第一章17話『不自然体』
露零本人は気付いてないが、自身が負った怪我に差し障らない程度に手伝いを求められた少女は初めて頼りにされたことが余程嬉しかったのか、笑顔で快諾すると疲労を一切感じさせない軽快な足取りで少し離れた位置にポツンと落ちている小さく膨れた巾着袋を取りに行く。
「まるで戦場の癒しですね。それはそうと伽耶様、あなたは相変わらず無茶が過ぎるんですよ。いくら露零に矛先を向けないためとはいえ朱珠様の土俵で戦うだなんて……」
露零は彼女が連れていた和猫のそばに落ちていた巾着袋をそれごと拾うと急いで二人のもとへ駆け戻る。
そして目と鼻の先まで戻ってきた少女は外傷以上に深刻なのか、今も読心継続中の心紬の姿を見る。
すると明確な理由はないが何故か口元に視線が行ってしまい、少女の目には彼女が意識のない伽耶に何やら話し掛けているように映る。
一瞬、(なにしてるんだろう?)と疑問を抱く露零。
しかし今は一刻を争う状況であり、少女は(ううん、そんなことより早くこれを渡さないと……)と思い直すと一度は止めた足を再び動かす。
そして彼女の会話を遮る形で戻った少女は拾った巾着袋を手渡すと、彼女の施す処置をそばで心配そうにじっと見守る。
「これでしょ? 心紬お姉ちゃん持ってきたよ」
「ありがとうございます。これは植物から抽出した保湿効果のある薬液です。応急処置ですがどうか水鏡まで持ち堪えてください」
わざわざ言う必要のないことを、心紬はまるで誰かに説明するように言葉にしながら小瓶に入った透明な液体を手に取ると伽耶の焼かれた皮膚に満遍なく塗布し始める。
すると彼女の皮膚は僅かに潤いを取り戻し、直前の皮膚吸収によって今も無意識下に行われている内部循環によって主君の肉体はつま先から指の先と至るところまで保湿効果を取り戻すと次第に水分の蒸発は収まっていく。
「これでよしっと、伽耶様の処置はひとまず終了です。後は水鏡に戻ってからです」
「えっ、もう終わったの?」
そう言葉を返した心紬だったが少女が思っていたよりも簡易的な処置だった上に彼女自身の手際の良さも相まって、処置に要した時間はほんの数分だった。
そのため怪我の具合に対して不完全な処置ではないか? と少女が心配の眼差しを向けると、彼女はすでに次の段取りに移っていた。
「ええ、これから水鏡に戻りますよ。和猫の子の背中は不安定なのでしっかり掴まっていてくださいね」
するとシエナに同伴していた和猫は自身の身体を大きく変化させ、少女の襟元を咥えるとそのまま首を捻って自身の背中に乗せていく。
しかしその一連の流れに付いて行けない様子の露零は会話終了後、ちょこんと突っ立っていると急に地面が高くなったことに「わわっ!」と声を上げて驚きの声を上げる。
――――たのも束の間に、比喩表現ではない生の猫の感触に少女はアニマルセラピーによるリラクゼーション効果をゼロ距離で感じると次第に落ち着きを取り戻す。
その間に少女を背に乗せた猫が今度は何やら物言いたげな眼差しを心紬に向けていると、視線に気付いた心紬は笑みと共にアイコンタクトを返し和猫をその場に待機させる。
そして彼女はすぐそばに横たわる伽耶を抱えて猫の背中に飛び乗ると今度は背上から口頭で指示を出す。
「それではお願いします」
「にゃおーん」
鳴き声で了承の意を伝えた和猫は心紬の言葉を合図に伸びる動作を挟んで起き上がると、そのまま水鏡まで一気に駆けていく。
しかし猫が動き出した衝撃で背上で気を失っている伽耶が振り落とされそうになり、それに気付いた心紬は間一髪で彼女の手を取り引き戻すと和猫に速度を落とすように伝える。
