回想/断罪
空間に、光が満ちた。
床と壁、それから天井も、全てが光り輝き――その光が美しい模様を描いている。
茫然とその光に見惚れていたシェスだが、ふと気付いた。
――私、読める……?
その模様は、国の結界を構築するためのもの。
普段使用する文字とは全く違うものであるのに、シェスにはそれが、読めた。
混乱が、胸に渦巻く。
シェスが手を胸元に引き寄せ、神聖力を注ぐことを止めたので、光は徐々に消えていった。
――これ、何が、起こって……? まさか……?
大聖女判定について、どのようなものであるかは聞いていた。
大要石に神聖力を注ぎ、大要石が最も顕著な反応を示した者こそ大聖女である、と。
そんな曖昧なものだから、聖女の全員が判定を受けなければならないのだと。
――まさか、まさかね……。
動悸がして、強く両手を握り締めた。
その、直後。
「シェディエス・ティエル!」
蒼褪めたシェスの名が、怒気をこめた声で呼ばれる。
シェスはびくりと肩を揺らし、声の方へ体を向けた。
つかつかと歩み寄ってくるのは、険しい顔をした王太子、プレジド。
輝く金髪に澄んだ碧瞳の持ち主である彼は、非常に端正な容貌をしており、怒りの表情もその美しさを損なわせるものではなかった。
「またも我らを欺こうとするか、卑劣な罪人め!」
よく通る声がそうシェスを罵り、騎士たちがシェスに剣を向ける。
シェスはひゅっと息を呑み、身を縮めた。
「一年前の過ちを反省もせず、よくもやってくれたものだな。大聖女となり、王太子妃の座を射止め、ゆくゆくは国母にとさえ野望を抱いていたのだろう! しかし、貴様のように卑劣な者が大聖女とは、断じて認められない!」
――王太子妃? 国母?
王太子は一体、何を言っているのか。
急展開と恐怖に、頭がついていかない。
「聖女となってから、貴様は怠惰に部屋で過ごすばかりだったそうだな。町民から訴えが出ている。なおかつ、聖女であることを盾にして、エヴァジオンに命じ、贅を尽くそうと国に数え切れぬ要求を寄越した」
――訴え? 贅?
ただでさえ真っ白になった頭に、さらなる衝撃が加えられる。
――あんなに、私、必死で、守らないと、って、
それなのに。
「そんな女を、私が寵愛することなどない! 大聖女に、私の妃にふさわしいのは、ラヴィソンだけだ! このような結果は有り得ぬ! どのような手を使ったのかは知らぬが、不正は明白! 連れて行け!」
絶望に、抵抗もできず、シェスは縄をかけられた。
騎士たちに囲まれ、乱暴に歩かされる。
茫然とする彼女の視界に、ラヴィソンの姿が映った。
非難と恐怖の目が、シェスを見つめている。
奪われることを、恐れているのだ。
――私から全てを奪おうとしているのは、貴方たちの方なのに?
