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第三十二話 ありえないネタばらし

幸運なことに今月は携帯の復活が早かったです♪

 最初、やっぱり嫌になって泣いているのかと思った。

 けれど、口から小さく漏れる言葉を拾うとそうではない気がして。

「夕夜…」

 名前を呼んで、頭を撫でた。夕夜が小さく、蚊の鳴くような声で何事かを告げる。

「…穂高、あたし行きたくない…」

「―――」

「今、こんなに幸せなのに。穂高とのこんな時間が全部思い出になっちゃうのかと思うと、辛くて仕方ない」

 思い出とは、すなわち過去のことを指す。

 穂高が過去のひとになる?そんなの、ありえない―――。

 生まれてから今まで、ずっと一緒だった。ケンカもしてきたけれど、どうせ本気で縁が切れることはないって。…距離ができるはずはないって、そう信じてた。

 だけど明日から、自分たちはその距離に苦しめられることになる。耐えられるはずがない―――。

「思い出にしたくない…思い出になんか、したくないよ。穂高とあたしは、いつだって隣を歩くはずなんだからっ…」

 結局あたしは―――泣いて彼を困らせた。

 手のひらで顔を覆いながら、夕夜は自己嫌悪した。

 あぁほら…穂高が苦い顔してる。あたしはどこまで、自分勝手な女なんだろう―――。

「過去になんかさせないから」

「え…?」

「だから、夕夜。やっぱり最後までできない」

 夕夜は顔を上げる。

「…どういうこと?」

「だって、最後までするとその先がないだろ。ここからは、おまえがこっちに戻ってきたときに取っとく」

 そう言うと穂高は、夕夜の乱れた服を直してやって、自分もベッドから降りて、最後に夕夜も降ろして立たせた。

「穂高…?」

「そうすると、過去のひとにならないだろ。事実上、俺たちの関係は『現在進行形』だ」

「そ、そっか…うん」

「言っとくけど、それ目的じゃないから?あくまでも形づけるため」

 穂高は、少しだけ恥ずかしそうに、ぶっきらぼうにそう告げた。

「…そっか。あはは、うん。頑張るよ」

「…俺も、ばかだったよ」

「?」

「夕夜に子どもらしく泣いとけって言っといて―――自分は子どもらしく悪あがきさえしてないんだから」

 にっと笑った穂高を見て、夕夜は何をするんだろうと思った。

 彼がこういう顔をするときはいつも―――何か行動を起こす前なのだ。

「いくぞ、夕夜」

 穂高が夕夜の手を取り玄関に向かう。

「ど、どこへ」

「決まってるだろ。―――絵里さんのところ」

「!!」

 夕夜は目を見開いた。

「とりあえず、制服のスカート履いてこい。それから行くぞ」

「わ、分かった」




 三十秒と経たないうちに、二人は絵里がいる居間へと足を踏み入れていた。

「あら、夕夜に穂高くん」

 彼女は別段驚くでもなく、視線を二人に向ける。

「どうしたの?」

「絵里さん…やっぱり俺、こいつロスになんか行かせたくありません」

「…え?」

 いきなりの穂高の宣言に絵里は目を丸くする。

「…無理を承知で言ってるのは分かってるんです。でも、それでも俺は離れたくないから」

 穂高は拳を握りしめて、それでも絵里から視線を逸らすことなくそう言い切った。

「穂高くん…」

「夕夜の引っ越し、取り止めにして下さい。お願いします」

「いいわよ?」

『―――はっ?』

 …ハモッた。

「やめればいいのよね。やっと言ってくれたわー。そう言われるのずっと待ってたのよー。この嘘つくのも最近飽き…ゴホン、疲れてたのよねぇ」

