1
雨粒が世界を叩く音が鳴り響いていた。
「ごめんね翔真。今日は遊園地に行こうってずっと約束してたのに……。それに早起きまでしてくれたのにさー」
「仕方ないよ、雨なんだから。あと、早起きなのは遊園地のためじゃないから」
おれは食パンをかじった。
天気の悪さは誰のせいでもないのだから、母さんが謝る必要はない。
「――というかねえ、お母さんが楽しみにしてたのよ遊園地! せっかくジェットコースターに乗れると思ってたのに! お父さんだって有給取ってくれてたのに! 運転はお父さんにお任せできるし、お昼ごはんも晩ごはんも作らなくていいし、暑さ対策もUV対策もバッチリ準備してたのにさあー!」
「いや知らないよ! なんでおれが怒鳴られなきゃいけないんだよ!」
ぎゃあぎゃあ喚いている母さんからできるだけ距離をとって、おれは朝食のハムエッグをつつく。……表面が黒すぎる。コショウのかけすぎだ。
父さんはのんびりとブルマンをすすりながらも、そうだねえと苦笑した。
「お父さんとしても、楽しみにしてたんだけどね」
「そうでしょ!? お父さん、あんなに張り切って洗車してたのに! 車だって今頃きっと悲しんでるわよ! ああああ、とにかく今日のご飯どうしよう! 食材なんかなーんにも買ってないわよ! そうめんだって人数分ないし! というかこの季節にそうめん湯がくのって結構な地獄なんだから! ああもおおおお」
遊園地に行けないことより、料理を作らなければならないことのほうを嘆いているように聞こえる。
……おれ、料理覚えようかな。
スパイシーなハムエッグを頬張りながらそんなことを考えていたら、父さんがマグカップをテーブルに置き、「よーし」と手を叩いた。
「それじゃ、悪天候でも遊べるところに行こうか」
「え!?」
頭をかきむしりすぎて髪の毛がぐしゃぐしゃになっている母さんが、ぱっと顔を上げた。
「それで、昼も夜も外で食べて、買い物して帰ろう」
「!!」
誰が見てもわかるくらいに、母さんの目がぱあっと輝いた。近所の犬が、おやつを目にしたときの顔にそっくりだ。こんなにもわかりやすい人、他にいるだろうか。
母さんは「それでそれで?」と父さんにせっついた。
「どこに行くつもりなの? ショッピングモールとか?」
「ふふふ」
俺が訊ねると、父さんは新聞に挟まっていたチラシから、一枚選んで抜き取った。
「お父さんもね、最近ちょっと運動不足だなーとは思っていたんだ。それに久々にお母さんの歌も聞きたいし、翔真はゲームが好きだろう?」
おれと母さんは、チラシを覗き込んだ。
ボウリング! テニス! バスケット!
ダーツ! ビリヤード! カラオケ! ゲームセンター!
すべてが揃ったワンダーランド、『ドリームドーム』OPEN!
ショッピングもしたい……そんなあなたは隣のアウトレットへGO☆
*
出来たばかり、それも夏休み中のアミューズメント施設となると混んでいるのかと思ったけれど、お盆前の平日であることが幸いして、想像よりはすいていた。
暗い室内で白く浮かび上がっているUFOキャッチャー、ずらずら並ぶドリンクバー、各アミューズメントの待ち時間を示す電子掲示板。
人が通るたびに「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」とあいさつしているロボットまでいる。
「っはあー、なんか近未来って感じがするわ」
入場料を支払った後、専用のリストバンドを装着した母さんがそんなことを言った。
いくらなんでも発言がババくさすぎる。おれはそっと母さんから距離を置き、父さんのほうに寄った。
「これは……三日後くらいに筋肉痛になりそうだね……」
いくらなんでも発言がジジくさすぎる。おれは両親から距離を置いた。
午前中にテニスとボウリングをして、午後からカラオケに行った。
ちなみに、高校時代テニス部の部長だったと豪語していた母さんはやっぱりテニスがうまくて、なのにボウリングはからっきしだった。父さんはその真逆で、テニスでしょっちゅう空振りしていたのに、ボウリングとなると人が変わったみたいにストライクを取り続けた。
いつも思うけどうちの両親は、いろんなことが真逆のように見える。
『どいつもこいつもふざけんじゃねえー! イライラすんだよー!』
さっきからヘドバンしながらヘビメタを歌っているのは母さんだ。信じられないくらいの暴言が並んでいる。給食の時間にこれを流したら間違いなくPTAから苦情が殺到するだろう。
ストローでコーラを吸いつつ、ちらりと真横の父さんを見た。……お腹を抱えて笑っている。朝、「久しぶりにお母さんの歌が聞きたい」とか言ってたけど、それがこの曲だったらしい。二人にとって、何か思い出の曲なのか?
