第二章1話『隠れ家』
「う~ん。あれ…ここ、どこ?」
次に露零が目を覚ますとそこは全く見覚えのない場所だった。
同伴者はおろか辺りを見渡しても人っ子一人としていない。
そして深緑のしの字すら無い小屋の中の小部屋、そこに置かれた布団の中で露零はハッと勢いよく目を覚ます。
簡単に現状を説明するなら露零が今いる場所は屋内だ。
それも簡易的なベットがぽつんと一つあるだけの応急治療室のような部屋で、腕に違和感を覚えた露零が布団をめくるとその細腕には点滴らしきものが打たれていた。
「心紬お姉ちゃんがこんな変なの使うはずない…。ここはどこ?」
先輩従者の治療場面をこれまで何度も間近で見てきた後輩従者は彼女ではない第三者に治療されているという疑念の余地もない事実に、全身が凍り付くような尋常ならざる恐怖を感じていた。
直前の記憶が自身を付け狙っている野良滅者の攻撃によって気を失ったことなのを踏まえても、状況から考えて敵に捕まっていると考えるのが自然だろう。
今、露零がいるこの小部屋だが窓らしきものは見当たらず外を確認できない状況で、さらに良くか悪くかこの小屋内に他人の気配も感じられなかった。
「このままじゃ殺されちゃう。何とかして逃げなくちゃ…」
心紬のいないこの状況、露零は一人で脱出しなければならず、少女はかつてないほど脳内をフル回転させて脱出までのイメージをざっと思い描くと、持ち前の好奇心を武器に思い立ったらすぐ行動理論を展開すると早速行動に移っていく。
(私にできるのは「凍らせること」と『遠くを見る』ことだけだからまずは広いところに出なくちゃ)
万が一にも戦闘になってしまっては到底一人じゃ太刀打ちできない。
そんなことは露零が一番理解している。
走力などの運動神経に関しても、御爛然が治める國の住民と大差ないレベルかもしくはそれ以下の少女は御爛然やその従者と比較すると大きく見劣りしているのが事実だ。
よって少女に残された選択肢はいかに見つからずして距離を稼げるかであり、これが作戦成功の要を握ると言っても過言じゃない。
打たれた点滴が適切な処置だったのか、いや、そもそも処置なのかすら定かではないが、そんな得体の知れない小部屋に生理的嫌悪感を示した露零はあまりの居心地の悪さに振り返ることなく飛び出すと、そのまま建物からも抜き足差し足で忍び出る。
そうして脱出に成功した少女はふとその小屋に振り返り、何を思ったのか外観をしかとその目に焼き付ける。
すると思っていたものと違ったのか、外観を目にした露零はお口あんぐり状態でちょこんとその場に佇んでいた。
そしてそのまま周辺を見回すと少女の表情は次第に曇りを見せ始め、厚みが増すとやがて心は雨模様となる。
「どうしよう…。こんなところじゃとても逃げられないよ……」
建物自体は木造建築の何の変哲もないただの小屋だったが問題はその場所にあった。
一般家庭にしては明らかに立地条件の悪いその場所は小屋の裏手に巨大な岩壁が聳えていて、正面には底の見えない断崖絶壁がすぐ近くにあったのだ。
一歩間違えば奈落の底に真っ逆さまという普通ではありえない状況に露零の逃亡意思は完膚なきまでに打ち砕かれ、ただただ呆然と立ち尽くしてしまう。
(そんな…こんな場所からどうやって逃げればいいの……)
覗くことすら恐怖が伴う断崖絶壁の下は谷のようになっていて、不規則に強風も吹き荒れる中、露零はこれまで経験したことの無い抗いようのない根源的恐怖に足どころか全身がすくんでいた。
しかし次の瞬間「――ん? あれって何だろう」と、ある物が露零の目に留まる。
それは真下にある断崖絶壁から横向きに生える不思議な木々で、少女は咄嗟にその木を足場に下に降りることを思いつく。
(ここを降りるならあれを探さないと……)
そう思い立ってからの露零の行動は早く、露零はこの断崖絶壁を下るために必要なあるものを探すべく再び小屋の中へと入っていく。
小屋に戻ってしばらくすると、「えーっと、あった!!」と露零はお探しの代物を発見する。
そして再び出てきた露零の背には弓の他にあるものが背負われていた。
断崖絶壁に自生した横向きの木と木の間には歩幅以上の間隔があったが、露零は小屋から探し出してきた布製の生地ロールと糸を、同じく小屋で見つけた背負い鞄に詰められるだけ詰め込んでいたのだ。
「矢とこれを結んでっと……」
そうして小屋から引っ張り出してきた「糸」と『生地ロール』を具現化した矢に結ぶとその矢をつがえ、横向きに生えた木の少し上を目掛けて打ち放つ。
こんな矢の使い方をしたことのない露零は成功するか半信半疑だったが、結果は見事に大成功。
矢はつがえた瞬間から冷気を帯び始め、結び付けられた生地ロールは空中でうまく氷結する。
そして氷結した生地ロールは次第に重みで急落下し、横向きに生えた木の上に覆いかぶさると木と木を繋ぐ足場を作ることに成功する。
「やった! あとは早く逃げなくちゃ」
生地ロールのみが氷結していたなら足場として心もとなかったが氷結が伝播する時間は思いのほか長く、生地ロールが木に覆いかぶさるとその木をも巻き込んで氷結し、足場としての安定感は露零の予想以上に抜群だった。
そうしてできた即席足場の上を、少女は氷に足を滑らせないように慎重に歩いていく。
しかし底の見えない断崖絶壁は当然吹く風も強く、最初は上手くいっていたその作戦にも次第に難が生じ始める。
(風、どんどん強くなってきてる…。落ちないように気を付けなきゃ)
と考えた次の瞬間、突如発生した下から勢いよく吹き上げる突風に、華奢な少女はまるで蒲公英の綿毛のように一瞬で空中に舞い上げられてしまう。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」
まるで妖怪でも目にしたかのような露零の絶叫が山彦の要領で周辺一帯に響き渡り、少女はいつの日か経験した臨死体験を想起しながら今度こそダメだと終わりを悟る。
(心紬お姉ちゃん無事なのかな? 私、もうだめかも……)
しかしその時、響き渡る露零の悲鳴にいち早く反応した一人の女性が木に足を引っかけ、掴み、飛び移りながら少女のもとに、人間離れしたとてつもない勢いで迫っていた。
「隠れ家を抜け出たでござるか??! 今助けるでござる!!」




