第一章15話『天掌燁』
伽耶の言葉が自身を哀れんでいるように聞こえた、あるいはよほど癪に障ったのか、彼女は今まで以上の力をその身に集約させるとさらに体内温度を上昇させていく。
肉体許容量を大幅に超えた力は次第にその身から溢れ出し、切り替えによる放熱ではなく、まるで火山地帯で大地を引き裂いてマグマが噴出してくるかような、何とも悍ましい姿へと変貌する。
その様子に伽耶はどうあっても避けられない戦いだと再認識し、体内を巡る水分を意図的に肉体許容量の上限まで加速させると己が命を擲つ覚悟で好敵手を迎え撃つ。
「あんた……」
「十分だ、あたしに付き合え」
この時、伽耶は燦の言い回しから今の悍ましい形態は相当な無理を押した結果であり、時間制限のある身の丈以上な過剰強化だと憶測を立てていた。
とはいえタイムリミットである十分間、自身が耐え凌げないことも同時に直感していた。
少し前に遡るなら、そもそもこれまでの二人の攻防は互いに拮抗していた。
しかしあくまで燦はこれまでその身一つで全力の伽耶と対等に渡り合っていたのだ。
対する伽耶はというと愛用の模造刀を早い段階で使用し、十八番の戦術バリエーションを多用したりと戦闘が長引くにつれて徐々に手数が減りつつあった。
それ故に彼女は今後の展開が一方的なものになると確信していた。
だがその一方では口頭でだが、誘導された安全地に一人佇んでいた露零が手に持っていたスカーフを風に乗せて捨てると虚空に召喚した三本の矢を続けて一度に打ち放つ。
「お願い、当たって――!」
矢を打ち放つ寸前、少女が決意を乗せて一足早く空へと送ったスカーフには伽耶が施したであろう刺繍が施されていた。
≪ウチが発生させる水を全部射貫き≫
スカーフに施された刺繍内容に従い、露零が放った矢の一本は二人が今いる球体の水に、二、三本目は球体の水から滴りできた真下にある水溜りを貫通し、消え失せる。
弓というサポーターありきではあるが、内在する固有の力の発現に伴った体質変化によって獲得した遠視を用いて少女の放った矢は全て狙い通り的中すると、貫通箇所から外広がりに氷結が伝播していき球体の水は表面が、水溜まりは全てが凝固する。
「これでいいんだよね? お姉ちゃん、私も少しは役に立ったかな」
そして再び場面は水球内にいる二人へと戻り、確実性こそ低かったが無事に意図を汲み取った露零の援護射撃によって伽耶は同タイミングで表面が凝固したことを察知すると内部の水に流れを与え、全体が凍るのを防いでいく。
同時に流水による攻撃も試みるが、彼女が与えた水の流れが燦に届くことはなかった。
そんな彼女と同じく燦もまた、自身を閉じ込める水球の表面が凝固したことに気付いていく。
「何かしたな? お前が動いてねぇのを見るに新顔が本命か」
「相変わらずえらい肌感覚がええな」
帯熱状態とはいえ一切衰えない、いや、むしろそれどころかより洗練された彼女の並外れた感覚に思わず関心を示す伽耶。
水が素肌に触れていない燦と違い、自身の力とはいえ、人体の水分をベースにしたわけではない今いる水球は本来なら呼吸できるはずのない空間だがそれでも伽耶が呼吸ができるのには訳がある。
一言で言ってしまえば彼女は力に合わせた体質変化によって獲得した両生体質なのだ。
――――しかし、そんな彼女の姿も燦の目には一体どのように映っているだろうか。
感情欠如の欠陥人間。
ひとたび使用すれば最後、諸刃の剣な指輪と不遇の彼女は何思う。
「なぜ生まれたてのひなに戦局の一端を委ねる? ようやくできた後継なんだろ? わざわざ戦場に駆り出すなんざ取って食われるってのがオチだろ」
「ウチにはウチのやり方があるんや、あんたにとやかく言われる筋合いはないで」
「ああそうかよ、なら親雛共々仲良く死んでな!!」
好転したかに思えた状況だったが彼女もまた、伽耶と横並びに名を連ねる御爛然の一人であり、尚且つ紅石榴を身に着けた全力以上の彼女を長時間足止めできるはずもなく、燦は流水を全く意に介さず伽耶の懐に潜り込むと超至近距離から渾身の一撃を打ち放つ。
「詰みだぜ、天掌燁!!」
懐に潜った燦は伽耶の胸ぐら、そして左手袖口を掴むとそのまま彼女を投げ飛ばす。
その際に掌から炎を放ち、彼女の左半身も同時に焼き払っていく。
十中八九、戦闘になることは分っていたのだから予め塗布しておいた保湿クリームを突き抜けて迫るその炎は彼女の左腕から肩にかけてを焼き払い、伽耶はあまりのダメージに加え、投げ飛ばされた拍子に衝突した氷の壁の衝撃でついに意識を失ってしまう。
すると彼女が発生させた水は浮力を失い、内部に閉じ込められた二人はそのまま水球ごと地面に落下する。
落下した水球は形を崩して波紋状に流れると、周囲の木々に燃え移った炎を一瞬で鎮火していき、消し炭も火の手が及ばず燃え残った木々も全てお構いなしにまるで流木のように押し流していく。
「えっ、うそ?! お願い止まって――――!!」
押し流された流木、及び高波はあっという間に露零のもとにも到着し、少女もろとも飲み込む勢いで押し寄せる。
思わぬ飛び火、いや、飛び火ならぬ飛び水が来てしまい、少女は咄嗟に召喚した矢を打ち放つと押し寄せる高波のような水を一瞬で凝固させていく。
一方で内部の水が緩衝材になったこと、そして落下した際の衝撃で意識を取り戻した伽耶。
水球から吐き出され、地上に排出された彼女はうつ伏せのまま自身を中心に水を発生させようと試みるも、直前の攻撃によって自身が身に纏う保湿は効力を失い、さらには左腕欠損という不安定な肉体では雨水程度と微量の水しか増幅させることができないでいた。
同じく起き上がった燦も意識が朦朧としているのかふらついていて、立っているのもやっとの様子だった。
そんな彼女は徐々に灰と化していく自身の体に目をやると、満足そうな笑みを浮かべながら地べたで藻掻き苦しむ伽耶を気に掛けることなく一方的に最後だと言わんばかりに語り掛ける。
「はぁ…はぁ……。お前との勝負、悪くなかったぜ。あたしと一対一で張り合える奴ァ地上じゃ五人といねぇ」
皮膚どころか腕ごと根こそぎ焼かれ、激痛に思わず顔を歪めて横たわる伽耶をよそに燦は一人悦に浸っていた。
長くも短い戦いの余韻に酔いしれながら、一人楽しそうに会話を続けている彼女だが一方の伽耶は「…………」と終始無言を貫いていた。
……と、思われていたそのとき――――。
「――――死ぬが故の油断やな、生憎やけど共倒れは御免やで」




