第五章13話『コンタクトメモリー』
時は少し遡り、朱爛然が連勝記録を更新する若手を赤子の手をひねるが如く打ち倒したことでぶん取った城『終宵』では敵である滅者の一人、科厄を連れた里が訪問していた。
「相変らずの荒れ具合ねぇ。せっかくの狐の障子が台無しだわぁ」
「それよりそのどぎつい香水を今すぐやめて欲しいわけ。トップの命令だから仕方なく治してやるってだけなんですけど」
「すぐに済むんだしいいじゃない」
とても敵対関係にあるとは思えない、人並み外れたコミュニケーション能力を遺憾無く発揮する里は自身よりも遥かに格上な敵にそんな軽口をたたきながら進んだ先で敵対心を露わに不敵な笑みを浮かべながら見下ろす朱爛然と対峙する。
「随分ヒョロい奴等だな、他所者が半端な気持ちで来ると死ぬぜ?」
「そうはならないから大丈夫よぉ。悪く思わないでちょうだいねぇ」
「筋弛緩剤だけでいいなんてずいぶん安上がりな女なわけ」
「チッ、たかだか薬くらいでこのあたし…が……」
里の身に付けた独特な匂いのどぎつい香水が部屋全体に充満し、香害に一瞬意識を持って行かれた朱爛然は隙をついた科厄によって筋弛緩剤が打ち込まれる。
しかし薬の効き目が表れるまでにほんの数秒間のラグがあり、その間に朱爛然は炎を纏った手で何とも分からない薄気味悪いものを注入した科厄の顔面を掴もうと勢い良く手を伸ばす。
それは一度でも人体に触れようものなら一生ものの火傷になりかねないほどの攻撃だった。
しかし科厄は難なくそれを回避すると頬に数本の切り傷ができてしまい、並々ならない殺意を向けると視線の先では口角を上げた次の瞬間には床に倒れ伏した朱爛然の姿があった。
この間、時間にしてほんの数十秒の出来事だがあくまで一時的な協力関係にあるからか、里が彼女を気遣うような素振りは全くといっていいほどなかった。
その時、朱爛然の意識が無くなったことで掴む手が緩み、身動きが取れるようになった科厄は目にも止まらぬ速さで里の背後に回ると同じく筋弛緩剤を首元に注入することで彼女を無力化する。
「……」
「これが滅者のやり方なわけ。悪く思わないで欲しいんですけど」
首筋に注射器を刺されたことで思うように声が出せず、次第に瞼が重くなり始め、視界がぼやける中で里は自身がブレンドした香水の効能を思い返していた。
彼女がこの日のためにブレンドした香水は抑制成分をベースに配合している。
故に多少の危害が加えられることはあっても度を超えて『死』に至る可能性は格段に低くなるはずというのが彼女の見立てだった。
それから時は進んで現在、里は終宵に到着した露零に抱き起されたことで次第に意識を取り戻す。
この時、城内はすでにもぬけの殻で室内を見渡した里は自身が到着した時にはなかった床に飛び散った血痕に思わず表情を曇らせる。
「ここは戦城。俺とお前たちとでは焼け石と水だ」
一方その頃、正面では道中拾い集めていた熱の籠った石を投げ当てると城に押し寄せた挑戦者は全員もれなく退散し、再び静けさを取り戻した城内では露零が情報を聞き出していた。
「それで里さん、一体何があったの??」
「それは――」
その時、奥の部屋からまるで獣のような叫び声が響き渡り、三人はまだ城内に誰かいると警戒心を露わにする。
そして表で住民を軽くあしらっていた忍と合流すると三人は恐る恐る奥へと続く、他と比べて損傷の少ない狐の描かれた障子を勢いよく両手で開く。
すると部屋の中央では左目に付けた黒い眼帯を激痛に顔を歪めながら抑えている朱爛然の姿があった。
「痛ェ! さっきから見えるこれはあたしへの当てつけかァァァ!!」
「燦さん落ち着いて!」
「無駄だ、早く抑えるぞ」
「そうねぇ」
失明による激痛に見境なく暴れる朱爛然を何とか取り押さえることに成功した三人はそのまま彼女を安静に寝かせるとその拍子に右目から外れたコンタクトレンズが地面に落ちる。
そのことに最初に気付いたのは里だった。
彼女はそのコンタクトレンズを拾って自身の右目に付けると不思議なことに伽羅守まこもを彼女が手にかける瞬間が映像として見え始める。
言葉では言い表せない程に悍ましいコンタクトレンズ。
確かにこんなものを使用すると事前に聞いていれば記憶を戻すことに踏み切ることはなかっただろう。
眼球を失ったことによる失明、そしてコンタクトレンズを付けることで見えてくる光景という数少ない情報から里は一つの答えを導き出す。
(どこまで行っても私達とは相容れないようねぇ。人体の一部を物質化させるなんてとてもじゃないけど人道的とは言えないわぁ)




