第一章51話『濁流』
露零は伽耶のポンコツ具合を嫌というほど知っている。
元は同じだったからだろうか。
仮にそうでなくとも対魔獣戦で伽耶のポンコツ具合はかつてないほど前面に出ていた。
ある者は巣立つ寂しさを紛らわせるため、またある者は一寸先の闇から目を背けるように、束の間の他愛ない会話で気持ちに整理を付けていた。
各々がそんな思いを胸に秘め、出発間際まで楽しく談笑していると突如として城下町側の城門がド派手に爆撃破壊され、正面の入り口から大勢の民衆が続々と敷地内へと押し寄せる。
突然の出来事に出発組が困惑していると事情を知っている残留組が民衆の前に立ち塞がり、従者の新たな門出を逞しい背中で最大限祝福する。
「はぁ、また来よった…。ウチらで話聞くからあんたらは先行き」
「でもお姉ちゃ――」
「……わかりました。露零、伽耶様なら大丈夫なので私たちは先を急ぎましょう」
なぜ國民が押し寄せてくるのか? 暴漢や反逆者にしては城門以外、何を破壊するわけでもなければ物騒ななりをしているわけでもない。
伽耶が言うように、彼らは対話を求めているのだろう。
姉の心配をする露零はこのまま出発することを躊躇していたがそんな少女の手を心紬は引き、二人は城門をくぐり抜けるとそのまま一目散に駆けていく。
「逃げたぞ、追え!」
「ちょい待ち、ウチがあんたらに危害加えへんからって何してもいいわけとちゃうで。あの娘は水鏡を出るんや。殺す必要はないしそれは先延ばしにするだけや。せやろ?」
「そもそも何で敵を匿ってるんだよ! それも一番治安の良いこの國に!!」
「ねえさんから聞いたよ、伽耶はその子を従者に据えたって。随分特別視してるんだね」
第一声を上げたのは水鏡の國民である一人の中年男性だった。
彼は鼻息荒く声を上げ、開口一番鋭利な罵声の雨を浴びせた。
國民がどこから情報を得たのか、この時の伽耶はすでに理解していた。
そして彼に続くはこの騒動を引き起こした張本人である行商服を着用した青年商人だ。
彼はねえさんなる人物から得た情報を切り口に今回、民衆を扇動して藍凪に押し入ってきていた。
――――情報の回りが二人の予想を遥かに超えていた。
それもシエナが水鏡中に情報を回すよりずっと早く、他國者が情報源になっていることがより國民たちに不信感を抱かせてしまっていた。
伽耶たちは以前も何度か懐疑的な目を向ける彼らを説得していたが今日、ついに彼らの積もり積もった不満が爆発してしまったのだ。
「それは違います、伽耶様は――」
「――やめとき」
主君に代わって弁明しようとするシエナと、そんな従者を制止する主君。
そして伽耶は一度皆に頭を下げて謝罪を告げ、露零についての詳細を今、この場にいる全員に共有する。
伽耶がこの場で伝えたのは以下の三つだ。
一つ目に、つい今しがた騒動の原因となった露零が水鏡を出たこと。
二つ目に、滅者である露零の出生に自身も深く絡んでいること。
そして三つ目に露零が魔獣を討ち取ったという紛れもない真実。
最初は真偽不明の伽耶の話を誰も信じていない様子だったが彼らの中にたった一人、最後の出来事を知っている人物がいた。
その彼はかつて、魔獣の存在を間近で目撃して死を悟ったという一生に一度あるかないかの望まぬ絶望体験をしていた。
目にしただけで戦闘意思どころか生に対する執着すら削がれる巨躯、呼吸という生命活動を行うだけで死を連想させる瘴気をその身を以て経験した彼は「あの魔獣を……」と、唖然とした様子でにわかには信じられない反応を示す。
「ねえさんからの情報なら間違いない…だけど情報が曖昧過ぎる」
押し寄せた他の人物は次々にねえさんと口にする。
この手の情報筋は誤情報が多数出回るものだが少なくともこの場にいる者は皆、ねえさんなる人物に絶対的な信頼を寄せている。
そして、口にこそしていないがそれは伽耶を始めとする砦や他従者も決して例外ではない。
良くも悪くもインパクト抜群の魔獣という単語に並々ならぬ反応を示したその彼は「えっと…その子の名前は確か……弓波露零」と恐怖心が無意識のうちに蓋をして記憶の奥底にしまい込んでいた、情報提供者から聞いたいつかの会話を思い出す。
「合ってるで、それがあの娘の名前や。ウチが考えた名前やし由来も全部言えるけど教えたろか?」
そう言って伽耶は不敵な笑みを浮かべながらカマをかける。
いや、本当に由来があるのかもしれないが、かつて共に過ごした彼ら彼女らは自身につけられた不名誉なあだ名のようにロクでもない由来ではないかと警戒し、「い、いや。ねえさんの情報は正確性が売りだからそこまではいい」とさっきまでの喧嘩腰な態度はどこへやらで、気付けば場の熱はすっかり冷めきっていた。
「何や気になる言い方やな。ウチの話は信用できひんって言いたいん?」
「い、いやぁ…あはは」
そうは言うも、水平線のように果てのない母性で全ての國民を受け入れた伽耶は一人、場の空気を蹴とばす勢いで高笑いする。
國民の中にその事実証明をできる人物がいたのは不幸中の幸いだった。
その彼のおかげで話が円滑に進み、これ以上國民との溝が深まることはなんとか避けられた。
「――――てなわけやから今日のところは引き返してもらうで」
「まぁ…滅者が水鏡にいないなら俺たちが何をする必要もない、か」
沸点を超えてしまった人間は歯止めが利かなくなってしまう。
しかし熱とは時間を置けば自然と冷めるもので、状況によっては氷を投入するように瞬間冷却することさえ可能だ。
だが今回は内容から瞬間冷却することは難しいと判断した伽耶。
よって、彼女はあえて長々と時間をかけて説明することで國民に冷静な思考を取り戻させていた。
その身に宿る水の力も相まってか、これまで伽耶は國民からその都度熱を取り除くことで彼らとの関係が完全に拗れることはなく、また、争いに発展することもなかった。
このままいつもの流れで引き返していく流れ…だと思われたが、一人の女性が怯えながらも肝の座った瞳を伽耶へと向け言葉を発する。
「あの、私からも一ついいですか? 私たちはなにも伽耶が國長なことに不満があるわけじゃないよ。でも…だからこそ國民たちのことを安心させて欲しい」
國の顔であり一時的とはいえ育ての親はよく知った間柄と言えるだろう。
しかしそれはそれとして、怖いものは何をどうしたって怖いだろう。
意を決して苦言を呈したうら若き乙女は伽耶と同年代くらいの容姿をした女性だった。
見た目以上に精神年齢は上かもしれないが、伽耶は彼女の重みある言葉に自身がかつて先代に言い放った未熟さを重ねていた。
その上で伽耶は前任者が自身に返した言葉とは違う、自身の等身大の思いをこの場を借りて表明する。




