第一章52話『生命の母』
「確かにあんたの言う通りやわ。前後が逆になってしもうたけど何もウチは一個人を忖度してるわけやない、同じくらい娘息子らのことも大切に思っとるよ」
「…………」
「せやけど誰もが平等なわけやない。てなわけでウチは露零の居場所を作る必要があるんや」
伽耶がこれまで行っていた活動を一つ、今この場で挙げるならそれは古代樹から生まれた生命の迎え入れだ。
城内がやたら広いのも生まれたばかりの幼子を城に招き入れ、水鏡の一員として里親が見つかるまで面倒を見るためだ。
この場に集った國民たちもそうした過去を経て今があるため、理由を知った今、彼らは伽耶の行動、考えに一定の理解を示すと次第に國民たちは城下町へと戻っていく。
「私の時もそうでしたが伽耶様は苦境に立っている人ほど手厚い待遇ですよね」
「ん? 無意識のうちに差が出てるんかもしれへんけどさっき言うたことは本心やで」
「――――そういうところ、嫌いじゃないです」
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方その頃、藍凪を後にした二人は水鏡をも出て現在、早くも未開の地に足を踏み入れていた。
直上から差し照らす陽光すら遮断する原生林の奥深く、そう表現したくなるほど遮蔽物が異様に多いこの場所は露零が体質変化によって会得した遠視を以てしても少し先が見える程度だった。
(だめ、ここじゃこの目も機能しないよ……。ってあれ)
「魔獣と戦ったときにぐちゃぐちゃになったはずなのに元に戻ってる!」
「それは古代樹があるからですよ。古代樹は生命の母ですから」
以前、燦と対峙した際は彼女の固有の力炎が明かり代わりになっていたが今、この場にそのような明かりは一切なく、言葉では平常心を装っているものの露零の胸中は敵地に足を踏み入れているという気の抜きどころのない不安と恐怖に胸が締め付けられていた。
そんな漠然とした不安からか、少女は「ねぇ、ここって最初に心紬お姉ちゃんと出会ったところだよね?」とついつい先輩従者に尋ねる。
それは昼夜問わず常に夜のように錯覚する原生林の恐怖に耐えきれず、何でもいいからとにかく人と会話してこの不安を少しでも和らげようという、露零の心理行動だった。
その一方で心紬は文字通り一寸先は闇なこの薄暗い原生林に目が慣れたのか、時間を追うごとにその足取りは速度を上げていた。
しかしふと振り返り様、さっきまで隣を歩いていたはずの露零がいないことに気付くと彼女は慌てた様子でさらに後方に振り返る。
すると真後ろで右往左往している後輩従者の姿が視界に映り、彼女は思わず歩みを止める。
目隠しでもされているのか? と思えるほど何度も木にぶつかったり、小石に躓きかけたりする露零の姿を不憫に思い、彼女は携帯した蝋燭に火をつけるとそれを小さな手持ち燭台の上に乗せ、「こっちです」と手招きしながら露零を呼ぶ。
「同じですがあれはですね、露零が生まれたてだったからですよ。識変世界で体験したのは本来の誕生過程なんです」
「あっ、そっか…私はお姉ちゃんの涙から生まれたから……」
そう言って露零は罪悪感を瞳に宿すと現実から目を背けるように、思わずそのまま俯いてしまう。
一瞬の気の緩みが後輩従者のトラウマを刺激する形で現れたのは幸か不幸か。
ここは敵地、最悪の場合、一瞬の虚を突かれ敵襲を受けることも往々にしてあり得ただけに、またしても地雷を踏み抜いてしまった心紬は反省も早々に緩んだ気持ちを引き締める。
――――滅者は救いの言葉を求めている。
魔獣討伐後、自身の片親でもある天爛然によって明かされたその内容は、露零も決して例外ではない。
ならば少女の求めている言葉とは一体何だろうか。
その無自覚こそが生魂の中核を成していることの証明であり、人の脆さの表れでもある。
この時、環境が作り上げたの闇夜に紛れ、地の利を最大限に利用した野良の鋭利な殺気は正確に二人の喉元を捉えていた。
その様はまさに狩人と呼ぶにふさわしく、狙った獲物は逃がさないと言わんばかりの完璧なタイミングで奇襲を掛けることに成功する。
「やれやれ、そんな少人数で本拠地に乗り込んで来るとかやられても文句言えなくね?」
次の瞬間には二人揃って背後を取られ、いとも簡単に制圧された水鏡組は野良二人が持つナイフを首元に押し当てられていた。
あまりの出来事に心紬はまだ点けたばかりの蝋燭を地面に落としてしまい、再び辺りは漆黒の闇に包まれる。
「私怨はないけどちょっちしつれ――――い」
「脇が甘いです! シエナ直伝の脱出術を甘く見ないで下さい!」
背後の男性はそう言って漆黒の中、勢いよくナイフを振りかぶる。
しかし心紬は同僚直伝の関節外しで背後からの拘束から難なく抜け出すとすぐさま野良と距離を取り、腰に携えた刀を抜刀すると振り返った彼女は目前の男性を一刀みねうち切り伏せる。
「ぐはっ」
「はっ、露零は?! 大丈夫ですか??!」
「――心紬お姉ちゃん、何があったの…?」
恐ろしく力の抜けた、脱力した声だった。
その言葉を聞いた心紬だがすぐに行動に移ることはなかった。
というよりも迂闊に身動きが取れなかったという表現が正確だろうか。
理由は簡単、生まれつき暗視が備わっている野良と異なり、一度明りを灯したことでせっかく暗闇に慣らした目が再び機能を失ったからだ。
次に目が暗闇に慣れるまでに要した時間は一度目と比較して三分の二くらいには短縮されていた。
そうして再度慣らした目で少女の背後をゆっくりと覗くと、露零を拘束していた男性は見事なまでの氷の彫刻と化していた。
それは少女が弓から引き出した力、氷結によるものであることに疑いの余地はない。
にもかかわらず何が起こったのかわからないと露零は言い、不可解な現象その一つとして心紬は立場が危ぶまれかねない後輩従者の力の暴発を、墓場まで持って行く秘め事として心の奥深くにしまい込む。
(嘘の真理は質問者が考え付かないことにあると私は考えます。ご飯論法であれば反逆罪にはあたらない。しかしそれは私の意思とは反します)
襲撃の可能性があることは分っていたが、まさかこんな浅い場所で襲撃を受けるとは思っていなかった心紬は(この調子で襲撃を受け続ければこっちの身が持たない)と改めて敵地に足を踏み入れたことを実感し、これからは隙あらばこちらから仕掛けるくらいの攻め気でさらに奥地へと進んでいく。




