029 出発前の語らい
あの事件が起きてから、二週間が過ぎた。
パーティーと結婚式の準備は、殆ど終わり後はセレスティーヌがいなくても大丈夫な所まできた。
この辺で、一度リディー王国に帰ろうかと子供達に話をした。
あの事件でセレスティーヌは、自分の気持ちを自覚した。エディーに迫られて、絶対に嫌だと思った。
助けてと頭の中に思い浮かんだのは、エヴァルドの顔だった。
今までずっと、恋なんて知らなかった。好きと言う気持ちが、どんなものなのかわからなかった。
この家で改めて生活してみて、気づいた事がある。きっと、セレスティーヌには心の余裕なんて、これっぽっちもなかったのだ。
エディーに放った厳しい言葉は、セレスティーヌの抱えていた想いそのものだった。
一緒に生きていくのなら、エディーなんかじゃなくてエヴァルドがいいと思った。
セレスティーヌが一緒にいて、幸せにしたいと思えるのもエヴァルドだった。この気持ちを自覚した今、エヴァルドに会いたくてしょうがなかった。
あの少し寂し気に笑う顔を、屈託なく笑う顔に変えてあげたい。
そう思ったら、居ても立っても居られなくなった。準備を急かして、予定よりも早く終わらせた。
エディーは、セレスティーヌにひっぱたかれたのが余程効いたのか、次の日に皆の前に顔を出すことなく別宅へと帰っていった。
レーヴィーの話だと、エディーなりにアナと向き合って話し合いを続けているらしい。その度に平行線で、言葉の通じないアナに頭を抱えているみたいだが……。
今まで楽な事しかしてこなかったのだから、いい経験だとレーヴィーは静観している。
ミカエルとも一度話した方がいい気がした。だけど、子供達に言われてしまう。セレスティーヌと、結婚したいと言う考えが変わらない内は何を話しても無駄だと。
そしてやっと全ての用事を終えたセレスティーヌは、またあの駅に佇んでいた。
前回と同じ様に一人で佇んでいると、なんて月日の経つのは早いのだろうと感慨に耽る。
今日の空も、澄み渡っていてとても気持ちがいい。
リディー王国を出てから一カ月弱。何も変わらずに自分を受け入れてくれるだろうかと不安が過ぎる。
エヴァルドには、手紙を書いて今日帰る事を知らせている。返事も貰っていて、迎えの馬車を駅に手配するから使って下さいと記されていた。
出来れば迎えに行きたいが、生憎王宮に行く日でそれが叶わず申し訳ないと。
今日、やっと会えると思うと胸の高鳴りを感じる。ドキドキしていて、気持ちが逸る。人を好きになると、色々な感情が湧いてくるのだと知る。カバンから懐中時計を出して、時間を確認する。
あと十分程で汽車が到着する。もうすぐだなと、汽車が走って来る方向に視線を向けた。
すると、改札の方から誰かが叫んでいるのが聞こえた。
「……セ……レス……ティ……ヌ」
自分の名前を呼んでいる様な気がして、セレスティーヌは声のする方に目をやった。
すると、目に飛び込んで来たのはミカエルだった。
「ミカエル……」
セレスティーヌが、ポツリと名前を言葉に出した。一瞬、迷ってしまう。このまま、どこかに紛れて会わずに行ってしまおうかと……。
それでも、セレスティーヌは、やはり会ってからリディー王国に行こうと決める。
「ミカエル!」
セレスティーヌが、ミカエルに向かって叫ぶ。ミカエルが、すぐに気が付きセレスティーヌの元に駆けよって来た。
「セレスティーヌ! 会えて良かった」
ミカエルが、はぁはぁと息を切らせている。
「どうしたの? お兄様達に教えて貰ったの?」
セレスティーヌが訊ねると、ミカエルが首をふるふると振っている。誰かにこっそり教えて貰ったのね。
「全く。お兄様達に知られたら、また怒られるわよ」
セレスティーヌが呆れながらも、一生懸命走って来たミカエルが何だか可愛い。仕方ないなと思いながら、ハンカチで汗を拭ってあげた。
「どうしても、もう一度会って話がしたくて……」
ミカエルが、この前とは違って大分落ち込んだ面持ちで答える。
「良いわよ。汽車が来るまでの間だけよ」
セレスティーヌが、笑顔で返答した。
「セレスティーヌ……。ごめんなさい。僕の行動がセレスティーヌから見て、どう思うかなんて考えた事なかったんだ……。セレスティーヌに認めて貰いたくて、その事に必死で子供だったんだと思う」
ミカエルが、泣きそうな表情で言葉を絞り出している。
素直に謝れる、この子の長所は変わらない。三兄弟でいたずらして遊んでいるのを叱った時に、真っ先に謝りに来るのがミカエルだった事を思い出す。
「そう……。でもやっぱり、お母様とは呼んでくれないのね……」
セレスティーヌが、ちょっとだけ寂しそうに聞く。
「それは……。僕は、本当にセレスティーヌが好きなんだ。本当の母親じゃないって教えてくれた七歳の時に、母親じゃなくて僕の好きな女性だと思える事が嬉しかったんだ。だから、それはごめんなさい……」
セレスティーヌが、ミカエルの手を取る。
「ミカエル、私ね、幼い頃に天使みたいな笑顔で、お母様大好きって言ってくれる貴方が大好きだったわ。ミカエル、私じゃなくて誰か一人を大切に愛してあげて。お母様ね、好きな人ができたの。だからごめんね」
ミカエルが、驚いた表情で目を見開いている。
セレスティーヌが、ミカエルの手を離す。そして、手招きしてミカエルにしゃがんで貰うように促す。
遠くから、汽車のシュッシュという音が近づいて来ているのが聞こえる。
ミカエルが、訳も分からずしゃがんでくれた。
「さようなら。会えて良かった」
セレスティーヌが、ミカエルの頭にチュッと優しくキスを落とす。幼いミカエルが、謝る度にしていたように――――。
セレスティーヌが、足元に置いていたボストンバックに手を伸ばす。
そして、ホームに入って来た汽車に乗り込む。後ろを振り向かずに、予約してある個室に向かった。
ミカエルは、一人ただ茫然とホームに佇んでいた。
ミカエルも心のどこかでわかっていた。こんなやり方じゃ駄目なのだと。でも、どうしたらいいかわからなかったのだ。
ポッポーと言う汽笛と共に、ゆっくり汽車が走り出す。
青い澄んだ空に、汽車の白い煙が飛んでいく。シュッシュと音を立てながら、段々と速さを増した汽車がミカエルの目の前を通り過ぎて行った。
汽車を見送りながらミカエルは思う。振られたのだと。大好きなセレスティーヌが、ミカエルの告白に向き合ってそしてきちんと振ってくれた。
汽車が見えなくなって、煙だけ残ったホーム。寂しくてやるせなくて、涙が零れて仕方なかった。