「もう少しスピードを落としてください。ただでさえ不安定な背中で支えながら乗り続けるのは大変なんですから。ですが木の大半が焼き払われているのでいつもより大きくなっていますね」
その後の心紬はというと、揺れが少なくなったタイミングで一度は放り出されそうになった伽耶を引き戻すために掴んだ手を放すと彼女は引き続き主君の心を覗き、より詳細な事態把握を試み始める。
生まれ持った心紬固有の力読心。
それは他者の心を覗くというもので、本来ならば自然の恩恵であるはずがとてもそうとは言い難い、自然由来と言い切れるのかすら怪しいイレギュラーな力に他ならない。
しかしそれ故に制約も多く、敵対者や自閉症持ちの人物のような彼女に心を開いていない、または彼女に限らず固く心を閉ざした人物の心には干渉することができない。
そのため彼女はこの力を過程把握、また医療従事志望者として、適切な処置を行うにあたっての状況把握に使用するなど裏方方面で重宝されそうな使い方をしていた。
そんな彼女を始め、水鏡組三人が化け猫の背に乗ってからしばらくが経過すると、巨大化した和猫は水鏡を覆う保護膜が見えるとそれを目指してラストスパートで追い込みをかける競走馬のように一気に加速していく。
(水鏡が見えた! 早くお姉ちゃんを……)
募る不安と焦燥感から猫の背中で毛を巻き込んだ拳をギュッと強く握る露零。
そんな少女はふと伽耶の方に視線を向けると今も意識がない姉の姿に(お姉ちゃんは絶対に死なせない)と強く心に誓う。
――――バシャッ!!
三人を乗せた和猫は保護膜に勢いよく飛び込み、くぐり抜けるのと同時になぜか和猫は次第に元の大きさへと戻っていく。
見る見るうちに小さくなっていく猫の背中が彼女ら三人のクッションになることはなく、徐々に面積を失う猫の背から零れ落ちた露零は受け身もままならず盛大に落ちるとそのまま尻もちをつく。
だが一方の心紬はそうなることがわかっていたかのようにいち早く猫の背中から飛び降りていて、飛び下りる際に抱えていた伽耶を着地と同時にそのままゆっくり地面に下ろす。
「きゃっ! ……ってあれ、さっきの猫さんは?」
「あの猫は少し特別なんですよ。水鏡唯一の広域移動手段なので皆には秘密にしておいてくださいっ♪」
「もう、知ってたなら先に言ってよ」
茶目っ気を出して軽口を叩いた心紬は次に保護膜の内側に充満する水を携帯した空のボトルで汲み取ると、そこに先ほど伽耶に塗布した保湿効果のある薬液を混ぜ合わせ、未だ昏睡状態の主君の頭部を自身の膝に乗せるとそのまま口にゆっくりと注いでいく。
「これを飲んでしばらく安静にしていてください。藍凪には私が連れていきますから」
焼かれた彼女の肉体は予め塗布された保湿効果のある薬液によって微かに潤いを取り戻していたが、あくまでそれはただ表面に塗布しただけの応急手当に過ぎず、同様の薬液を汲み取った水にも混ぜて経口摂取させると彼女は次に露零の怪我の具合を確認する。
「――さてっと、次は露零です。直接戦っていないとはいえ、相手はあの朱爛然様だったんです。遅くなりましたが診察しますね」
何かと理由を付けて診察を先延ばしにしたことについて謝罪した心紬は伽耶の時と同様の方法で、怪我に至るまでの過程を把握しようと露零の心を覗き見る。
熱気にあてられた、あるいは火傷を負った。
などを抗争相手、現場の惨状などから考えられる可能性をいくつか考えた彼女はある程度、目星を付けた状態で読心に臨む。
しかし予想に反した少女の健康体、そして心模様に心紬の表情には次第に動揺が現れ始める。
「――えっ、外傷ならともかくなんで熱気にも当てられていないんですか?? いくら安全地にいたといっても山火事以上の熱量だったんですよ?!」
「そうなの? でも私、何ともないよ?」