『二度と俺の目の前に現れるんじゃねえー!!』
もっと他に、それっぽい恋愛ソングはなかったのだろうか。
「はあー、疲れたー。次お父さんだよ、曲入れた?」
「うん」
さっきまで笑い転げていたお父さんはすっくと立ちあがり、両手でマイクを握りしめた。
だだだだだ、とピアノの音が聞こえてくる。なんの曲かと、おれはテレビ画面を見た。
【魔王】
――なんだそれ。
父さんはマイクから顔をそらし、おほんとひとつ咳ばらいをして歌い始める。
『かぜーの夜にー、うまーを駆りぃー……駆けーりゆーく、ものーありー』
タイトルからして父さんまでヘビメタを歌うのかと思ったら、全体的にやたらと渋い。歌詞も渋いしメロディも渋い。それに伴奏はピアノだけだ。
父さんがいつになく低い声で熱唱しているものだから、おれも真剣に聞いていた。
すると突然、
『おとーさんっ、そこーにー見えーないのー。魔王ーが居ーる、怖いよぉー』
変な裏声を使うものだから噴き出した。
正面にいる母さんを見る。……お腹を抱えて笑っている。うちの両親はいろんなことが真逆なのに、たまにそっくりな動きをするから面白い。
父さんの【魔王】は、何回か声を変えつつ進み続けた。最後まで聞き終わったら『お父さんお父さん』というフレーズが呪いのごとく頭に残り続ける歌だった。
「翔真。次の曲、入れたかい?」
マイク越しに父さんに言われて、おれはハッとした。気づけば父さんの曲ばかり聞いていて、自分が次に歌うことをすっかり忘れていた。
「んー。おれ、トイレ行きたいから一回パス。母さん歌ってて」
おれは部屋から出ると、トイレに向かった。カラオケ施設の隣にはゲームセンターがあり、ガラス張りになっているから中の様子がよく見える。手前のUFOキャッチャーの景品を何の気なしに確認したおれは、思わず「あっ」と声を出した。
夢の中で小春が相棒にしていたチビリューのぬいぐるみだ。それも、結構大きい。
昨日の夢を思い出す。父さんにもらった飴を夢の中に持ち込めて、小春にそれをあげた。
もしも夢の中にあのぬいぐるみも持ち込むことができたら……と考えると勝手に喉が鳴った。
――夢の中とはいえ、プレゼントしたら小春、喜ぶかな。
おれはトイレまでの短い廊下を小走りし、急いで用を足した。小春に嫌がられたら元も子もないので、せっけんを使って念入りに手を洗う。乾かす時間ももどかしく、中途半端に濡れたままの手で財布を探した。
……三百円しかない。
「うわ、取れるかなー」
おれは急いでゲームセンターに向かった
チビリューのぬいぐるみは人気商品なのか、景品になっているひとつだけだった。その奥にはおれの相棒であるカリューが何匹も並んでいる。できればカリューも欲しいけれど、どう考えても三百円でふたつ取るのは至難の業だ。
チビリューさえ取れればいい。おれは百円玉を、まずは一枚突っ込んだ。
一分の間なら何度でもクレーンを動かしていいタイプのUFOキャッチャーだったので、何度も何度も微調整を繰り返す。
チビリューは頭が大きく胴体が小さいので、つかむとしたら頭だ。
――……ここ!
