しく微笑みながら囁く。
そうか! そうすればいいんだ……!
「ぼ、僕なんかが仕事に就けるか不安ですが……眼鏡があればあんなに周りがよく見えるようになるということですものね……! す、少し、なにかができるような気がしてきました……」
「ええ。その意気ですわ、カミル様」
ところで実際おいくらなんですか、と聞いてみると銀貨五枚相当らしい。
聞いてからそれって高いんだろうけどどのくらい高いのだろう、と自分のお金の感覚がよく理解していないことに気がついた。
よっぽど変な顔をしていたのだろう、僕の顔を見たジェーンさんが「買い物ってしたことあります?」と合わせた手を左ほおに当てながら笑顔で聞いてくる。
買い物……。
「フェグル伯爵のお邸で、奥様や囲っておられる蝶の皆様が商人を呼んでドレスや装飾品を購入されているのなら……見たことが、あります」
「まあ、ご自分でなにか購入されたりは?」
「それは、ないです。自分では……」
首を横に振ると、笑顔のジェーンさんが一瞬固まったように感じた。
先程眼鏡をかけて自分の視力が悪いと知ってしまったので勘だけれど。
「一度お金を持って自分で買い物をする、という経験をした方がいいかと思いますわ」
「やはりそう思います?」
「わたくしも昔はそうでした」
と、目を伏せるエレナさん。
首を傾げると、エレナさんは衝撃的なことを教えてくれる。
「わたくし、実は南国の出身なのです」
「南国……? この国の方ではないのですか?」
「はい。南国で八歳の時に誘拐されて、この国に連れてこられました。奴隷として」
「え……」
目を見開く。
エレナさんは自分の国の名前も覚えぬ歳の頃に賊に誘拐され、奴隷商に売り飛ばされた。
性奴隷として教育を受けながら、ヨアギャレット西国の貴族に売られて働かされる。
だが、そこをカウフマン様に助けられて国に帰りたいが自分の生まれた国は南国のどこか、ということしかわからない。
おそらく、奴隷制度が廃止されていない南国。
もしくは、東国。
ただ、育った場所が海の近くの村だったことしか覚えておらず、海の近くで気候が暖かかったならおそらく南国ではないか、という非常に曖昧な理由。
だから、実は南国ではないかもしれない。
どちらにしても、「もう十年以上帰っていないから親も自分を死んだものとして諦めていることだろう」とのことだ。
ここでただ、静かに穏やかに仕事をしながら勉強をして慎ましく、生きていく。
「カミル様の状況は、わたくしによく似ております。わたくしがわからなかったことはカミル様もわからないのではないかと思いまして。わたくしは奴隷から解放された時、普通の、服や食べ物の名前もよくわからなかっただけでなく、物の価値、相場というものがどういうものかわからず苦労しました。あとは文字の読み書き。物の相場は買い物をしなければわからないので、買い物をするのが一番手っ取り早いかと」
「買い物……」
呟いたあと、もう一度「買い物……」と呟いてしまう。
買い物、かあ……。
「僕なんかに買い物ができるんでしょうか……?」
「「え?」」
フェグル伯爵の奥様方はポンポン買い物をしていた。
それこそ商人に値段を聞くこともなく、気に入った品を紹介されたら「いただくわ」と一言で即決。
僕にはとてもではないがそんな買い物はできない。
「あとは、そうですね。料理でしょうか。料理は覚えておくと便利ですね。掃除と洗濯も生活する上でも仕事をする上でも役立ちます。奴隷時代に教え込まれたものですが、今もそれは教わってよかったと思っております」
「家事……。僕、やったとがありません」
「では、そのあたりから始めましょう。できることが増えれば、仕事の選択肢も増えますわ。カミル様はわたくしと違って貴族の血筋でございますし、オメガとはいえ男性ですもの理解ある職場があればわたくしどもよりもお給料のいい職場に就職できますわ。もちろん、男性のオメガらしく高位貴族のアルファと結婚して子を産み育てる幸せを選ぶことも自由ですけれど」
「そうですよねぇ。カミル様、やっぱりヘルムート様のお嫁さんになるのはどうですか? お金持ちだし、わたしたちみたいな元奴隷も普通に働かせてくださるし、衣食住や身元の保証人にもなってくださいましたし!」
「え、エレナさんも……?」
まさか、と思ったら笑顔で頷かれた。
本宅の方で働いている女性の三割は、元奴隷。
帰る宛がある女性は帰宅のサポートをしてくれるが、幼い頃に誘拐されて奴隷として生きてきた人はそれが難しい。
カウフマン様は、しばらく本宅でそういう女性を預かり、教育して他所の家にメイドとして就職斡旋もしているそうだ。




