第四章39話『熱血漢』
(我が教え子ながら教師は怒り慣れた人とはよく言ったものね。でも私だって暗黙のルールを決めているのよ。例えば褒める手は利き手、頬を打つ手は逆の手で…とかね)
飛んできた矢を難なく躱した喪腐は余裕の表れなのか、そんなことを考えていた。
しかし一方の露零は全力にもかかわらず涼しい顔で受け流されることに味方であるオヌに「ねぇ、防腐剤って持ってないの?」と尋ねる。
「んなもんあったらとっくに使ってるわ! ねえさんのとこに取りに行くにしても一通で戻って来る足がねぇんだよ」
心室に居住む鬼火は言わば宿主と一心同体だ。
故にオヌがこの場を離れれば同時に彼の使役する鬼火も離れてしまう。
露零の鬼火を通路として利用できれば帰りの足に困ることもなかったのだが生憎、今の少女の住まわせている鬼火は体外操作できず彼の独自通路としては機能しない。
そんなことを話し合っている間に再び接地することで腐食を広げ始めた喪腐。
その様子に今度はオヌが第二波を止めるべく行動する。
彼は自身の使役する鬼火を蒼炎に変えて取り囲ませることで腐食の進行を止めようと考えたのだ。
しかし蒼炎では進行を止めることはできず、炎の外にまで広がる腐食に彼の視線は町に向く。
「マジィな、このまま行きゃあ……ッ!!」
その時、オヌの目に留まったのは町方面から何も知らずにやってきた好青年風の住民だった。
彼はこの地が戦地と化しているとも知らずに自ら進んで発生源の方に向かって歩いてきていて、急な庇護対象の出現に対応を急かされたオヌは刀による脳死の物量攻撃で敵の注意を逸らすとその隙に懐に飛び込み矢を放つよう指示を出す。
「そんなことができたなんて相性最悪ね、でも無駄よ」
「鬼火だろうと凍らせようと大差ねぇ! 俺ごと打て!!」
武器庫としての側面もあるオヌの使役する鬼火。
そんな彼の飛ばす刀を触れることで腐食させ続けた喪腐は一瞬の隙を突かれてしまう。
しかしそれは彼女の仕掛けた罠であり、オヌは誘われていたのだ。
彼女は宝玉を手放してなどいない。
懐に忍ばせた宝玉にあえて気付かせることで彼の注意を引くと次の瞬間、オヌの視線はBと彫られた彼女の太ももに釘付けとなる。
(おいおい、何で片足しか見えねぇんだよ)
「腹ごなしのつもりだったのに思った以上にやるわね。野良達ももっと鍛えなきゃダメかしら?」
この時、太ももにSと彫られたもう一方の足は真上に振り上げられていた。
しかし気付いた時にはもう遅く、防御が間に合わなかったオヌは勢いよく地面に蹴り落され気を失う。
その様子に露零が絶句していると「貴女はどうしようかしら?」と背後から呟き手刀で少女を気絶させる。
「うっ」
「なんだなんだなんなんだ? ただでさえ物騒な場所なんだから何も出ないでくれよぉ…」
あれだけ派手なドンパチがあっても何が起こっているのか今一つ理解していない様子の住民。
そんな住民は少女を背負う白い手袋をした女性、喪腐と鉢合わせてしまい、住民はまるでクマと出くわしてしまったかのような、見てはいけないものを見てしまったという反応を示す。
「ひっ、お助け~!」
そんな怯える住民を横目に見る女性は素通りしようとする。
しかしその瞬間、背負う少女の身体が突如として発火し尋常じゃない体感温度に喪腐は思わず背負う少女を落としてしまう。
しかし不運なことに蒼炎は彼女が身に付けている白い手袋に引火してしまい、慌てて手袋を脱ぎ捨てた喪腐はすでに戦死した砂漠の悪魔とは真逆の選択をしたことを激しく後悔する。
(魔砂、あなたが記憶を捨ててまで生きる選択をしなかった理由が分かった気がするわ)
「――置いてけよ。腐食も使わねェで俺に勝てる気でいるなんざいい度胸だよなァ!!」
「しつこいわね」
意識のない少女が心室に住まわせている鬼火。
その鬼火に外的干渉したのはさっき蹴り飛ばされて気を失ったはずのオヌだった。
一度心室に居住いてしまえば宿主以外の外部からの干渉などおよそ不可能なのだが、それは二人を結び付けた仲介人のなせる業といえるだろう。
彼は鬼面怒と呼ばれる興奮状態によるアドレナリン効果で痛覚が鈍化していた。
しかし受けたダメージは確かに蓄積されていて、威勢良く吠えたものの数秒後には再び地面に膝を折ってしまう。
(オヌさん??! 何がどうなって……)
今更遅いがこの國の住民なら誰もが知る人物が瀕死な状況に初めて事態を把握しようと考えた無辜の民は彼の叫びが向けられた女性にもう一度目を向けると彼女はため息をついていて、警戒心を強めるも女性は「いい人が上司でよかったわね」とだけ小さく呟くと今も蒼炎に覆われている少女を置き去りに彼女は一人撤収する。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
時同じくして現在、敵の本拠地である未開の地では一足先に戻ってきた野良が同伴者との別れ際に手渡されたある物を渡すべく副長と面会していた。
しかし袋から中身を取り出したことで青ざめる野良と無言で見つめる副長、科厄。
手渡された袋の中に入っていたのは木彫りの球体だったのだ。
なぜこんなものが? 宝玉は一体どこにあるのかと困惑し、必死に弁明する野良の様子を面白がった副長はしばらくその茶番に付き合う。
「何それ?w そんなのが宝玉なわけないじゃん」
「だから違うんだって、これは先生が…」
「んじゃあその先生は今どこにいるわけ?」
「うっ、それは……」
「ほんとにわかってないとかウケるんですけど。私は理解できないけどあの子が教え子に盗みをさせようとか考えないと思うわけ」
そう言ってサディスト気質が見え隠れする不敵な笑みを浮かべる科厄。
しかし彼女の言葉に先生に生存の意思があることを理解した野良はそっと胸を撫で下ろす。




