074 エンターキー
少女は絶望の淵に立たされていた。この世の不条理さ、危機感を感じられない大人達を拒絶するかの様に、少女は家を飛び出した。
「私は道化。世界が生んだ罪人の本質」
空を飛んで愉悦に浸る少女は、月から舞い降りた兎に似ていた。少なくとも、地獄から這い出た鬼達は口を揃えて、そう言うだろう。
「楽しいな」
社会という名の鎖から放たれた少女は自由の翼を手に入れて、満面の笑みで空を飛ぶ。自分の住処を一度も振り返る事も無く……。
二日前だ。威吹の元に一人の少女が現れた。
少女はピエロの格好をしていて、とても奇妙な身形だったが、威吹はとても喜んだ様子で少女を屋敷に招き入れた。
「ようこそ。待っていたよ」
威吹は少女と共に客室へ入って行った。すると、少女は下を向いて、小さな声で何かを呟いている。
「私の事……ずっと考えていてくれた?」
「勿論さ。僕には君が必要だからね」
「ありがとう! いぶきーッ!」
少女は急に声を大きくして、威吹の身体に抱きついたのだ。威吹は困った表情を見せながら、少女の髪の毛を優しく撫でた。
「ルリ。おかえり」
ルリバカス・オカーニャ。それが少女の名前だった。威吹はルリバカスの頭文字を取って、ルリと呼んでいた。
「ただいまーん!」
ルリは威吹の「おかえり」に笑顔で答える。
そして、威吹の腹に顔を埋めて、バタバタと手足を動かした。
「ずっと会いたかったよぉ」
「僕もだ」
威吹は、ひとまずルリを座蒲団の上に置いた。
「そこで待っていて。お茶を淹れるから」
「うん!」
上機嫌な表情で答えたルリは、威吹がお茶を淹れている間に暇をもて余していた。
「なにしようかな……あ、そうだ」
良い事を閃いたかの様に、ルリは鞄の中から何かを取り出した。
「ジャジャーン!」
ルリは誰も居ない場所に向かって兎のぬいぐるみを見せつけた。
「な、なにしてるの?」
お茶を持って来た威吹も、これには苦笑いするしかなかった。
「兎ちゃんだよ。ルリのただ一人の家族」
「へー。そうなんだ」
威吹は兎のぬいぐるみを触ろうと身体を前に出したが、ルリはぬいぐるみを隠す様に、脇の下に挟んでしまった。
「触らせないヨーン」
「え、僕にも触らせてくれないの?」
「ダメダメダメ。兎ちゃんは私だけの家族なんだから」
ぬいぐるみを持ち上げて、突然踊り始めたルリ。
「楽しそうだね」
「アハハ」
「仕事辛かったの?」
威吹の一言で踊りを止めたルリは再び座蒲団の上に座った。そして、小さな口を開けた。
「うん、辛かった」
「いくら君が天才だからって、未成年の子供を働かせる大人は……汚いよね」
「だからね。辞めちゃったの!」