責めるように思ったのは、一瞬で。
最後に、大切な人たちの姿を探した。
フード姿のソルは、アミティエに羽交い絞めにされ、もがいている。
そのアミティエも、胴体に誰かが必死な様子で巻きついていて、動けないでいる。
エヴァジオン家の者だろう数人が、そんな二人のことを隠すように動いていて、シェスはほっとした。
これで二人を巻き込まずに済む。
そう思って、こんな時であるのに、ほんのわずか口元が緩んだ。
それからシェスは、今いる独房に放り込まれた。
城壁内の最も外れに建てられた塔は、貴人の犯罪者を収監するためのもの。
シェスの入れられた独房は、その最上階にある。
貴人用であるので、独房といっても、そこまで劣悪なものではない。
むしろ、ベッドはシンプルながらそれなりに質の良いものであるし、小さな書き物机に椅子、簡易なシャワー室までついていた。
罪人といえども神聖力を持つシェスを、一般牢には入れられなかったのだろう。
事態が事態だけに、隔離の意味もあるのかもしれない。
――最初はどうなることかと思ったけど……。
独房に入れられてから、一週間。
シェスは穏やかに日々を過ごしている。
初めこそ、不安で不安で堪らなかったのだけれど。
試しに使ってみた神聖術が発動したことで、途端に心に余裕ができていた。
これならば自分の身を自分で守ることができる、と。
食事に毒でも入っていたらと思うと口にできなかったが、解毒ができたので遠慮なく三食とも皿を空にし、寝ている間に何があっても大丈夫なように、夜は頑丈な結界を張って安眠した。
おかげで、北の町で毎日酷使されていた時よりも余程健康的な生活が送れている。
独房には魔力や神聖力を封じる仕掛けが施されているのだが、それがシェスにはほとんど有効でないようだった。
これまでのところ、尋問といったものも一度もない。
この独房に人が来るのは、食事と着替えの提供と回収の時のみだ。
王太子の剣幕からすぐにでも尋問やら何やらが始まるかと想定していたが、どうやらそうできずにいるようだった。
その理由を、今のシェスは知っている。
――エヴァジオン家が、動いてくれている……。
シェスへの断罪の直後。
エヴァジオン家は王家に対し、シェスへの扱いが不当かつ横暴であると抗議したのだ。
相手が聖女だからと罪人を庇う真似は慎むようにと王家は忠告したが、エヴァジオン家はそれにこう反論した。
大要石の反応から、シェディエス・ティエルは大聖女に間違いない。
それが彼女の手による偽りであるとするならば、その証拠を王家は示すべきである。
彼女に罪があると真実が判明していないにも関わらず、彼女の身柄を拘束することは公正でなく、王家への不信にもつながる、と。
エヴァジオン家と王家、それぞれの主張のぶつかり合いは三日続き、最終的に王家が怒りを露わにしたことで打ち切られた。
不遜である、分を弁えよ、と。
国王――スレクトゥス・オル・パティールは、感情のままそう怒鳴ったという。
国王スレクトゥスも、ラヴィソンに大きな期待を寄せてきた一人だ。
彼女の努力を知り、才能を知り、義理の娘と思って過ごしてきた。息子の恋情もよく分かっていたから、ラヴィソン以外が大聖女である可能性を否定したのである。
貴族の中でも力を持つビスコクトー公爵家を取り込みたい、という政治的な思惑もあった。
対して、エヴァジオン家は。
一日あけて再度国王に謁見し、しおらしく、大層反省した様子で、一族の総意を告げた。
女神の末たる陛下に、大層な無礼を働いてしまったと。
女神の国に、罪を犯した我々が在るべきではないと。
国を出て、外の地で贖罪の日々を過ごすつもりであると。
怒りから一転、国王は蒼白になり、慌ててエヴァジオン家を引き留めた。
神殿とエヴァジオン家は、ほとんどイコールの存在だ。
ローワ王国では、全国民が女神を信仰していると言って過言ではなく、国民生活と神殿は切っても切り離せない。
その神殿――エヴァジオン家が、王家に背を向けるような真似をすれば、いくら女神の末とはいえ、王家の求心力の大幅な低下は避けられないだろう。
何より、児童福祉や医療の分野でも、エヴァジオン家は国に大きく貢献している。
それがなくなってしまったら――国が大混乱に陥ることは明白。
それ故に必死に引き留める王家と、のらりくらりと謝意を示し、残留を否定するエヴァジオン家。
両者の話し合いは再度始まり、いまだ決着はついていない。
そんな状況であるために、シェスの存在は宙に浮いたまま、放置されている、というわけだった。
王家としてはシェスの扱いについて思惑があるのだろうが、下手を打てばエヴァジオン家がどう出るか分からないため、動けずにいるのだ。
――ああ、もう、助けられてばっかりだなぁ、私は、本当に……。
そんな価値が自分にあるなんて、そんなこと、思えないけれど。
エヴァジオン家としては、聖女が拘束されていることが、許せないだけかもしれないけれど。
何か他に、彼らの思惑が絡んでいるのかもしれないけれど。
味方がいてくれるという事実が嬉しく、心強かった。