 飄々と絵里が言う。

『……………う、うそ?』

「そう。嘘。あー、やっとネタばらしできる。あんたたち、ちょっとあたしの部屋見てらっしゃい?」

 事態は飲み込めないが、言われるままに二人は絵里の部屋へ向かった。

 扉を開ける。

「…なにこれ…お母さん、全然荷造りしてないじゃない!」

 すると、どうだ。

 絵里の部屋は、明日引っ越しだというのに以前のまま、全く何も変わっていなかったのだ。

 鏡台に並べられた数々の化粧品も、本棚に乱雑に置かれた沢山の雑誌も、床に脱ぎ散らかされた大量の服も。

 以前と、なにも変わらない。

「じゃあやっぱり…初めから引っ越しする気なんてなかったってこと?」

「あったりー」

「うわぁ!」

 いつの間にか、二人の後ろに絵里は立っていた。

「どーゆーことよ!?」

 夕夜は絵里に詰め寄る。きちんと説明しろと、言外に告げた。

「だから…そーゆーことよ。ネタばらしはリビングでしましょうか」

 スキップで移動する彼女に対して、二人はまだまだついていかない頭のままゆっくり歩く。

 ソファーに座った絵里が、向かいに座るように指示を出したから、夕夜と穂高もソファーに座った。

「まず、そうね。引っ越しのことだけど…それ自体が真っ赤な嘘なの。ロスに行く予定なんて、これっぽっちもないわ」

「はぁ!?」

「まあまあ、夕夜落ち着いて」

 落ち着いて?―――これが落ち着いていられるか!

「だってお父さんの話は!!すっかり信じてる栄理やクラスメートへの対処は!!担任だってあたしがいなくなると信じて疑ってなかったわよ!?」

「お父さんの話も私のねつ造。あの人ノータッチだもの。まぁ、栄理ちゃんやクラスメートへは、『行かなくてよくなった』って言えばいいわ。あと…、担任の先生には、私がもう電話で説明済み。どう?平気でしょ」

 さも当然とばかりに彼女はにっこりと笑う。

 夕夜は目眩を覚えた。

 じゃあ、あたしたちの苦労は?

 あの涙を返してよ!

「意味分かんないよ!!―――なんのためにそんな嘘ついたの!?」

「えぇ〜」

 絵里は眉尻を下げて意味不明な声を出す。

 まるで―――言わなきゃだめ?と訴えるように。

「絵里さん…できれば俺も理由知りたいんですけど」

 今まで黙っていた穂高が、遠慮がちに口をはさんだ。

「んん〜そうねぇ〜……言っても怒らない?」

 絵里がちらっと夕夜に視線を向ける。

「事と次第によっては」

「夕夜こわぁーい」

「いいから!早く!」

 絵里が潮時ね、とかなんとかひとりごちて、その理由を明かした。

「…くっついて欲しかったから?」

「―――は?」

 くっついて欲しかったから?―――何と何に。―――誰と誰が。

 …いや、そんなの聞かなくてもすでに分かっている。

「俺と…夕夜にですか」

 穂高が呆れたように、―――実際、呆れているのだろう―――ため息と共に尋ねた。

「まぁ、それしかないわよね。だって、そうでもしないとあんたたち一生そのままでいそうで心配になったんだもの」

「…だからってロサンゼルスはひどいんじゃないんですか?…規模が大きすぎる」

「だって隣町とかよりも断然信憑性あるじゃない。事実お父さんが単身赴任してるしー、行くならそこかなって思ったのよ」

「そりゃそうですけど…夕夜?」

 ふと、彼女が会話に入ってこないことに違和感を覚え、隣に座る夕夜の顔を見つめる。

 彼女は、作った握りこぶしを膝の上に置いて、ふるふると震えていた。

 あ、やばい。また泣く?

