第五章38話『残滓』
生まれてこのかた、どんな出来事があろうと決して心変わりすることなく一貫して忌み嫌い続けてきた持って生まれた望まぬ腐食。
故にその効力を永久的に封じ込めたいと考えていた喪腐は過去、副長である科厄が不定期に内輪で募集をかける被検体に自ら率先して志願していた。
結果から言えば努力空しく終わってしまったが、特殊な出生なだけに自身の対となる幸者と呼ばれる者に怒りの矛先を向ける他滅者とは違い、己自身に並々ならない憎悪の感情を持つイレギュラーな存在が喪腐という女性だ。
それだけ強い思いを持っているだけに、例え敵であろうと自身の力を完全に中和したという事実を前に思わず感情が揺らいでしまった彼女はすぐ横から聞こえた尋常じゃない叫び声にすぐさま現実へと引き戻される。
「うぅ…ああ……」
「――??! そん、な……」
喪腐は保護膜マントを被せた時点で教え子に危害は及ばないと確信していた。
そして事実、敵の攻撃が保護膜マントを貫通するなどという事態は起こっていない。
しかし叫び声を発したのは紛れもなく保護膜マントに守られているはずの生徒に他ならなかった。
無色透明な保護膜マントに遮視効果など一切なく、声を聞いただけでそれが誰の発したものなのかを瞬時に理解した喪腐は恐る恐る視線を生徒の方へ向けるとそこには驚きの光景があった。
「フラッシュバックには当時の再現が一番の解消法なの。言ってしまえば私は天地そのもの、これまでの人類史で天災そのものを未然に防いだ事例が一度でもあった? 神の創造を再演しましょう。地葉刃斬」
自身の腐食を押し破って大地から草木が芽吹いたのと同様に、しかしとてもこの世界のものとは思えない、まるで鋭利な刃物のような植物が首の皮一枚繋がった状態だった生徒の左腕を肩から根こそぎごっそりと奪っていたのだ。
とても受け入れ難いショッキングな光景に思わず言葉を失う喪腐と彼女とは反対に欠損したことでうめき声をあげる生徒。
だがその一方で、二人を強制的に視界からシャットアウトした敵は再び垂直に浮かび上がるとそのまま空宙を浮遊する。
そして自身の下腹部付近を数回さするとどういった原理かは不明だが、探し人の位置を特定することに成功する。
「――――やっと。やっと見つけた私の愚娘」
「うそ…嘘よ……。いやぁぁぁ!!」
「――――まだいたの。子供の泣き声で頭痛がするのよ勘弁してよね」
自身の無力さを痛感し、初めて声を上げて取り乱した喪腐。
そんな彼女の存在を耳障りに感じた敵の女性は二人に向かって手のひらを向けると初めて己の攻撃意思を示す。
その時、お面野良が心室に住まわせていた、爆風によって跡形もなく消し飛んだはずの人魂が横一文字の炎となって両者を分断する形で現れる。
(炎??! でも、この感じ…)
「ふふっ、この私の邪魔立てしようだなんて。どこの誰の仕業か知らないけれど、視界を遮ったところで何の意味も成さないことを教えてあげましょう」
そうは言うが、これまでの彼女は二人の存在を目視でのみ認識していた。
故にこの時初めて識別方法を切り替えた女性は炎の壁のその向こうにある二つの魂を捕捉する。
そしてその位置目掛けて最大出力の圧縮空気を打ち放つ女性は捕捉した二つの魂が消失したことを確認するも、炎の壁が消えたと同時に複数の矢に貫かれ思わぬ反撃が彼女を襲う。
「いいこいいこ、それじゃあましろんはそのまま二人を連れて皆のところに避難してて」
愛猫ましろんを連れ出せる人物は限られている。
戦闘が始まる直前に野良の全指揮を任された、とんぺいと呼ばれたリーダー格の野良は思案の末にその人物の協力を得る選択を取り、その一方で唯一と言ってもいい、地下で未だ拘留中の最終兵器を投入する作戦を立てていた。
この時、巨大化した小さな化け猫、ましろんが咥えて走り去った二人は突如として発生した炎の壁の熱気にあてられどちらも気を失っていた。
そんな意識のない二人は互いにある同じ夢を見ていた。
いや、夢というにはあまりに現実的で、また、夢とはいえその登場人物から見る人が見ればそれは一種の遺言のようにも思えるものだった。
「積もる話はあるけれど、まずは寿命をありがとう。お陰で敵の目を欺き僕は二人を逃がすことができた」
「ここは…夢……?」
「――――じゃない。夢なんかじゃ…決して。確かに生きていた魔砂が夢なはずないわ、そうでしょ?」
夢とも現実とも分からないこの謎空間を夢現と呼称しよう。
夢現で二人に語り掛けたその人物はもうこの世には存在しない砂漠の悪魔、通称魔砂と呼ばれた滅者だった。
かつての同僚との思わぬ再開に感極まった喪腐は目に涙を浮かべ、しかしそんな先輩の姿に照れくささを感じた魔砂は青年野良が身に付けたお面を触れずして外すと様子は一変、予想だにしない人物の登場に彼女の浮かべた涙は血の気と共に一瞬にして引く。
「その顔は紫翠で会った……。なんであなたがここにいるのよ??」
「…………」
「この子のことは姉さん以上に僕が知ってる、なんてったって彼の本質に住んでいたからね。僕が最後に受け持った生徒、後は言わなくてもわかるでしょ?」
「この人魂に聞いたんだ。先生は隣人を愛せない、愛されるより愛する側の人間だって。なら俺は先生の寵愛をより多くに届けるための架け橋になりたい」




