012 拳の応酬・必殺の猫パンチ
右フックが吾輩のたるんだ腹に当たった。シャムゴリラの先制パンチに多少怯みつつも、吾輩も負けじと、シャムゴリラの顔面に拳をお見舞いした。
「×○△□※~♂%!!」
無意識に奇声を上げながら、目にも止まらぬ強烈な猫パンチの応酬が互いの身体に傷を負わせる。
(これぞboxing……血で血を洗う哀愁の儀)
吾輩にはboxingリングが見え、応援するファンの地鳴りが聞こえる。
「シャムゴリラー」
「アッシュー」
鳴り止まない黄色の声に愉悦を覚える吾輩。すると、敵の鋭い眼光が輝くのが見えて、吾輩とシャムゴリラは同時に右腕を前に出した。やがて拳はクロスし、互いの顔面に拳がめり込んだ。
「ぶべら」
吾輩とシャムゴリラは同時に吹っ飛んで、リングの端に叩きつけられた。
「1、2、3、4、5」
レスリーのカウントダウンが聞こえる。立ち上がろうとするも、奴の重い一撃が身体中に伝わって、思うように動けない。
「シャムゴリラ頑張れー」
この掛け声と共にシャムゴリラが先に起き上がってしまった。
「アッシュ頑張れー」
吾輩にも歓声が聞こえ、歓声が力に変わり、信念と勇気が身体の底から沸き上がった。吾輩は最後の力を振り絞って立ち上がる。
再び我々は飛びかかって拳を交わせた。ここまで10ラウンド近く奴の攻撃を受けても、シャムゴリラの拳には憎悪しか感じられない。人間への復讐心だけが奴の老体を動かしているのだろう。
どちらかが膝をついて倒れるまで、この闘いは続くはずだ。一体誰が我々の熱き勝負を止められるというのか。
「うるさあああああああい!」
上空から水が降りかかって、我々はまもなく現実に戻された。驚いて上を見上げると、70過ぎのお婆ちゃんが窓から顔を出して、怒鳴り散らしていた。
「喧嘩は他所でやんな!」
そういうと、お婆ちゃんは窓を力任せに閉めた。
「ふん、とんだ邪魔が入ったな」
シャムゴリラがブルブルと身体を震わせて、身体に染み込んだ水を体外に弾き飛ばした。
「吾輩と貴公の闘いはこれからだ」
「嫌、もう終わりだよ」
「何?」
「俺は何百年も生き永らえてきたのだ。引き際は見極めているさ」
「シャムゴリラ……」
吾輩は地面に跪いて老戦士を賛辞した。
「愚かな」
「!」
跪いたままの姿勢で、身体が膠着した。まるで石の様に固くなって、尻尾1つ動かせない。
「俺の能力は敵の動きを一定時間止める事だ」
「騙したのか?」
「一部だけな。ただ、引き際のくだりは本当さ……だから、貴様の身体をいただくぞ!」
シャムゴリラが魔法を唱えた。昨日と似た雰囲気が、周りの空気を支配する。
【幽愁に穏む一輪の山査子。その花は絶望に塗れし者の救いとなる。
歩みを止めず前を見据えろ。壁を越え、限界の先へと進むべし。
そうさ花は語る。花が地面に咲く所以は、我等を正しき道へと導くために。
さあ、希望の門よ開け。――山巓明澄門】
地面に白い扉が出現し、吾輩とシャムゴリラは精神世界の谷底に堕ちていった。
◇◇◇◇◇◇
精神世界に巣くう闇の軍勢に身体を切り刻まれ、血塗れになったシャムゴリラが落下してくる。
「吾輩の世界に、また招かれざる客が来たのか」
玉座から立ち上がり、シャムゴリラが堕ちた地点へと瞬間移動をした。そして、そこにいたのは、日雇い感とその日暮らし臭がプンプンする人の形をしたシャムゴリラだった。
「ゲホゲホゲホ」
血の川から這い上がったものの、喉に血が入ったらしく声がむせかえっている。
「フルコースのお味は如何だったかな?」
「貴様……何者だ!」
怒り狂って、吾輩の胸ぐらを掴むシャムゴリラ。
「吾輩は吾輩だよ」
「ふざけるなよ、ただの使い魔にこんな精神世界が創れるか?」
シャムゴリラが血まみれの右腕を上げた。
「その汚い手を下げたまえ」
「はぁ?」
「さもなくば、吾輩のペットの餌にしてやるぞ」
この一言が効いたのか、拳を震わせて、へなへなとその場に座り込んでしまった。
「吾輩の心に、薄汚れた拳なぞ届かんよ」




