思索/王太子
つらつらと王家のことを考えていると、苛立ちが募っていく。
王太子の投げつけた言葉がシェスの脳裏に繰り返されて、彼女の怒りに油を注いだ。
『貴様は怠惰に部屋で過ごすばかりだったそうだな』
それは疲れ果てていて起き上がれなかったのだ。
王家がシェスに無茶を強いたから。
『聖女であることを盾にして、エヴァジオンに命じ、贅を尽くそうと国に数え切れぬ要求を寄越した』
それも王家が、聖女に行うべき義務を果たさなかったからだ。
シェスもアミティエも、当然の権利を主張していただけである。
配給されるはずの物品はほとんど送られてこないし、それさえ町民に横領されるようになっていたのだから、訴えるのは当たり前のことだった。
さらに、そんな状況にあってエヴァジオン家がシェスの援助を開始したのを、邪魔さえしてくる始末である。
そもそも、大聖女判定に赴いたシェスの姿のどこに、贅を尽くしたような要素があったのだろう。
こけた頬も、枯れた枝のような手足も、くたびれた服も、王太子の目には映らなかったのか。
見えていて、おかしいと感じなかったのか。
――大罪人にふさわしい、くらいにしか思わなかったのかもね……。
優秀とは、とシェスは呆れてしまう。
王太子は、確かに勉学はできるのだろう。
だが、思い込みが激しいのだ。
『大聖女となり、王太子妃の座を射止め、ゆくゆくは国母にとさえ野望を抱いていたのだろう!』
『そんな女を、私が寵愛することなどない!』
この台詞が、彼の思い込みの強さを物語っている。
シェスはそれに、こう返したい。
「王太子妃とか、国母とか、なりたいと思ったことは欠片もないです。ひたすら大変そうなので、絶対にやりたくないです」
「王太子殿下のこと、好きでもなんでもないですし。寵愛とか、本気でほしくないですし、もらっても捨てたいです」
「一国民として尊敬は一応していましたけど、それは学院を卒業するまでの話で」
「今は軽蔑しかないです」
無茶苦茶率直に、言ってやりたい。
――いや、だって、なくない?
と、シェスは思う。
――王太子に恋情があるって、多分、当たり前の前提になってる、よね? それ、なくない? え、気持ち悪くない? どんだけナルシスト?
シェスが王太子に懸想している、という前提がなければ、彼の論法は成り立たない。
大聖女が王家の者と婚姻を結ばなければならないという決まりはなく、むしろ聖女には恋愛結婚が推奨されているからだ。
昔々の話だが、聖女が心の奥底から嫌がっている婚姻を政略により強行し、心を病んだ聖女が力を失う、ということがあった。
そんな例が度々あり、王家は次の結論を出している。
身も心も健全に保たれなければ、聖女の力は消えてしまう、と。
それにより、聖女については恋愛結婚が主流となった。
実家のためになる縁談を望む聖女も少なくはないため、政略結婚が皆無になったわけではない。
だが、聖女の意思が何より尊重されるようになったのだ。
神聖力があると分かり、シェスが殊の外喜んだ理由も、そこにある。
聖女の意思の尊重が当然のことでなければ、父は聖女となったシェスのことも駒として扱っていたはずだ。
だが実際には、聖女の意に反することを強制はできない。
だからあんなにも嬉しかったのだ。
そうした聖女の婚姻の自由については、大聖女にも全く同じことが言える。
その前提から、王太子はこう考えたのだろう。
シェスは王太子に好意を持っており、妃の座を欲した。
一聖女では、ラヴィソンを蹴落とすことはできない。
しかし大聖女ともなれば話は変わってくる。
その意思は、誰よりも尊重されるものだ。
故に、不正を働いたのだと。
――考えれば考えるほど勘違い男……。私の方が恥ずかしくなってきちゃったよ……。
シェスはベッドの上で顔を覆った。
しかし、王太子の考えには大きな穴がある。
見ないふりをしているのか、それとも、シェスがそれを見逃していると、やはり思い込んでいるのか。
どちらもありえそうだった。
――そもそも私が本当にそんな大それたことをしでかしたなら、もう神聖力はなくなっているはずなんだよなぁ……。
聖女の意思は、尊重される。
しかし、聖女が利己的に過ぎる時、そういった場合にも神聖力は失われてしまうのだ。
聖女判定が十二歳を待って行われるのも、それが大きな要因である。
幼い頃に聖女判定を行っても、成長次第で神聖力が消えてしまうことがあるのだ。
故に、ある程度心身の成長が落ち着き、かつ教育を始めるのに適した年頃になってから判定を行うようになったのである。
エヴァジオン家はそこも突いているようだが、王家はそれもシェスがうまく見せかけているのだと主張しているらしい。
そうでなければ、ラヴィソンから力を奪っただとか、とにかく机上の空論を様々に出してきているようだ。
それが可能なら、それはそれですごいことだけれど。
――とにかく結論ありき、なんだよなぁ……。
だから彼らは、当事者であるシェスの話を聞こうともせず、一方的に断罪するということをやってのけた。
大要石の設置されたあの建物に初めて入ったシェスに、ラヴィソンとは直接話をしたこともないシェスに、一体どうやって彼らの主張通りのことができたというのだろう。
――ラヴィソン様は、どうお考えなのかな……。
シェスの大聖女判定以降、ラヴィソンは体調を崩しているらしい。
それもシェスへの攻撃材料になっているようだが、それはともかくとして、シェスには懸念があった。
ラヴィソンは大聖女にふさわしいと思うが、彼女は王太子を止めなかった。
相手は王太子だ。窘めて止まらなかったのなら仕方がない。
けれど、もし完全に王太子に同調しているのなら。
もしくは、王太子の過ちに気付きながら見て見ぬふりをしているなら。
それは彼女の神聖力を損なう振る舞いなのではないだろうか。
女神の御心をはかるような真似は、不遜だけれど。
「私の心配なんて不要……だろうけど」
ゆっくりと身を起こしたシェスは、独房の高いところにある、小さな窓を見上げる。
鉄格子の向こうには、細い月が見えていた。
もう間もなく、出発の時だ。
それ故、シェスは感傷的に、この国の行く末を案じたのだった。




