第六章4話『コロイド』
動く歩道ことキャットウォークが皆の足となる中、酸性雨によって変性した皮膚が運び手である猫の素肌に触れると本能から猫の群れは露零をその場に落とすと後続も少女を避けるようにして駆け去っていく。
「ニャッ!!」
しかし怒り心頭のシエナは自身の後方で起こった思わぬアクシデントに気付くことはなく、酸性雨から生成された人形はドライアイスを取り出すと近くで液状化となっている人形目掛けて投げ当てる。
ちゃぽん、ぽちゃんと雫が跳ねるような無邪気で尚且つ、水ならぬ友を得た稚魚はドライアイスが埋め込まれたことで形状記憶が発動した部下に対して、相対するシエナを指差すことで指示を出す。
(来る! 三方向…いいえ、それ以上から!!)
「――――はっ! どうして露零がっ!!」
気付いた時にはもう遅く、時すでに遅しな状況に思わず振り返ったシエナはその隙をついて間合いを詰めてきた酸性人形の攻撃を真正面からもろに喰らい、一方の露零も差し向けられた人形の体内に囚われると苦しそうに藻掻き始める。
「うっ……」
「詐欺にはペテンで対抗する、ヨゴレ仕事も引き受けるのが俺たち警官隊の本分だ。人形に知性はないと一概な判断が招いた結果と思うことだ」
これまで一言も言葉を発さなかったことすら酸性人形の策略のうちだった。
一瞬の虚を突かれて殴り飛ばされたこと自体にそれほどのダメージはない。
半身である猫特有の回転反射で受け身もしっかりと取れていたが、攻撃を受けた箇所に負った火傷が殊の外彼女を苦しめる。
決して引くことのない火傷の痛みが再び身構える彼女の気を潮の満ち引きが如く不規則に散らし、その様子をしばらく観察したことで律動を掴んだ酸性人形は飛び出すと同時に、今度は手のひらの肉球を注視すると衝撃波によってお茶を濁されないよう細心の注意を払い追撃する。
(何だ?)
最も警戒していた手、さらにはその手のひらに浮き出た肉球がまるでポンプのようにほんの僅かに脈動すると無辜の民を運び終えた無数の猫の群れは再び戦地に舞い戻る。
一種の招集ボタンと化した肉球によって舞い戻った和猫たちの群れ。
同じく肉球からの意思伝達によって自身が使役する猫たちに次なる指示を出したシエナは背中を同胞に預けると改めて酸性人形と対峙する。
「いいのか?」
「ええ、作戦なら伝えていますから。露零の救出なら何も心配していません」
「――――だそうだ。マイア、エルト、ミューダ、そっちは任せる」
赤と白を基調に、綺麗に仕立てられた着物も今ではすっかり泥を被ってしまっている。
そんな着物だが屋外で目一杯身体を動かすのには向いていないと感じたシエナは忍ばせていた爪を立て
ると主に下半身、ふととも辺りから勢いよく引き裂き始める。
引き裂いた着物が風になびき、すらっとした、それでいて筋肉質なその美脚は例の一件以降鳴りを潜めていた反動とも言える解放感からシャバの空気を大きく吸う。
そして次に吐き出した吐息はむき出しの野生、そして敵意となって酸性人形に襲い掛かり、彼はこれまで感じたことのない本能部分の感情を呼び起されることとなる。
(――――凄まじい重圧だ、その歩き姿はまさに四股踏み。確実に俺の首を取らんとする威嚇が抜き足越しにも伝わってくる)
従者としての長年の務めで培われたシエナの感情抑制は何も表情だけに留まらない。
その行動の何から何までに掛けられた抑圧はまるで猫を被っていると言っても過言ではなく、それだけにそんな彼女の本質を一目で見抜いた酸性人形の慧眼具合が伺えるというものだ。
「これまでの私と思わないことです。覚悟!!」
「面白い! お前の「狩り」と俺たちの『ヒューマンハント』、どちらが上か証明してくれる!!」
一方その頃、ドライアイスを取り込んだことで液体でありながら原型を維持できる程度には固体という特殊な体質となった人形の体内に囚われた少女、露零の意識は限界に達していた。
潜水状態と何ら変わらない状態で続く硬直状態。
そんな水牢に対して爪を立て、自身を大きく見せながらこれでもかと威嚇する和猫は次々飛び掛かるも誰一匹として露零の身体に触れること叶わず無情にも時間は過ぎ去っていく。
(背中を預けたこいつは知るはずもない。自我のない人形は文字通り操り人形、俺の指示通り動いているのだと)
――――ピクピク。
その時、手のひらの肉球、そして人並み外れた聴覚から猫たちの現状を察知したシエナは果敢に飛び掛かる猫の群れの中に突如として現れるとそのまま人間体に戻ることで体積問題を解決し、露零の手を引き胴体を押し出すことで水牢からの脱出に成功する。




