073 ケントニスの始動
屋敷の居間で、威吹は白湯を飲んでいた。
「落ち着く」
囲炉裏の火に照らされながら飲む白湯は格別だと威吹は思った。
「坊っちゃま」
執事の地門寺が、屋敷の居間に空間転移してきた。
「どうしたの血相な顔をして」
「香久弥様が……敵の手に落ちました」
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「香久弥は僕の計画に不信感を抱いていたからね。寝返ったとしても、不思議じゃないよ」
「しかし、香久弥様が寝返ったとなると、屋敷の構造を知られる事になりますぞ」
地門寺が額から汗を流している。
「屋敷には一歩も踏ませないさ」
「その自信は何処から?」
「合成恢飢を送り込む」
「合成恢飢?」
地門寺が訳が分からないといった様子で訊ねた。
「ハプスブルグ研究所の事件があっただろう」
「はい。研究所の所長が実験段階の恢飢を盗み出して、今も行方が知れないという」
「その所長と取引をしたよ」
「なんですと!?」
地門寺は仰天の顔をした。
「驚いている様だね」
「何故そんな事を」
「計画の成功確率を上げるためさ。そして、邪魔者は全て彼らに倒してもらうから」
「して、合成恢飢は今何処におられるのじゃ?」
「隠れ家にいるよ」
「例の腐工場ですか」
「そうだ」
腐工場とは、威吹とラストラッシュが今後の計画について密談した場所だ。
「何体と契約したので?」
「三体だ」
「多いですね」
地門寺の想像以上だった。
「まだ実験段階だからね。状態が不安定だし、オマケしてもらったんだよ」
「左様ですか」
「彼らに捻り潰してもらおう」
「そうされますか」
「一片残らずね」
威吹の大きな目が少し細くなった。
「香久弥様はどうなされますか?」
「僕の元に戻って来るか、敵と心中するか……どちらにしても、選択肢は与えてあげるつもりだよ」
威吹は音を立てて白湯を飲み干した。
「了解致しました」
地門寺はそう言って納得した。
「とにかく、じいやの出番は無いよ」
「そうだとよいのですが」
「じいやが暴れたら僕ですら対処に困るからね」
「ホッホッホッ……御冗談を」
そう言いながらも、地門寺の落ちくぼんた目は鋭く光っている。威吹は咄嗟に地門寺が考えている事を悟った。
「あれ? もしかしてさ、昔を思い出してきたんじゃないの」
地門寺は拳を強く握っていた。
「少しですが、儂の中の獣が暴れたいと進言しておりますわい」
「じゃあ、久し振りに決闘する?」
「十年振りにですか」
「そうだね。あの時は完敗だったけど、今なら良い勝負が出来るんじゃないかな」
「それでは、お言葉に甘えて」
「ここは狭いから……トレーニングルームに行こうか?」
「儂は何処でも構いませんぞ」
二人共、決闘は既に始まっているといった表情でお互いを探りあっていた。