 …と、穂高が思ったのも束の間。瞬間、いきなりソファーからすごい勢いで立ち上がると、

「ありえないッッ!!」

 と絶叫して、夕夜は自分の部屋に駆け込んでいったのだった。

「…………怒っちゃったわね」

「…あぁまぁ…そうなるでしょうね」

 穂高は夕夜が消えた方角を見つめ、嘆息した。

「でもあれ…それだけじゃないと思いますけどね」

「…どういうこと?」

 聞いた絵里の言葉に対して、穂高はふっと笑った。その笑顔は、何かイタズラをしかけて 、でも何をしたかは教えない。―――そんな笑顔だった。

「すみません。…ちょっと、言えないです。それから、俺はロス行きが嘘で良かったと心底思ってますよ?」

 言いながら、もう夕夜の部屋へ歩きだしていて、絵里はひとりリビングに残されていた。

「…皆大人になっていくのねぇ」

 何があったのかは知る由もないが、絵里はなんとなくそう感じて、思ったことそのままを口に出しているのだった。




 一方、夕夜の部屋。

「ありえない、ありえない、ありえない、ありえない、ありえない…」

 夕夜はただ一つ、荷造りされずに残されていたベッドに潜り込むと、掛け布団を頭からかぶってぶつぶつと繰り返していた。

「ありえない、ありえない、ありえない…!」

「何がそんなにありえないんだよ?」

「うわぁぁあああぁ」

 一人の世界に入っていたはずが、いきなり目の前に穂高の顔があらわれて、夕夜は奇声を発していた。

 どうやら、部屋に入ってきて布団もめくっていたらしい。そんなことに気づく余裕さえなかった。

「すっかり部屋片付けちゃってるな。…夕夜、大丈夫か?」

 穂高が、夕夜の目を覗き込むように首をかしげていた。

「…………………」

 でも、恥ずかしくて彼の顔が見られない。だってだって、この行動の理由は―――。

「あんまり絵里さんに怒りすぎるなよ?」

「―――っ」

「…聞いてる?」

「違うよっ」

 とっさに、布団をはねのけてベッドの上に立っていた。

 あたしが言いたいのは、そんなことじゃない。

 穂高が、分かりにくいけどびっくりした顔をしている。

「あたしが怒ってるの、お母さんにじゃない!そりゃあちょっとひどいとは思ってるけど、嘘で良かったって…そう、思ってるもん!ただあたしは…」

 そこまで一息でまくしたてると、それまでの勢いが嘘かのように、夕夜はベッドに静かに座り込んだ。

「あたしは―――」

「そうだよな。俺はむしろ感謝してるよ、絵里さんに。だって…」

 ベッドの上に座る夕夜と、床に座ってベッドに頬杖をつく穂高。

 普段とは目線が逆の状況に、知らずに胸がドクンとひとつ脈打った。

「そうじゃなきゃ、夕夜に迫ってもらうなんてこと、ありえなかったもんな?」

 穂高はにやっと笑って「だろ?」と言った。

「―――っ!」

 かあぁ、っと首まで赤くなるのが分かる。

 あぁもう…こいつには全部お見通しだ。

 ―――そうなのだ。夕夜は、恥ずかしかった。それとともに、つい一時間前の自分の行動を激しく後悔していたのだ。

 絵里の嘘に乗せられて、まんまと誘いを申し出た自分。ほんとに、ありえないくらい浅はかで、恥ずかしい。

 あの時出した勇気とか、近くで感じた穂高の体温とか。

 そういうものがしっかりと頭にこびりついて離れないし、その瞬間が、嘘に煽られて生まれたことなのだと思うと、恥ずかしいやら悲しいやら情けないやらで、どうにも収まりがつかないのであった。

「そんな泣きそうな顔するなよ。俺は夕夜があぁ言ってくれて嬉しかったし」

「…………ほんと?」

「あぁ」

「あたしのこと、痴女だって思ってんじゃないでしょうね」

「ぶっ。思ってないから」

「…じゃあ、いいや。あたしも、変わらずここに居られることが嬉しいのは、事実だし」

「そうだな」

 そうして二人は、笑った。

 ―――数週間まえ、突然引っ越し宣告されて。それを隠して穂高と喧嘩して。穂高のイタズラで、彼のことを『男』なんだと認識して、意識して。仲直りしたと思ったら今度は変な転校生に色々絡まれて。でも、そのおかげで自分の気持ちに気づいて、そうして、幼なじみから恋人同士になった。

 それからの数日間は怒涛のような日々だったけれど、周囲の人たちの暖かさに触れることができた。

 穂高との距離も、近づいた。

 振り返れば、そんなに悪いことばかりじゃなかったかな、と夕夜は思う。

 時刻は十時を廻っていて、四角く切り取られた窓に、絵画のように美しく満月がかかっていた。

 穂高はひとり、あの時と同じだと、くすっと笑う。

「何?」

「いや、なんでも?」

 そうして、きょとんとしている夕夜の肩を引き寄せて、静かに唇を重ね合わせた。

「また、ふいうち…」

 何も答えず、穂高はただ笑う。以前、満月の下で初めて夕夜にキスをした夜。今夜の月がそれを彷彿とさせて、こんな行動を起こしてしてまったのだ。でもそれは、自分だけの秘密。

 ゆるやかな空気が流れる中で、夕夜が「あ、そうだ」と声を出す。

「ん?」

「穂高、頼みがあるんだけど」

「……なに」

「明日、荷ほどき手伝って」

「…………………」

 5秒間は沈黙が流れた。


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