第一章42話『敵襲』
唐突な囁き声に多少の困惑はしたものの、飴玉をもらった露零はその場でパクッと食べると頬を飴玉で膨らませながら、心紬と同い年くらいで自身に興味を示してくれた『なるみん』と呼ばれていた男性従業員に質問を投げかける。
「お兄さんって心紬お姉ちゃんのことよく知ってるの? もっと心紬お姉ちゃんのこと知りたいから教えて欲しいな~って」
「う~ん、例えばそうだね。もう知ってるかもしれないけど昔から他人のほっぺをよく触ったりミサンガを作ってくれたりしたっけ」
そんな緩い感じの会話に始まり、彼は思い出す動作として顎に手を当てようとするも衛生意識が働くとその手は顎に触れることなく空振りに終わる。
一方の露零も「他人の頬をよく触る癖がある」、『ミサンガを作れる』という先輩従者の新たな一面を知るや(私もミサンガ作ってほしいかも)と考える。
しかし一方的な質問は不釣り合いだと言わんばかりに今度は「ねえ、今度来たときは僕にその髪切らせてよ」と、男性従業員から更なる逆アプローチを受けてしまう。
「へっ? それは……」
食い下がってくる者による予期せぬ展開に思わずたじたじになってしまう少女、露零。
その反応はどことなく漂うこのおしゃれ空間も少なからず影響しており、口説き文句にも似た彼の誘いに少女が返答に困ってると突如背後から現れた店長が男性従業員の頭をポカッと叩き、同じく現れた心紬は露零の名を呼び、腕で輪っかを作るように背後から少女を抱き寄せる。
「下心がない分、不審者感が凄いです。私だってまだ切らせてもらってないんですからなるみん一人に抜け駆けさせないですよ」
そう言って心紬は『なるみん』と呼んだ男性従業員、もとい同僚に敵意にも似た、しかしどこか親しみも感じさせる眼差しを向ける。
だがその彼はというと特に悪びれる様子もなく、次は先程『りあん』と呼ばれた現在進行形での彼の同僚も同じく、しかし関係性を壊さない程度に低圧力をかけていく。
「みっちゃんの言う通りだし。あーしも抜け駆けすんの許さないかんね」
近年稀に見る上質の髪の毛を前に、思わず自制が利かなくなり暴走したなるみん。
その理由は少女が生まれ持ったミネラル豊富な天然、且つ絹糸のようなきめ細かなで美しい髪にある。
髪を扱う専門職員であれば誰もが魅了され得る髪質なだけに、私欲のままに暴走する彼の悪目立ちに拍車がかかると流石に目に余ると言わんばかりに自制心ある他三人から一斉に攻め立てられる。
すると彼はわかりやすく落ち込み、次第に冷静さを取り戻していく。
同じく露零も冷静さを取り戻すとそのタイミングで心紬は「そろそろ行きましょうか」と声を掛け、彼女はかつて過ごした事実上の我が家、そして家族にして気の合う同僚たちに暫しの別れを告げ退店する。
「そういえばもう開店の時間ですよね? それじゃあ私たちはそろそろお暇しますね」
「気を使わせたみたいでなんだか悪いね。また来るのを楽しみに待っているよ」
「あーしも久しぶりにみっちゃんと話せて超~テンション上がったしいつでも歓迎するかんね」
「次来るときは土産話をよろしく。それからその子も…ね」
心紬が従業員だった頃から営業体制がずっと変わっていない老舗髪結い屋。
人当たりと対応力がウリの老若男女に慕われる店主。
やや危うさを残しつつも正気に戻った男性従業員『なるみん』。
圧倒的なトーク力とコミュ力お化けの女性従業員『りあん』。
昔の名残で愛称として名前の最後にんを付けて呼ぶ癖のある心紬は『なるみん』に対する苦手意識から自身の背後に隠れる露零を理解を示しながら慰める。
そしてそのまま二人はserenoを後にすると藍凪へと向かって歩き出す。
「ところで私の実家はどうでした?」
「みんあ優しそうな人たちだったよ? それでね、あの人に教えてもらったんだけど私もミサンガ作って欲しいなーって」
帰城途中に寄った雑貨屋では道中、雑談から要望へと発展して後輩従者が作って欲しいとせがんだミサンガに必要な材料を購入して――。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして早くも時は流れ藍凪の城門前、すっかり夜になってしまったことをどう弁明しようか相談していた二人はいつになっても開門しない城門を前に立ち往生していた。
「変だね、いつもならすぐシエナさんが開けてくれるのに」
「そうですね。何かあったんでしょうか?」
いつもなら自動ドアの如くすぐ開門するだけに開門要請後、いくら待てど一向に開門する気配がないことに二人は違和感を覚え始めていた。
すると突如藍凪の遥か後方、場所にして昨日露零が自室の窓から見た巨大な大滝が流れていたあたりからド派手な爆発音が鳴り響く。
直後に軽い地震のように大きな揺れが生じ、露零は胸がざわつく感覚に襲われる。
すぐに(何かあったんだ)と直感し心紬を見るが、彼女は危機意識が低いのか「水中花火は明日のはずですし誤爆でしょうか」と、どこか他人事のように呟いていた。
開門しないことからシエナ、さらに言えば伽耶もこの爆発絡みの何らかの事件に巻き込まれている可能性があるにもかかわらず、一向に焦る様子を見せない、にぶちんな先輩従者のポンコツ具合に呆れながらも「昨日私の部屋から滝が見えたの。きっとそこにシエナさんがいるんだよ」と言って少女は彼女の手を引く。
「シエナがいない理由、滝…はっ、そういうことですか! この状況はまずいですね、案内するので私に付いてきてください」
少女の言葉で目を覚ましたのか、おおよその現状を把握した心紬は周りには目もくれず一人駆けだそうとしていた。
その時、シエナの計らいなのか「弓」、そして『日本刀』を両手に乗せた二足歩行の和猫が二匹、塀の上から飛び降りてくる。
一方の和猫が掌に乗せているのは以前露零譲り貰った弓、ならばもう一方が掌に乗せている日本刀はおそらく心紬のものだろう。
本来は藍凪を通り抜けるのが目的地までの最短距離なのだが門番であるシエナが不在で通過できないため、二人は和猫から武器を受け取ると藍凪を囲う塀を半周し裏へと回る。
どんなものでも利点と欠点があるものだが、今回に限っての大きな城は完全に後者となっていた。
日々鍛えているのか息切れすることなく走り続ける心紬と、そんな彼女の背中を追うので精一杯な息の弾んだ少女露零。
一刻を争う事態に二人の距離がみるみる離れていく最中、本来ならば水鏡にはいるはずのない人種野良が意気揚々と心紬の前に立ちはだかる。
「動向不明の二人がなぜここに? いや、ちょいと待ちたまえよこの僕。主力二人が出払ってる今ならこの状況はむしろチャーーーーンス! その首もらっ――」
「どいてください!」
やたら前置きの長い野良をいとも容易く一刀みねうち切り伏せた心紬は客観性を取り戻すと後方で息を切らしている露零のもとに駆け寄り少女を背負う。
そして速度を一段階、いや、倍掛けで上げると目的地まで一気に駆け抜けていく。
しかし移動してる間も爆発音は不規則に鳴り響いていて、主君や同僚の安否を心配する心紬の顔からは冷や汗が粒となって流れ落ちる。




