007 精神世界
「痛い痛い!」
耳が千切れそうな勢いで耳を引っ張られて、外に放り出された。
「俺ずっと頭下げてたぞ」
余りの理不尽さにチョロチョロと涙が出てくる俺。今日1日だけで、とんでも無い体験をしたのに、その上、彼女に駆逐されれば、肉体的に精神的にも辛すぎる。
「メソメソ泣かずに立ちなさい」
俺はハンカチで涙を拭いて、しぶしぶ立ち上がった。目の前にいる例の猫が俺達をまざまざと見詰めている。
「あの猫と契約して」
「はぁ!?」
いきなり契約しろと言われても何が何やら解らず、状況が読み込めない。
「つ・か・い・ま・契・約してって言ってるのよ。私は」
少し色気のある声を出す彼女。
「使い魔契約だって? 俺が、あの猫とかよ」
お世辞にもカッコいいとは言えず、不細工で丸太のように太った灰色の猫。契約した使い魔にはアタリハズレがあり、俺が見る限りでは、アイツはハズレの使い魔だろう。
「俺はさ、もっとこう……ドラゴンとか不死鳥とか強くてカッコいい恢飢と契約して、女の子にチヤホヤされる予定なんだぞ!」
「そんな夢物語あるわけないんだから、早く契約しなさいよ」
さっきまで自分の獲物だと連呼していた彼女が、俺に獲物を譲るというのは何か裏があるのではなかろうか。
「そこまで言うならお前が契約すれば?」
「あのね、私はもうリリーヤって子と使い魔契約してるの。恢飢とは二体以上契約出来ないって、小学生で習わなかったかしら」
土管の中で言った言葉を見事に返されてムカつきを覚える俺。
「だからって、俺が奴と契約する意味はないだろう」
「喋る猫型の恢飢よ。契約したらきっとモテモテになるわ」
「モテモテ!?」
あらぬ思いが脳内で拡散する。確かに喋る猫がいれば、これを口実にして女の子と喋るチャンスが増えるかもしれない。
「まぁ、そう言う事なら契約してやってもいいぞ」
俺は悩みに悩みぬいて即決すると、彼女が口角を上げてニヤりと笑った。
「決まりね」
ドンッという音と共に猫が一瞬にして消えた。
「おい、あいつどこに……」
一歩踏み出すと、金属を踏んだような音がしたので、下を確認した。すると、地面に巨大な白い扉が出現していた。
「うわっ」
思わず尻餅をつく俺。両手で扉を触った感触はまさに鉄そのものだ。
「山巓明澄門。それは精神と精神を繋ぐ扉」
再び、ドンッという音がして、扉が開いた。俺は空中でクロールして何かを掴もうと必死になったが、無論空中なので掴む物など皆無だ。
「お二人様、奈落の底にご案な~い」
俺は底の底へと堕ちていき、まもなく彼女の不適な笑みが、見えなくなっていった。
◇◇◇◇◇◇
目が覚めると、そこは異世界だった。空は赤く染まり、カラスに似た黒い鳥が飛び交っていた。三日月も何故か横を向いて輝いている。
(ここは地獄か?)
さらに眼前には城へと続く階段が広がっている。こいつはあからさまに怪しいが、ここで嘆いても仕方ないと感じたので、意を決して階段を登って行った。
無限に続く階段かと思っていたが、割りと簡単に城へたどり着いた。目の前には赤と白に塗られた城と城の門がそびえ立つ。
恐る恐る門を開けると、そこには玉座に頬をついて座っている1人の青年がいた。歳は20代後半に見え、褐色の肌に少し細身の体。それにいかにも貴族っぽい、きらびやかな宝石と服を身につけていた。
「あんた誰だ?」
俺がそう聞いたら、青年は立ち上がって答えた。
「吾輩は吾輩だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
青年が軽やかな足取りでゆっくりと近づいて来た。
「さっきの猫か。それにしてもここは一体?」
青年は両手を開いた。
「精神世界だよ、誰もが持っている心の部屋。そこには、明確な自分は存在しない。いつも虚構の自分が偽りを装い、逃避する場所であーる」
「お前……何言ってるんだ?」
「いずれ解るさ」
そう言って、俺は頭を触られたので、首を横に動かして振りほどいた。
「俺はアンタと契約しに来た」
驚いた様子で目を見開く青年はやはりどこか猫っぽい仕草を挟んでくる。
「ほぉ! 吾輩と契約か。では、貴公の願いを聞かせてもらうとしよう」
「願い?」
「そうだ願いだ。互いの願いを提示して、論議の上で合意すれば、それで契約完了となる」
予想外の展開に戸惑いを隠せないでいたが、俺の願いは1つだけなので答えは直ぐに出た。それは、考え過ぎると不安になり、眠れなくなってしまう頭痛のタネ。
「俺は……家族、毎日会える家族が欲しい。親は二人共、魔法界の軍で働いていて、1年に3回しか会えないんだ」
「家族か、それは御安いご用だ」
――もしかして念願の妹や姉を貰えるかも。そう思ったら、心がワクワクしてきた!
「では、次に吾輩の願いだな」
青年は顎に手を当てて、しばらく考え込んだ。
「俺が叶えられる範囲内なら何でも構わないぜ!」
「……猫缶」
「はい?」
予想外の答えに反射的に聞き返した。
「猫缶3つを毎日食べさせてくれるなら、契約してやってもいいぞ」
「それぐらいなら全然大丈夫だぜ」
「契約成立だな。それと、猫缶はカツオ味にしてくれたまえよ」
俺達は笑顔で握手を交わした。その瞬間に精神世界が光輝いて、元の世界へと帰還した。




