第二章9話『ミストラ』
そして四人は城下町と自然の境界線に造られた城夜霧に到着する。
しかし水鏡の城にはあった城門らしきものがここ風月では見当たらず、東風はお面を手元に寄せるため独特な動作を行うと次の瞬間、敷地内から一つのうさぎ面が飛んでくる。
その後、彼はうさぎ面を身に付け塀に目を向けると近くの塀に手を添え、そのままゆっくり全体重をかけて塀を押す。
すると彼が押した塀の一部分は奥に倒れ、そこに人一人が通れる程度の小さな通路が現れる。
「すごい! 今のどうやったの?!」
「この通路は塀の中で生きてるんでござるよ。「夜行植物」と『寄生虫』を足して二で割ったようのようなものでござるな。月明りを求めて夜のうちに塀の中を這って移動する生態に着目したというわけでござる」
「そしてこのうさぎ面は入口を見る、言わば鍵のようなもの」
塀が「扉」とすればうさぎ面が『鍵』。
これらは生前の仰が増設したほんの一部の機能だが、それは他國者二人の度肝を抜くには十分で、心紬も「これが先進國の最先端技術……」とその画期的な発想に脱帽する。
その一方で全方位に興味を向けていたさっきまでとは打って変わり、露零は殊音の発言にあった寄生虫という、好奇心を相殺して尚余りあるその単語に並々ならない嫌悪感を抱くと一瞬にして青ざめる。
「どうしたでござる?」
「ひっ! あれって虫なの…? 私、ここ通りたくない……」
嫌な例えをされたのだ。
そう思うのも、足がすくむのも仕方のないことかもしれないがこの先に目的地がある以上避けては通れない道であるため、心紬は生理的嫌悪感から思わず後ずさりする後輩従者に目を瞑るよう促すと優しくその手を引き始める。
「目を瞑っていれば一瞬ですよ。私が手を引くので安心してください」
「心紬お姉ちゃんがそう言うなら……」
そんなやり取りを挟んで敷地内に入るとそこには一枚もののタイル式天然石が等間隔に敷かれていた。
それは水鏡の玉砂利とはまた違った印象を水鏡組に与え、(水鏡と全然違う!)と露零はさっきまでの恐怖はどこへやらで一度は完全に失った好奇心を取り戻す。
まだ城内に入ってすらいないが敷地内の特徴を挙げれば切りがない。
四人はそのまま夜霧に入ると城内の構造は水鏡の城、藍凪とそこまで大差はない。
しかし明らかな違いを一つ挙げれば和、そして風をモチーフにしていることだろうか。
城内の置物にも軽く触れるなら風神様の描かれた掛け軸や朱色の盃、貴重そうな飾り面など、その他多数の風を連想させる品々が飾られていた。
「夜霧は四階建てで地下には石積みの修行場所がある。二人には今から案内する応接室にて待機願う」
「うん」
「わかりました」
そうして案内された応接間でお行儀よく待機する二人。
その後、風月組は二人を案内し終えるとすぐにどこかへ行ってしまい、暇な二人は姿勢は崩さないまま軽く雑談し始める。
「ここの障子は月うさぎが描かれてるんですね」
「あれってうさぎさんっていうんだ。真っ白だけどもしかして水鏡にいた動物だったり?」
「白変動物」と『原色』の区別がついていない露零はふとそんな疑問を投げかける。
そんな少女の愛嬌ある問いに心紬は「ふふっ、うさぎはもともと白いんですよ。私も図鑑で知っただけなんですけどね」と言ってくすっと笑う。
「へぇ~、心紬お姉ちゃんって物知りだね」
「そんなことないですよ。あっ、そういえば東風さんから聞いたんですがミストラさんの前で碧爛然の話をしてはだめですよ」
繰り上がりで城主代理となった有権者との対面前。
直前の忠告に「どうして?」とその理由が分からずキョトンとした顔で尋ねる露零。
そんな少女に彼女は道中、東風から聞いたこの数日間で起きた風月での出来事を簡潔に説明し始める。
「仰さんが亡くなったことで後継者と砦が争ったそうなんです。あっ、後継というのは露零の肩書と同じです。それで悔しくも敗北してしまった碧爛然は城を出て行ってしまったみたいなんですよね」
「そんなことがあったの?!」
(南風さんそんなこと一言も言ってくれなかったのに…)
要人御用達の隠れ家と言えば聞こえはいいが、周りに何もない辺鄙な場所で襲撃を受けていたこともあって露零が得た情報は思いの外少なく、この風月の事情をかなりざっくりとだが知った少女は教えてくれなかった南風に内心やや不満の声を漏らしていた。
聞かれなければ教えないのは世の常だが、それ以前に自身が考え至らなければその話題に触れることはない。
入國してから現在までの数時間、さらに敵対勢力との戦闘が時間の大半を食っていたこともあり少女が数日間の風月の出来事に興味を持つ「時間的余裕」も『気持ち的余裕』もなかった。
その時、「足音が聞こえてきました。そろそろ来ますよ」と心紬は言う。
しかし聴覚が特別優れているわけじゃない少女は「何も聞こえないよ?」と言って彼女を見る。
足音どころか物音一つ、未熟な露零には全く聞こえていなかったが次の瞬間、障子が勢いよく開くとうさみみを生やした人物を中心に左側に南風、右側に東風が凛々しく立っていた。
「君たちが藍爛然の従者だね? 天爛然からの封書で事情はおおむね把握しているよ」
【うさみみ男性】の風貌は白い肌につぶらな赤い瞳。
笑顔がよく似合う端正な顔立ちにすらっとした瘦せ型体型。
だが下半身、特に大腿部が特徴と言えるくらい異常発達している。
髪型は短髪だが僅かなそよ風ですらなびきそうなサラサラとした白髪。
そして服装は和の正装だ。
その【上司】の隣にいる東風の風貌は正統派の黒髪好青年だ。
髪は目元まで伸びていて瞳は隠れていたが、髪の間からちらりと見える瞳は深い緑色をしている。
服装はこれといって特徴のないもので、町でも何度か見かけた武士服を着用している。
横並びの三人の中で一番の高身長を誇る東風は「温和そうな上司」、『少し抜けている同僚』と比較すると仏頂面でどこか瞳に影を宿しているように感じられた。
そんな彼の不穏な視線に水鏡組が晒される中、その意図を推し量る間もなく話は進み、感じた違和感の正体に対する最初で最後の早期発見の機会は惜しくも見逃されるのだった。
「僕は夜霧を任されている砦ミストラ。中立にあるねえさんの店は例外としても國と國とを繋ぐ通路を断たれた水鏡から本当に藍爛然以外が出て来るなんてね」




