8 戻ったはいいが
本堂まで下りた郁也を、清水家と崎山が出迎えた。
「木札、これですよね?」
郁也が木札を差し出すと、清水が「合格です」と笑顔で受け取る。
「おかえりぃ、ちょっと遅かったぞ橘君♪」
崎山がそう言いながらブンブンと手を振る。
「そうですか?」
郁也としては事情にスムーズにこなしたつもりだったので、首をかしげる。
――あの見張りの人と話をしていたからかな?
郁也はそう考えるものの、遅かったのを人のせいにするのはよくないかと思い、それは言わずにただ笑うだけに留めた。
怖くて一歩一歩がゆっくりだったのも確かなのだから。
すると崎山に清水が「そんなことを言っていいんですかね?」と笑う。
「愛だってどうなるかわかりませんよ?
山の景色は日々変わるものですから、怖い思いをしてパニックになって迷子になるかもしれませんし」
「それこそ望むところよ!」
清水の忠告は、しかし崎山の情熱をさらに燃え上がらせただけのようだ。
「なんだなんだ、橘君は案外平気そうじゃないか。少々つまらんな」
一方で住職がそんなことを言っている。
「ちょっと怖かったですけど、想像よりは怖くなかったというか」
これに郁也は正直な感想を述べる。
肝試しというと、火の玉が浮かんでいたり白い影がちらついたりという話を、なんとなく耳にしたことがあるのだが、そんなこともなく。
ただ夜の山の気配が怖かっただけだった。
それに郁也としては住職に面白がってもらえなくても、ちっとも構わない。
他人の愉快より、自分の平穏だろう。
ともあれ、郁也が済んだら崎山の番だ。
「行くぞぉ、さあ来いオカルト! おー♪」
崎山は自分で自分に喝を入れると、跳ねるように駆けて山を登っていく。
その後ろ姿を見送った住職が「う~ん」と伸びをした。
「愛を待っていても、もっとつまらんな。
いつも通りケロッとして帰って来るだろう」
そんな風に漏らす住職に、清水の母も「そうねぇ」と同意する。
「愛ちゃんは走って喉が渇くだろうから、お茶を用意しておくわね。
橘君も疲れたでしょ?
中に入って座っていてね」
そんな話をして、夫婦で本堂に入っていく。
この夫婦は、崎山のチャレンジは見慣れてしまっていて、もはやワクワク感が湧かないようだ。
それにしても崎山が走って行ったのは、怖くて思わず駆け足になるということではないだろう。
崎山は山で夜中のマラソンでもやるつもりなのか?
少なくとも、肝試しへの挑み方ではない気がする。
それでも清水と二人で崎山の戻りを待っていると、郁也はこの間にあの見張りの男について尋ねておこうと考える。
「あの、先生。
あの人はどこの家の方なんですか?
暗い中で俺たちのためだけに、わざわざ祠に立ってもらうなんて、なんだか申し訳なかったです」
郁也がそう話すのに、清水が不思議そうな顔をした。
「祠に、人が立っていたんですか?」
目を瞬かせる清水に、郁也も目をパチクリとさせる。
「え、先生が安全のために頼んだとかじゃあ?」
「違いますね、そんなことを頼んではいません」
キッパリと断言されて、郁也は戸惑う。
――じゃあ、あの人は勝手に見張りをしていたとか?
肝試しの噂を聞いて、見物したくなった人がいたのかもしれない。そう考えた郁也に、清水が尋ねる。
「どんな人物だったんですか?」
「……髭があって、厳つくて、作務衣を着ている人です」
「ふむ」
この答えを聞いた清水がしばし思案すると、本堂に入って行く。
どうしたのかと見ていると、本堂に飾ってある掛け軸を外して、持ち出してきた。
「もしや、こういう人ではなかったですか?」
清水が見せるその掛け軸には、人の姿が描かれていた。
墨で描かれた白黒の絵だが、髭もじゃの厳つい作務衣姿の男である。
「……似てます」
郁也はごくりと息を呑む。
この絵画的な姿を現実的に落とし込んだら、あの見張りの男のような姿になる気がする。
「えっと、この日とは誰ですか?」
麓の村人を描いたものであってほしいと願う郁也だが、その願いは呆気なく破れる。
「このお方は、この寺の始まりであるあの祠で山ごもりの修行をしたという修行僧です。
時代としては、奈良の頃ですかね?」
――すごい昔の人だった!?
郁也はこの事実によるショックで、ヘナヘナとその場に崩れ落ちながら意識が遠くなる。
「ブキュ~」
「おや」
そして清水の前には、デカいタヌキが気絶していたのだった。