時間ギリギリまでクレーンを動かし、降下ボタンを押す。ひゅるるる、という電子音とともにクレーンは落ちた。狙った通り、チビリューの頭の位置に。
けれど、上まで持ち上げたと思った瞬間、チビリューはぼとりと下に落ちた。バウンドして、景品を落とす穴から若干遠ざかる。
「うぐっ」
変な声が出てしまった。もう一枚、百円玉をいれる。
けれど結果は同じだった。いや、悪化した。チビリューが穴から更に遠ざかった。
「……くっそー」
百円玉は残り一枚しかない。投入する前に、おれは何度も何度もチビリューの位置を確認した。掴んで持ち上げるまではうまくいくのに、そこから穴に持っていくのが難しすぎる。
――落ち着け、翔真。
自分に言い聞かす。こういう時は焦ったり慌てたりしてはいけない。とにかく落ち着いて、小春の笑顔を思い出せ。
このぬいぐるみをあげたら絶対、小春は喜ぶぞ。
「よしっ」
最後の一枚となった百円玉を投入して、時間ギリギリまでクレーンの微調整を繰り返す。残り一秒のところで降下ボタンを押した。あとは祈るしかできない。
――頼む、頼む、このぬいぐるみを渡したい人がいるんだ、頼むよ。
クレーンはチビリューの頭をしっかりと掴むと、上まで持ち上げ
「!」
ぼとり、と無慈悲な音を立て、元の位置に落としてしまった。
「……くぅー」
子犬みたいな声が漏れた。三百円使ったことより、チビリューが取れなかったことの方がはるかに悔しかった。
くっそ、せっかく小春にプレゼントできると思ったのに。
落下時にバウンドしたせいで、より一層掴みにくい方向を向いてしまったチビリューを、おれは悲しい気持ちで眺めた。
その時、
「それが欲しいのかい」
背後から父さんの声が聞こえた。
驚いて振り返る。父さんは上半身を屈めて、まじまじとチビリューのぬいぐるみを見ていた。
「父さん、なんで」
「翔真の帰りが遅いから、トイレまで見にいったんだよ。そうしたらトイレじゃなくて、こっちにいたから」
「…………」
「お父さんの【魔王】、聞くに堪えなかったかな」
あまりにも不安げな声に、おれは笑った。
「違うよ。トイレに行きたかったのは本当なんだ。それで、トイレに行く途中でこれを見つけて」
「ふうむ。……『ドラゴントレーナー』か。翔真が最近ハマっているゲームだね」
父さんはそう言うと、千円札を一枚おれにくれた。おれは目を見開く。
「いいの?」
「お母さんには内緒だけどね。もしもこの一枚で取れたら、翔真のお小遣いで取れたということにしよう。……お父さんが隣にいたら緊張するかな?」
「うーん……。緊張はしないけど、一人の方が集中できるような……」
「よし。それじゃお父さんは、もうしばらくお母さんとカラオケデートしておくよ。頑張っておいで」
父さんはそう言うと、ひらひらと手を振りゲームセンターから出ていった。
「……ありがと、父さん」
おれは両替機に走り、百円玉十枚と交換した後、店員のお姉さんにお願いしてチビリューを初期位置に戻してもらった。
――今度こそ絶対に取る!
おれはゆっくりと息を吐き、百円玉を五枚投入した。
*
ベッドに載せたチビリューを前に、おれは腕を組んでいた。
「そういえばこれ、どうやって夢の中に持って行ったらいいんだ……?」
ポケットの中に手を突っ込む。右には『ゆめきっぷ』を、左にはスーパーで母さんに買ってもらった飴玉をたくさん入れている。チビリューを入れる余地はない。というか、こんな大きさのぬいぐるみ、まずポケットに入らない。
――とはいえ昨日も飴玉を夢の中に持って行けたんだ、チビリューもどうにかなるはず。
おれはしばらく考えたのち、洗面所で手を二回洗った。
そして、抱き枕みたいにチビリューを両腕に抱き、眠りについた。




